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久しぶりに成田から国外に出る。
実に2001年のオランダ、デンマーク、ベルギー以来だ。10年間、機会あるごとに日
本の外に出た。で、人生の選択、オランダに「移住」するか、日本に戻るか。結果的に
日本を選んだのが2002年。この何もかも難しい国で演劇をやる覚悟を決めたから
にはあとには引けない。腹を据えた。
そんなこんなで海外行きはしばし封印した。が、やはり虫がうずく。もうどこでもいい。
なんてこともないが、久しぶりにITI関連行事にかこつけて前から行きたかったメキシ
コ自費旅行と決めたはいいが、今回の旅行は最悪となってしまった。
以下はその情けない顛末。
出発前に一騒動。
持参予定のノートパソコンのダイアルアップがうまくいかない。現地でインターネットに
接続できそうに無い。接続をあれこれいじっていたらどんどん時間が経ち、他にも準
備があるのにどうするんだ、状態。ネットへの接続はあきらめよう。いかにコンピュー
ターなしでは、生活の基本が崩れるか痛感する。10日くらい、メールのチェックなしで
いても死ぬわけではあるまいて。
飛行機は午後便なので、自宅を10時半に出ても間に合う。朝のラッシュの山手線に
大きな荷物持ち込みで必死の割り込みをしなくていいだけ助かる。
コンチネンタル航空6便ヒューストン行き。ヒューストンの空港はジョージ・ブッシュ空港
だとか。テキサス州にあると初めて知る。ヒューストン経由、メキシコ・タンピコまで航
空運賃が何と67、500円。いい時代になった。手軽に海外に行けるなんて。
1時間遅れで16時半頃成田を出て、同日4時過ぎにヒューストンに到着。11時間くら
いのフライトだが、小説『落日の王子』第1巻を読みきり(暇つぶしに)、睡眠もかなり
出来たので、それほど苦痛ではなかった。
ヒューストンで20:30までタンピコ行きを待つ。やたらに大きな空港。出発ロビー自体
が広過ぎる。しばらく出発ロビー内を「散歩」。幾度かコーヒー、マクドナルドで頼んだ
コーヒーのミディアアムの量の多さよ。
何とか時間をつぶして、やっと現地の午後7時半。タンピコ行きのターミナルに入る。
D-75。
バングラデシュの若い演出家が来ていた。京都の「マイケル・ジャクソン」はすでに成
田で顔を合わせている。3列、60人乗り程度の小さな飛行機。同じコンチネンタル航
空便だ。
タンピコに一時間程で到着。空港にITIのボランティアと思しき少女が来ている。
助かった。知らない土地、到着早々が一番緊張する。
ホリディ・インに宿泊。4ツ星ホテル、少し郊外、滞在型リゾートホテルの感じ。
部屋はずいぶん広い。昔と違って無理無茶も出来なくなったから、私にとっては少し
レベルの高いホテルにしたのだが。設備も整っているが、何故かクーラーが効かな
い。フロントに言うと、修理班がやってくる。大丈夫かなあ。
今回は自費の旅行、気軽だが、一人でメキシコの中心から遠く離れた田舎町、何と
かやらなくちゃあ。
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5月30日(日)
9時半(実際には10時―1時)。
カミーノ・レアルホテルのグランドサルーンで総会一日目。
このホテル、なんだかやたら格調高い。メキシコは貧富の差が激しい国。上流階級
(ヨーロッパ系白人社会)はとことん上流。プールや巨大な庭があり、使用人が何人も
いる、そんな家がごろごろあり、白人以外お断り(日本人も有色人種だから入れない)
の高級レストランさえある。
この国で演劇は高級芸術。オペラ、バレエ、演劇、庶民には高嶺の花、か。むろん、
いやだからこそ中南米には民衆のための演劇活動が盛ん、でもある。
アウグスト・ボアールの演劇ワークショップ活動と理論はアジアではフィリピンに入り
(PETA)、それが日本にも来ている。ロンドンで発達した、知的演劇人のための「ゲ
