林英樹の演劇手帖 TOP


スロベニア・クロアチア演劇リポート
1996年5月ー6月
内戦で揺れるユーゴ、ボスニアに隣接する
リュブリアナ(スロベニア)、ザグレブ(クロアチア)に足を伸ばし、
更に国境を越えて北ドイツのリューベック、南下してケルン、
そしてパリへと駆け足した演劇道中記。



5月24日(金) 移動 東京からウィーンへ
東京発KLM便に乗り、
アムステルダム乗換でウィ−ン着。
ウィ−ンでは「ALOPHA」ホテル宿泊。
ウィ−ンはスロベニアに入る中継地として入ったのだが、
後にザルツブルグの方が便利だったらしいと知る。
来年からザグレブにKLMは便が飛ぶらしい。
何かとKLMを使うこの頃。。。

5月25日(土) 国際列車「クロアチア号」でいざ、スロベニア
ウィ−ン南駅16:22発、
リュブリアナ駅22:45着の「クロアチア号」に乗る。
途中でザグレブ行きと分岐。
あやうくザグレブに行ってしまうところだった。
直前で車掌に知らされ、客車を移動。

リュブリアナの「グランドホテル・ユニオン」に宿泊。
(1泊16、000円ってのは私にとってはちと贅沢)
事前に連絡を取っていたアルベルトが予約してくれたもの。
日本から来る客、というので気を使って、現地でもいいホテル(5つ星)を
取ってくれたのだろう。旅なれしているから安ホテルで平気なのに。

夜の11時前、リュブリアナに着くとアルベルトが出迎えに来てくれる。
予想に反して、良い車に乗っている!?のに驚く、失礼。
スロベニアでは変動前から西側の車が多く入っていたという。
旧ユ−ゴの中では裕福な国の方だったのだろう。
人々も何となく、おしゃれだ。
ザグレブとは随分違う印象。町も人も。
ザグレブは「浮浪者」風の人々が多かったのだが、
リュブリアナは着ているものも、高級ではないが、
それなりにセンスよく着こなしていた。

後に、ザグレブからの帰りの列車に乗り合わせた、
ユーゴの戦争地域(まだ内戦中)で、
国連の仕事をしている女性が言っていた通り、
スロベニア人は全体に「エレガント」な感じ、
ザグレブ(クロアチア)は粗野な感じ、という違い。
互いの歴史の違いから来るのだろうか、人種の違いか。
しかし、ちょっと前までは同じ国だったのだから、
ヨーロッパは奇奇怪怪だ。

5月26日(日)  リュブリアナ・演劇フェスティバル
演劇フェスティバル「EXODUS」
◎14:00−、電力施設跡廃墟空間での演劇上演
お化け屋敷のよう。入り口から一人一人中に通される。
幾つかの部屋があり、何が起きるかわからない。
観客は「迷路」の中で一人一人分断され、
待ち受ける俳優、待ち受ける事態に直面する。。。。


フェスティバルデレクタ−、ミランによると、
この上演を演出したコロンビアの***氏はこの工場のからっぽさと、
かつて市のエネルギ−を供給していた源としての、
見えないエネルギ−にひかれたという。
ここは「ジャイアント」だと演出家は述べたそうだ。
これは人間のからだと同じ、
少なくとも日本的な発想では、
空虚とかからっぽな空間(間)は
同時にエネルギ−に満ちているという逆説を含むし、
沈黙の重視もそういった「空」の発想から来る。
短歌はその象徴だ。
過剰な言葉の説明は何も満たしはしない。

しかし、何だか寺山ワールドだった(笑)
似たようなことを考える人はいるもんだ。


◎20:00−SMC(市立劇場)地下劇場 
『Silence』(沈黙)
MLADINSCO劇団(スロベニア、リュブリアナ)
演出 ヴィト・タウファ−(VITO TAUFER)

