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テラ 上演活動再開4年目の夏


『CATALY』ヨーロッパツアー (1994−95)


テラ・アーツ・ファクトリーが上演活動を再開(新集団を組織)してから4年目、そし て創立から24年目を迎える。

1990年代初頭に体系化した訓練メソッド「ファリファリ」(2006よりFメソッドと正 式に命名)に基づく身体表現。それと「集団創作」によるコラージュ的な作劇スタイ ル。この二つを融合させる試みを1990年以降、模索し続けた。が、それは困難 を極める道であり、かつ道なき道だった。何度も何度も壁にぶつかり、その度に立 ち往生し、時には活動休止状態にまで陥ることもあった(やりたくても人とカネが付 いてこない、という現実の壁)。


世界中で「ファリファリ」を使ったワークショップを実施し、それはどこでも人気絶大 だった。一度やるとそれに参加した多国籍のメンバーから「俺の国でもやってく れ」、「私のところでも」と次々にオファーが来た。

1990年から教えていた専門学校でも2002年に授業の中の身体訓練として実施 してみたが、若い生徒たちに極めて評判が良かった。中には病み付きになった生 徒もいて、結果として現在のテラ・アーツ・ファクトリーにつながっている。


90年代に海外で上演した、身体性をベースにしたコラージュ作品『SPIRARE』、 『CATALY』、『デズデモ―ナ』は、向こうの観客には極めて好意的に受け止めても らった。が、同じ作品を日本で上演しても、「ストーリーがわからない・・・」。日本で は80年代以降、演劇も市場原理に取り込まれていった。結果として尖鋭な表現 は、周辺に排除(無視)という状況になっていた。「わかりやすさ」、「気軽さ」、「口 当たりの良さ」・・・。



海外の観客は自分で勝手に想像するのが好きらしく、そういう人たちが劇場に足 を運ぶ。だから勝手に想像してくれる。はじめてフランスで公演した時、終演後、劇 場のロビーに観客が待っていて、「自分はこう受け止めたが、それでいいのか?」 とわざわざ私たちに自分の感想を伝えに来てくれた。舞台作品に対する受動性 (日本)と能動性(フランス)の違いを感じた。それは劇場文化の「成熟度」の違い (日本には劇場文化はまだ育っていない、との意見もあるが)なのかどうか、私に はわからない。が、車でオートマチックが殆ど普及していない国民性(私が行った 時にはオートマチック車は10%くらいしか なかった)。「何で車の運転まで機械に 任せるんだ」、「マニュアルでないと運転する楽しみがないではないか」。こういう反 応を示す国民性とどんどん便利さを追求してきた日本人の差異がかいまみれられ る。想像することさえ、他人に委ねてしまう。自分はその「答え」を受け取るだけ。 ある大学教授が最近の学生は自分で考えようとしない、答えばかりを求める、と語 っていたが、全体がそうなっているのか。自分で頭と心をフルに使って想像するこ とくらい楽しいことはない、そう思うのだけど。いつの間にか想像する楽しみさえ 「去勢」されてしまったのか?


便利さは善し悪しである。使い方を自制しないと精神的に自立できない「半大人」、 「半人前」人間が増大する。子供たちに何でも与えるのはいいとは思えない。欠乏 によるハングリーさ、自力で何とか問題を解決しようとする自立心。そういうのがこ れからはより必要になるのだろう。選挙をやるなら、論点は「想像力」、にしてもら いたい(笑)。


今までの日本は、依存型社会だった。レールに乗っていれば何とか無難に生きて 行けた。会社に就職すれば何とか一生が保障された。これからはそうは行かな い。次回の選挙では日本の進路を左右する判定がなされるかもしれない。自民、 民主、どちらが勝っても、今までのあり方、「相互依存型」社会から少しずつ「自立 型」社会に向かわないと立ち行かない、ということを暗示させている。



活動再開4年、創立24年だが、何でも創業100年を迎える老舗が日本には2万 社くらいあるそうだ(東京新聞8月13日朝刊)。1000年を越える「企業」もあるそ うで、一番古いのは創業578年(飛鳥時代)からの金剛組(寺社建築業、大阪府) とか。それを考えると24年なんて、何のことはない。スタートが「苦難」の連続だっ たから、次世代に つなげて1000年続く集団になったらいいな、と夢はふくらむ。 「ファリファリ」、「集団創作」、これは少なくとも100年後も通じるものと確信する。 あとは、続くも消えるも次世代と時の運。初代としては「二代目」以降に委ねるの み。が、当分は頑張ります。そういう気持ちの4年、であり24年、としよう。勝負は これから。



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