ーム(遊び)」ワークショップ(要するに頭がこちこちの演劇人にもっと楽しめ、というも
ので日本ではアングラ演劇が、真面目腐った演劇に芸能の要素を持ち込んだ、それ
以降、地崩れ的に小劇場は「ゲーム」、「遊び」感覚に雪崩を打ったから、英国式ワー
クショップなんて、今更、この国に必要なのか、ってばかばかしくなるが(英国を今だ
に文明の教師扱いなんて)、全く別の思想に基づく演劇ワークショップがこちらにはあ
る。それは階級社会の矛盾の激しさ、そのクビキと引き剥がして考えることは出来な
いそういう類のものとして、ある。
それはそうとして、やはりここはメキシコ、いくらおつにすました高級ホテルでも何かに
つけて段取りが悪い。席に国名が表示されていないから、どこに座るべきか不明。か
つ各国ニ名までの正式参加によって総会は成立だが、その形が成り立たない。
アンドレ・ペルネッティITI本部事務局長が壇上のマーサ(前前会長)の呼びかけで演
説をひとくさり。文化の多様性とITIの存在理由について。それとユネスコの使命。しか
し、あまりユネスコとの関連ばかりを言うと、演劇文化そのものの現在形の進歩と隔
絶したものにITIが陥ると、いうかすでに陥っている。
11時―
タンピコ市街にバスで移動。暑い上に蒸す。人々はだれている。その表情、知的な感
じがしない。その日を生きるためのみに生きている、ような感じ。灰色の風景、褐色の
人々。だから宗教が必要なのだろう。それでも人々の風紀は乱れる、犯罪が増える。
この国のこの状態は改善されないだろう。歪んでいる。隣にアメリカという成功した国
がある以上、そことの比較で人々の心はますます歪む。農耕社会になって、富の蓄
積とアンバランスからの救いとして宗教は生まれたのだが、現在は宗教が救わない
分、人々は救いようのない状態に置かれている。だから、家族こそが支えなのだろう
か。
13時―
市内の広場に面した「高級ホテル」で昼食。海鮮スパゲティー。それなりにおいしい。
スペイン系だけに味覚はアングロサクソンに比べてまし。スーパーでまるちゃんのカッ
プ面を購入。3ペソ(30円)と格安。タクシーも20ペソ(200円程度)、物価は安いか
ら、お金が減らないのがうれしい。
14時半―17時半
結局、3時スタートで分科会。CIDC(*2)に加わる。手続きに時間を費やしている。メ
ンバーとボードの選り分けなど。「組織」のストラクチャーの手続き。今更、こういうこと
をしているのか。
バスを使って、いったんホリディインに戻る。
時差ぼけのため、少し寝る。
22時半―
タクシーで「文化の家」に。今度は倍の距離のせいか、40ペソ要求される。というかメ
ータがないから運転手の気分次第なのだろう。
イラン(テヘラン大学演劇学部)の「イラニアン・ソング」を見る。5名(女子3名)による
パフォーマンス。壇上(舞台上)の椅子に出演者は腰掛け、自分の演技の番を待つ。
途中で、「次の演目」をつけひげの男子学生がアナウンスし、女子二名によるパーフ
ォーマンスへ、という具合にオムニバス的に構成されているようだ。
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5月31日(月)
ホテルの位置が、少し離れているせいか、孤立した感じ。宿泊場所にまず「失敗」した
模様。日本では、現地状況が全くわからなかったので、こういう当たりはずれは全く
「運」としかない。
2時半―4時
CIDC委員会
代表を会長とするか、コーディネイタートするかで投票。メキシコのイサベラは「プレジ
デント」の名が気に入っているようだ。アジア地区「会長」のヤンさん(韓国ITI)も「プレ
ジデント」好きの一人。まあ、肩書きなんてアーチストにはどうでもいい話だが、その
周辺にいて、「文化官僚」を目指す者にとっては重要なのだろう。情けない話だ。ITIは
そういう「肩書き好き」人間ばかりが集まっているわけではないが、彼らの行動はその