スロベニアの演劇はビジュアルに傾斜していると聞いたが、
理由の一つは言葉の空虚さに対する反省がある。
表現において過剰な説明はかえって表現の深さと広がりを阻害する。
またベケット、イオネスコの言語作業自体、
言葉を使って言葉の空虚性に言及せざるをえなかった、
というパラドクスの20世紀に対する問い返しが含まれる。
多くの20世紀現代思想は言葉のパラドクスを、
言葉を使って語らざるを得ない、
という二重のパラドクスに迷い込んで来た。
演劇はベケット以降と、どう向き合えるか。
それに対する答え方の一つがここに提示されている。
言葉(交渉、政治)に満ち、
一方で人間の残虐と愚かさに歯止めをかけられない
パラドクスに置かれたボスニアの状況を間近に見ながらの問い。
過剰な言葉で語られる叫びやおどしは…・・。
空虚、敗北感。。。。


この国の演劇は、ボスニアの状況とパラレルである。
特に若い演劇人は深刻に受け止めている。
かつて一緒の国の出来事だし、友人も多いだろう。。。。



演出、演技の抑制、しかし強いエネルギ−に好感を持つ。
舞台は5つのシ−ンから構成。
はじめダンサ−のような姿の女性、
石を連ねたロ−プにまとわりついている。
声を出す。あえぎのような声。
が次第にオペラの歌唱に、しかしときどき荒い声が混じる。
次にうしろの幕が開き、繭にからまり、
頭を大きな繭で覆われた男が現れる。



◎20:30ー オフィスのある建物の1F。
実験的な舞台。コンピューターと映像を「駆使」、
しかし、子供っぽさが目立つ。
どこの国も、新しいものを使いたがる若者はいる。
それは、えてして彼らの幼稚性を露出してしまう結果に。

アルベルト、そしてフェスティバル・ディレクターのミランに感想を聞かれ、
彼ら自身がエンジョイしている、
まるでおもちゃを与えられた子供のよう、と答える。
映像やものを使うのは良いが、
その場合使い方が問われる。
繰り返しが多く、しかも意味もなく、
これでは見ている方の思考が停止してしまう。
これはいわば「思考停止」を強制する舞台だった。
たぶん、彼らの意図に反して、そうなったのだろう。
稚拙さ。。。しかし、ここから徐々に成熟してゆくのさ、若者は。

*上記の上演題名などは、倉庫のダンボールをひっくり返せば、パンフレットが出てくるから、後日正 式な名称などのデータを載せます。コロンビアの演出家の名前は度忘れ。世界的に名のある方だと か。寺山の演劇も見ているようだ。

5月27日(月)
パリの大谷さんに電話する。
留守番電話にパリ滞在予定のこと、
観劇のこと、岩名雅記氏にも会いたい、と伝える。


16:30ー EXDOSオフィス訪問。
フェスティバル・ディレクタ−のミラン氏と話す
(フェスティバル観劇の感想、
彼が日本からフェスティバルに招待を検討中の
ダムタイプ、Nestのことなどを聞かれ、話す。友人、知人たちだ)。


 『ピロクテーテス』
(作ハイナー・ミュラー、作ソフォクレスの同名作品二本立て上演)
19:00ー、リュブリアナ国立劇場

ソフォクレスのギリシア劇『ピロクテーテス』と
ハイナ−・ミュラ−改作による『ピロクテーテス』の二本立て、という趣向。
が、何故二本立てか、その意図はわからない。

国立劇場の若く可愛らしい女優さんたちが、
よくわからない脈絡で唐突に衣服を脱ぎだし、裸になる。
こちらとしてうれしいが、どうも何かと裸になるのは、
ヨーロッパの「ヌーディズム礼賛」趣味か。
演出家(大概男性)の鬱屈した「若い女優いじり」趣味か?
なんにしても、男役者(男前だったり、しぶい役だったり)は、
この世界、どこでも女優の卵たちにようもてる。
演技に多少脂が乗ってくると尊敬心とあこがれが湧くのだろう。
に対して、演出家は、理屈っぽく、嫌味なことばかり言うから、
どこでもまずもてない。
そういう鬱屈を晴らす?
小さな家族的集団のような劇団ではあまりないが、
国立劇場のような権力を行使しやすい組織では
よくあることだ。オペラでも、バレエでも。。。


が、この「肉体謳歌」、私の分析では、
長い間キリスト教の下で、肉体が排除、
抑圧されてきた歴史と無縁ではない。
それは日本人には容易に理解できない。
身体(というより彼ら「肉食動物」にとってはまさに「肉体」
といった方がぴったり来るだろう)に対して、
日本では確かに江戸までは身体はある。
(養老氏によると身体があったのは中世まで。
江戸、そして明治には日本人から身体は消え、
心理(脳)のみで生きている、ということだが)

ヨーロッパ近代で、人間は神から解放された。
その矛先が衝動的に人間の肉体の露出に向かう。
夏のヨーロッパの海岸を歩くと、
まぐろのように横たわる裸、裸、裸の群れに戸惑う。
老いも若きも、みな裸。太陽が出ると露出大好きに突然変身。
しかし、ローマの教会では、Tシャツさえダメだ(腕も露出してはいけない)

裸になる、肉体を自覚するとは自然に近づく、ということだ。
ヨーロッパ人には、自然はなく(あくまで人間とは異なる別のもの)、
全てが人口、人為(つまり神の所業)のみだったわけで、
海岸と舞台での「裸礼賛」は、どちらも「自由」感と「奔放」さが売り、
ということで共通するのか。。。。。
それまでいかに肉体が抑圧された来たか、
その屈折した心理がここに表れている、ということだろう。


観劇後、ここの芸術監督に突然呼ばれ、
能と、三島の現代能の二本立てを上演したいが、
コンタクト取れないか、と尋ねられる。
いやはや。。。。。
その意味、意義(この二本立て?)が果たしてあるのか?
どこまで、日本の演劇を理解しているのやら。

5月28日(火)  クロアチアへ
8:50発ザグレブ行きの列車に乗る。
国境の町、ドノヴォバで列車は機動車を交換。
交流と直流の違いのためらしい。


ザグレブ到着と同時にさっそく駅前近辺で
見つけたセントラルホテルに部屋を取る。
ヨーロッパではかなり名の知れたユーロカズ・フェスティバル
オルガナイザーのゴルダナ氏に電話をしてみる。
まさに「飛び込み」、かなり驚いたらしく、
電話口で笑って話していた。
こっちでは、いきなり「トップ」と連絡を
取るのが何かと一番、これは日本と方式が違う。
日本ではそれは失礼、下から手順を踏んで、の文化だし。

で、15時半、彼女の事務所に行く。
かなり探し回る。
何せ初めての街だし、旧社会主義圏だから
英語も街では通じないし。。。。。

やっと見つける。笑顔で遠くからの客を歓迎。
劇団解体社の話し、演出の清水は古い友人だ、と言うと驚く。
彼女に口から鴻英良氏、西堂行人氏、内野儀氏、
中根公夫氏の名前が次々に出て、また驚き。


世界は狭いとゴルダナの弁。
「シアタ−イヤ−ブック」を渡す。
彼女は国際交流基金から英文の雑誌を受け取ったと言っていた。
クロアチアのサンニャのこと、
ITIのことを聞くが、
彼女はITIからは何の情報も受け取っていないと言う。
表情のリアクションが大きい。
いまは国際的オルガナイザーで、
彼女がディレクターをする演劇祭は、
ヨーロッパでもかなりグレードの高いものとして
各国に知れ渡っている。
が、やはり元女優らしい、仕草。何かとおしゃれだ。
まあ、もともと美人だし。

ITIのかかえる問題について考える。
保守的な人々が各国のセンタ−の中心にいて、
しかもあまり働いていない。
そのため、若くて活発な活動をし、
いまは世界の演劇の中心的な活動を担っている人々から
相手にされなくなったことが問題であり、
日本の問題と全く同じだ。



ゴルダナと話す。
上演のあと、彼女の仲間がいるジャズバ−で。
出演者たち、演出家のブランコも一緒。
彼は日本に3か月滞在したそうだ。
「日本の現代演劇には殆ど、興味が持てなかった」
ゴルダナは、「ヨ−ロッパ人にとって、能が一番モダンな演劇だ」と語る。