分、熱心なだけに目立ってしまう。
バングラデシュのマジュンダーは人間としての「品格」が備わっている。キプロスのニ
コス・シャフカリスは素朴に演劇を愛しているのがわかる。
ホテルに一度戻り、そこからメトロヘタクシーで向かう。何もない原っぱに、この町に
ふさわしくない近代的建築が建っている。これがポスターの象徴デザインになってい
るメトロであったか、はあ。。中は恐ろしく空調が利き過ぎて寒い。イルマ・メザによる
ダンス・パフォーマンス。客はITI以外にも大勢来ている。
この国は貧富の差、階級の差が激しい、町を歩くと実感する。ここ(劇場)に来る人は
「上流階級」にいる人々なのであろう。メキシコセンターのイサベラもそういった人種、
「上流階級の女」あるいは、「お高くとまった女」という印象であった。
途中で抜け出し、近くの「湖」の湖畔へ。散策する。
「ITI一行」専用のバスに乗って、市内へ移動し、アルベルト広場での北東メキシコ演
劇祭の演目を見る事に。こちらもひとだかり。「村芝居」を見に来た感じ。「ただ」という
ことと田舎で刺激が少ないのだろう。芝居の内容、というより「何かある」ということで
人々はワクワク待ち望んでいる感じだ。これは演劇にとって「大切」な原点だ。この雰
囲気は、ギリシア劇でもかつて
似たものがあったのではないだろうか。
夜、アルベルト広場でパフォーマンスを見た後、広場に面したセビリアホテルで夕食
を取る。
肉料理と魚料理。肉がおいしい。魚は味が薄いので、ソースをかける。するとたまらな
く辛くなる。
それがたたったか、夜、吐き気を催し、朝方まで何度か吐いてしまう。食事から10時
間近く経って、胃の中にもう何も残っていないはずなのに、唐辛子のかけらが胃液と
ともに出てくる。「辛子」に胃が驚いてしまったのか?朝になっても、腹が張った感じと、
きりきりする感じが残り、食欲がない。また食事がのどを通らない。胃が受けつけよう
としない感じ。まいった。。。。
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6月1日(火)
昨日の夕食の後、もう何も吐くものが胃の中にはなく、
胃液を一晩中吐く、最悪の状態。
会議には出席せず、ホテルで一日休む。
食事は取れない。
水を少しずつ飲む。
体調回復をひたすら寝て待つ。
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6月2日(水)
ホテルで一日休む。最悪のメキシコになってしまった。
「ITI一行」は午後はビーチで昼食と「時間潰し」のようだ。このサロン的な場が好きで
常連になっている者も多いのだろう。ITIの苦手な所だ。必要のない相手と必要のない
会話をするのは得意ではない。
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6月3日(木)
朝、ホテルで朝食。「朝食付き」の件で、食堂の兄さんとまた訳のわからぬやり取り。
いちいち面倒な国だ。何とか、パンをふた切れ口に入れる。腹が張る。軽い痛みがあ
って、食欲がない。
11時頃、何とかホテルを出て、ふらふらしながらも総会会場のカミーノ・ホテルへ行
く。松竹の澤田さんを見付ける。具合を悪くした件を話すと、「あ、そう」という感じだ
が、同行して来た彼の妹さんも具合を悪くしたようだ。永井さんの旦那さんを見付け
る。薬は持っていないようだ。永井さんも一日具合を悪くしたよう。彼女は仕事があっ
てすでに帰国したとか。
12時、文化の家近くまで歩く。中華レストランを見つけて入る。「すし」と中華に分かれ
ている。「すし」を4つ取る。それでやっと腹ごしらえ、何とかおなかにものを入れた感
じ。
その後、ワークショップを見ようと思ったが、お腹の具合が悪いので、ホテルに戻り、
休む。そのまま、お腹の張り、軽い痛み、食欲無しが続く。メキシコへ来て、格闘の
日々が続く。
90年代に初めてポーランドへ行ったときのことを思い出す。公演のための劇場探し、
でのこと。あの時はホテルで一週間動けなくなった。食事も取ることが出来ず、そのま
ま死ぬかと本気で思ったが、今回は他に日本人もいるし、ITIの会議でまあ何とかなる
だろう。
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6月4日(金)
体調が戻って来たので、会場のカミーナホテルへ出かける。
総会3日目(最終日)を覗く。
ITI(世界レベル)を客観的に「外」側から責任を持たずに見るいい機会となる。日本セ
ンターの席には小田切さんと北村君が着席。
ITIにはあまりに多様な人々が集まりすぎ。それがこの組織を動きずらくし、わかりず
らくし、自分の目標を持った気鋭の活動家には魅力の薄いものになっているのだと思
う。日本ではITIの「必要性」は希薄である。しかし、韓国ではどうか?あきらかに「国
威発揚」の場として利用している。ヤン・フイセックさんは、そして前会長のキム・ジョン
オクさんも、韓国内での自分のステイタスアップのためにITIを利用し、だからこそITIを
より権威付けようとしている。
フィリピンはITIよりも「UNESCO」の方にポイントを置いている。彼らの社会で、演劇団
体より、ユネスコの方が、「国連」という言葉の方が意味をなすのであろう。今回の会
議を主催したメキシコセンターは、やはり彼らの国内やラテンアメリカ内でのポジショ
ンアップのために今回の会議の誘致や、この北東メキシコにあって、開発からも有名
な観光からも取り残された何の「売り」もない、さえないパウリスタ州との提携を利用し
たようだ。
海外のアーチストは、あるいは人種は、実に自分の為に様々な機会や組織を利用す
ることに長けている。日本人は気質として「お人よし」だなと海外に出るたびに認識さ
せられるが、ここでも同じことを確認させられる。
今日、蟻を1時間近く観察した。「文化の家」で、昼時の休憩を戸外のベンチで過ごす
際に。蟻は何の目的で働いているのか?その仕事は何のためにしているか?そして
彼らは何の為に存在しているのか?その蟻と我々(人間)はどう違うのか?
10時半、カミーノ・ホテルで総会三日目(最終日)を覗き、その後、途中で退座して文
化の家のワークショップを見学に行く。
ロシアのS専門家によるWSデモンストレーション。ロシア人のくせにぺらぺらの英語
を話していると思ったら、ニューヨーク大学で演劇を教えているようだ。まるで大学の
授業のような風景であった。スタニスラフスキーシステムに関して。このシステムは、
ずいぶん多くの「教師」に世界中で職を与えている。権威化されている。日本でもそう
だ。
スタニスラフスキーは真面目な実践家で研究者であったと思う。が、その後、システム
化し権威化された時、このシステムが演劇を狭く保守的な場所に閉じ込める結果を
招いた。
夜、ホテルでコンピューターと向き合い。深夜2時。以前より、「海外」に対し「熱」が醒
めたのだろうか。ここに来てからだがポジティブに動こうとしないのは、体調のせいだ
けではない。
プロジェクトの交渉より、自分が芸術的にこれから探求するべきことをクリアに出切れ
ば良いのだ。そのために、会議での配布物なども多いに助けになる。「思考の旅」の
中で見つける事、何かを。「何か」はこれまで自分が辿って来た道の確認でもある。
2000年の帰国以来(いやそれよりはるか前からの、自問、内省・・・の旅はもうしば
らく続く。思わぬ体調不良で殆ど動けなかったが、メキシコへ行って、よかったと思う。
たとえわずかでも日本とその日常のあれこれを離れることで客観化の「効果」は十分
出る。時々、日本を離れ、離れたところから日本を見る。このことが大切だと思う。
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