ヨ−ロッパではこれまでもうんざりするほどのブレヒチアンがいすぎて、
その時代ではないのだと言っていた。
時代遅れ、という意味ではない。
すでに多くの問題が提示され、
ブレヒチアンがなにも核心について(表現と演劇の)
到達できないでいることを知っているということなのだろう。

5月29日(木)  再びスロベニアに戻る、勅使河原とすれ違いになる。
14時10分列車でザグレブからリュブリアナへ移動。
コンパ−トメントに同席した大きなバッグを携えた女性は、
サラエボからの帰りだと言う。
オ−ストリア人で彼女の夫は国連の活動に携わり、
緒方貞子さんと一緒に仕事をしていると言う。
サラエボはいま静かになった、
しかし人々には仕事がない。
お金が必要だという。
紛争の解決はと聞くと、
韓国と日本でさえ、50年経っても解決していない、
ましてや彼らは兄弟同志で闘ってしまった。
もっと複雑だと語る。


リュブリアナに戻って、
EXODOSのオフィスに行く。
エレベ−タ−で迷って、一人の女性に声をかけると、
彼女は勅使川原三郎さんのマネ−ジャ−だった。
いま到着したらしい。残念ながら行き違いである。


ミランと会う。シモンと話をする。
彼は演劇がコンセプトやロジックにかまけたり、
政治や社会的テ−マのために存在することに反対のようだ。
心の中の深いところから湧き出てくるものに、
純粋であることこそ重要と語る。
昨日見たブランコ・ブラゾヴェック(BRANKO BREZOVEC)の舞台の話しをすると、
彼は嫌いだと言っていた。
私はブランコに伝えた自分の感想をミランにも語る。
辛口評。


20:00−Theatre Mladinsko /SMG
『The Town I've never Been』

鉄骨を組み、
10名ほどの役者がその上を、全身を使って這い回り動く。
悪魔的な音楽が生演奏される。
演出はMatjaz POGRAJC。
万有引力を思い出す。
寺山さんはここまで来て影響を与えているのかしら、
と思ってしまった。



他の国で演劇人と会話をしたり舞台を見たりしていると、
日本にいるときには不可能な、
つまり静かに客観的に自分のあるべき姿、
求めるべきものを見つめなおすことができる。
なにかを指し示す道具としてではなく、
演技それ自体が表現であり、
存在そのものが語るもの。
語る内容は単純だが、奥深く神秘であるもの。
つまり人間存在そのものについての神秘。
動きそのものの中に魂があり、
行為は何かを語る道具ではなく、
それ自体生命を持った人間活動。

5月30日(木)  北ドイツ・リューベックへ向かう
列車(夜行寝台)でリュブリアナからミュンヘンへ移動。
朝6時ミュンヘン着、
乗換ICEで7時発、ハンブルグ1時着、
リューベックに14時過ぎ着。
同市に滞在する、
室坂京子さんに会いにここまで来た。


Burgkloster リュ−ベック旧市街にある元修道院跡、今は市が運営。
ここの企画として作佐部潮氏のインスタレ−ションの製作企画が通ったということ。
材料費、滞在費は先方が持ってくれ、
3月から滞在している。5月4日−6月9日まで展示。

室坂さんと作佐部さんに修道院の中を案内してもらう。
12世紀頃の建築、すごい雰囲気だ。

こちらではア−チストレジデンスが発達。
ア−チストたちが長年にわたって努力、
日本人がうらやましがると、彼らは怒って、
ここまでくるのは大変だった。
あなたがたはそういう努力をしているのか、と言われるそうだ。
しかし、日本とドイツの芸術環境の格差は激しい。
こちらではこれからのもの、
まだ何とも評価のつけようのないものも企画が面白ければ、
やらせてみようとということになるそうだ。
また、個人が会社のオ−ナ−や市長、州の知事クラスに直接申込み、
彼らの目にとまることもしばしばある。
日本のように、幾度も手順を踏み、
企画書がたらいまわしにされ、
あげくのはてには決定権のある場では目に触れることさえなかったり、
ということはない。
トップがOKを出せばそれでOK。
会議を何度も繰り返すという日本的民主主義と、
それによる膨大な時間の浪費、
その間、ア−チストが何度も書類を書かないとならない
という無駄な時間(芸術家にとって)の強制もない。
合理的だ。
「日本的規制」の無駄がなく、物事が柔軟に進行する。

システムの問題−州の分権がはっきりしている。
この州は豊か、市や州が半分、
あとは個人の寄付、
個人に対して企画が面白ければ寄付でき、免税となる。
日本は免税のためには公益増進法人にならないとだめであるし、
これになるには大変な労力が必要、ということはない。
芸術に対して本当に理解しているかいないかは関係ない。
そのことで人が集まり、
その人々が宿泊すればホテル代を払い、買い物もする。
それは町の収入になる。
だから自治体と芸術家は相互扶助しているという考え。
お金はあくまで循環するものという考え。
だからたとえばカタログを作る、ということだけで市から助成が出る。
それは印刷所に印刷費として払われるわけだから、
町の収益に貢献するという考えだ。
ここで得た助成を、国外で使うことはだめ。
あくまで助成は国内で使う。
助成により仕事を増やし、
それは人々のもとに還元されているという考えによる。

彼らが主に言っていたのは、システムの問題。
日本では決定にものすごく手間がかかる。
しかも会議で決めるということで結局実現がむずかしくなる。
こちらはトップがOKであれば、すぐ物事は決まる。
また担当者が長く担当する。
日本のように3年位でかわるとうことがない。
かわればまた一から話しを始めなければならないが、その無駄がない。
担当者の理解力も深まってくる。

芸術やア−チストの存在が日本のように、
社会から除外されていない。
一般の人には理解しがたい人の存在、活動を初めから認知。
わかなくても否定しない。
わらないことをやっている人、そのプロセスをも大事にする。
しばしばそういう人がやがて大芸術家として成長した経験を幾度も見ている。

たとえば、ウィ−ンに旅行者が行くとしても、
工場を見に行く人は誰もいない。
オペラを見るために行く人は沢山いる。
オペラのバックステ−ジツア−さえある。
パリに行く人もパリの銀行を見学に行くのではなく、
ル−ブル美術館があり、オルセ−美術館があり、
芸術的・文化的な雰囲気に魅せられていくわけだ。
高度な文化のないところに人は好き好んでは行かない。
結果的に彼らは町にお金を落とす。
こういった循環。
お金の循環をよく知っているから芸術家に、
たとえそれを真に理解していない人でも、
事業で成功して一定のお金を持つと寄付する。
だから個人の寄付はドイツだけでなく、他の西側諸国でも極めて多い。
芸術家サイドも、こういったお金の循環を認識し、
自分たちの活動がみやげ物屋さんにも、
商店にも、印刷所にもホテルにもそこで働く人々にも
一定の貢献をしているのだという論法で、資金を集める。
決してお金をねだるのではない。
還元してやっているのだ、という意識に立っている。
だからどんどん市にも州にも、
企業にも富裕な個人にも、助成を依頼し、
企画が面白ければ、とりあえず結果はどうなるかわからないが、
試しにやらせてみよう、ということになる。
結果として、新しい若いア−チストが育ちやすい。


インフラストラクチャ−
 "文化紹介"から"育成"へ。
作佐部さんらは、国際交流基金から助成を得られなかったという。
理由はすでにドイツはさんざん日本から行っている。
まだあまり日本の文化が紹介されていないところへ出したいからとのことだ。
これはわかる。
そもそも芸術への助成の規模自体が信じられないほど小さいため、
助成を出せる対象が限られてくる。
国際交流基金を責めるわけには行かない。
もっとその上、政策全体と人々の意識、
つまり芸術を第一次、第二次産業と同レベルに考えない。
それがお金になるものを直接生み出さなくとも、
第四次産業的な貢献、
つまりそれが存在することで第1次−第3次の従業者に貢献しているという認識が 必要。
そうすれば本気で育成もしよう。
いまは、ただ日本文化紹介段階で終始している。
海外での共同作業は芸術家を大きく育てる。

国内でも育成に対する認識がない。
たとえばア−チストレジデンスが普及していない。
スタジオ、作業場所などが市などから格安で提供されているが、
日本では創作のための場を持つことは不可能に近い。
発表の場ばかり作っても、
じっくり作る場がないとやっつけ仕事しかできない。
そのため現代演劇などは、
非常に安易なものしか作れず、
観客収入が大きくものを言うため、
必然的に客受けするものしか作れなくなり、
それ以外のものは短命になってしまわざるを得ない。

日本の演劇、芸術環境は、まだまだ劣悪。
とても「先進国」なんて言えたものじゃない。

5月31日(金)  ケルンで岩名雅記の『式子内親王』を見る。
リュ−ベックを離れる。
11時53分ハンブルグ発、16時10分ケルン着。
前に『CATALY』のドイツ公演で一度来た町だ。
駅前の大聖堂がなつかしい。

タンツラウムで岩名雅記の『式子内親王』を見る。
マイナーな場所。
まさか、こんなところに彼の舞台を見に私が来るとは予期しなかったであろう。
とっても不思議な感じだ、私にも。

岩名氏との短い会談。
フランス、ドイツのア−チスト(演劇関係)はいま大変だとのこと。
今回の公演もこれまでなら公演に対して市の助成が通常つくのだが、
今回はチケット売上だけなので、大変だったとか。
パリでは、もう何年も舞台の仕事についていないという役者が沢山ごろごろいると か。
ヨーロッパでは、日本のように自腹を切ってまで公演をする、
という習慣がこれまでなかったのでよけい大変らしい。

室坂さんたちの意見は美術のジャンルであること、
彼らがあらかじめドイツに支援者がいたこと、
彼らのいた北部州はドイツの中での特に豊か、
という条件を考えに入れなけばならないだろう。

岩名氏の公演をケルンで見て、滞在する暇もなく、
24時12分発の夜行でパリへ向かう。

6月1日(土) ケルン発、朝パリ北駅着
オペラ近くのエルダ−通り、グランドホテルオ−スマンに宿泊。
パリではITIの会議に出席。パリを楽しむわけではない。
会議、会議、の非演劇的数日間を過ごす。
話題はいつもながら「財政問題」について
延々と議論。フランス語と英語で、頭が痛くなる。


6月3日(月)
三日間の会議は遂に終わる。
欧米人の会議に対するエネルギーには恐れ入る。
朝の9時から夕方の9時まで、
ぶっ通しで会議をしてもまだ元気だ、連中は。
こちらは拷問かと思ってしまう。。。

気分転換!
13時50分、パリリヨン駅発TGVでカンヌへ向かう。
カンヌ7時52分着。

駅前の小さな宿、ロバ−トホテルに宿泊。
受付の男性は片言の英語で親しく話してくる。
日本人は賢いとしきりに言う。
禅のことも言っていた。
こっちの人間は'争そい事'ばかりする、よくないと。
カンヌの海岸、繁華街を歩く。
映画祭の時期はにぎわうのだろう。
いまは、静かだ。こういう時期がいい。

6月4日(火)
カンヌから列車でセントラファエルまで出て、
そこからバスでセントロペスへ。
小さな町、ヨットハ−バ−があり、あとは何もない。
そこから次のバスを二時間待って、
ツ−ロンへ出る。
南フランスの田舎。海岸沿いの風景を見ていると心がなごむ。

ここからアビニヨンに行くつもりでいたが、
予定していた列車が走っていないことがわかり、
急遽計画を変更し、21時16分初の夜行でパリへ。
が、あやうく違う列車に乗るところだった。
表示がパリと出ており、
駅員や案内もそれだとか言うので信用していたら、
方向が違う列車だった。あぶない、あぶない。

風邪を引いていて、かなりしんどい。
明日は飛行機での長旅(東京へ)なので、よけいつらいところだ。
サントロペから東京の事務所の留守電聞く。


TOP
戻る