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1996年9月28日(土)
4:45AM着。
ジェルリ(演劇学校の管理監督)とマリアの弟が車で空港に迎えに来てくれる。
3PM:市内をジェルリに案内されて歩く。
7PM:演劇学校のスタジオで学生(3年生)の芝居を見る。ジェニ−という名の殆ど
ヌ−ドに近い恰好をした女の子が代わる代わる5人出てくる、少し趣味の悪いエロ
スをテ−マとした芝居。
9PM:観劇後、ジャ−ナリストと飲食。
*マリア:カトリック大学演劇学校の責任者で演技教師
*ジェルリ:演劇学校の管理監督
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9月29日(日)
マリアの弟の運転で、ジェルリとともに、リマ郊外のマチュピチュ遺跡に連れて行か
れる。
するべきことを早く済ませないと、というあせりがあるが、なにせマリアが車でリマ
から8時間の村に行っているとのことで彼女が帰ってくるまでどうにもならず、のん
びりしたジェルリとともに、「テイク・イット・イージー(気軽に行こう、ジェルリの口
癖)」の気持ちで時を過ごす。それにしても2時といっても3時に来るジェルリは典
型的な南米の人間で、のんきでいい加減な感じだ。大丈夫かよ、ったく。
7PM:リマに帰ってきたマリア・リサとピントにやっと会える。
*ピント:カトリック大学演劇学校教師、演出家
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9月30日(月)
11AM:ホテルでマリアと待ち合わせ。彼女は時間通りに来た。一度も時間を守っ
たことのないジェルリと違い、しっかりしている感じでほっとする。こういうところに来
ると、自分はつくづく日本人(時間厳守、段取りきちんとする、式の)なんだ、と感じ
る。(*まあ、徐々にそれも海外での経験で変えられ、ハラが据わってくるのだが)
11:30PM:マリアと新聞社「EL・SOL」に行く。厳重な警戒体制で、パスポ−トか
ら荷物までチェックを受けて、中に入る。テロが頻発していたため、今もこうした厳
重警戒をしているそうだ。そこで、通訳のりつこさんと合流。彼女はブラジルで生ま
れた二世で大阪大学に4年間留学し、近松を研究したとのこと。結婚し、夫の仕事
の関係でペルーに移住したそうだ。ポルトガル語が母国語なので、スペイン語は多
少発音がペル−人と違うらしい。日本語も流暢だが、やはりネイティブの日本人の
ようには行かない。しかし、見識が深くまた頭が切れる、かつ日本文化に対してた
ぶん普通の日本人以上に造詣が深い。
新聞に記事と写真が掲載予定。(今週木曜日)
1:00PM カトリック大学本部に着く。東洋文化学部に行く。
1:30PM ITIのビオレッタと会長のガレッタ氏と会食。
4:30PM ブラジルビザのため、病院に行き、黄熱病の注射を打つ。
5:00PM 演劇学校にジャ−ナリスト6名集まり、インタビュ−と質問。持参した写
真が少なすぎた。
マリアと打合せ
ワ−クショップについて、実施したいが、公演最中や、仕込みの時は集中できな
い。早めに来る努力をする。
ポスタ−制作について、制作には約2000ドルかかるそうだ。それは先方が経費
を出すとのこと。ポスタ−用の写真を渡す。
このように本人が直接(海外に)来て、事前に直接インタビューを受けたり、会見を
するのが宣伝広報にとって効果的であることを改めて知る。資料のコピ−だけをた
だ送っても弱いが、直接本人が話すと、相手も納得するようだ。
ブラジル大使館の住所が変更していて、コンタクトがつかない。マリアに調べてもら
う。公衆電話からの電話のかけ方がわからない。ホテルからMCI(アメリカの電話
会社の専用カード)は使用できない。学校の電話もだめ。ブラジルに留守番メッセ
−ジを入れておく。
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10月1日(火)
11AM ブラジル大使館、ビザ申請。
1:30PM 市立劇場、打合せ、照明監督MOSCOSO氏。
3:30PM ペル−日系人協会、神内先駆者センタ−部長小波津エレナさん、通
訳。
打合せ内容 食事、昼と夜は弁当にしてもらうことに。ペールー滞在日、11月27
日、28日、29、30、12月1日。
照明、照明バトン3台、下ろせる。上に登れる。美術バトンは多数、全て手動。
ディマ−は32CH。
音響はカッセト2台あり。ミキサ−あり。
舞台は黒のシ−トを市立バレエ団から借りてもらい使用する。
そで幕は黒、幅は変えられる。
4:30PM ブラジル大使館、ビザ取得。
6PM ホスタル・サン・マルタン。
11月26日から12月1日まで6泊10名、10室予約する。25ドルに割り引いても
らう。また東京都文化財団への提出のためのレシ−トについて、事情を説明し、作
成依頼をする。
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10月2日(水)
9:00AM、ボリバ−ル・ホテルをチェックアウト、
空港にて、キャンセル待ち。
ヴァリグ・エア−ライン12:05発サンパウロ行き、出発の30分前にようやく席が取
れる。
7:45PM(リマとの時差2時間+)サンパウロ着。
リマ、ETUCにTEL。マリア、ジェルリと話をする。
まあ、とにかくブラジルだ。やっと文明のあるところに来た感じで、空港のマクドナ
ルドでほっとする。パウロにTELし、ここで待ち合わせ。第2タ−ミナルの2階にあ
る。
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10月3日(木)
今日は休日で選挙の日(市長選挙)ということで、どこも閉まっており、全く動きが
取れない。
2時:ホテルでマルシオ、パウロと待ち合わせ。
結局、交通事情のせいで、4時の到着。市内見学をするか、ということでマルシオ
の車で、巨大な文化会館、ア−チスティックなデザインの近代美術館などをまわ
る。その後、モダンなカフェ・バ−で食事を取る。
9PM:SESC劇場にてアントニオ・フォアォロウ演出の『ドラキュラ』をマルシオ、パ
ウロとともに見る。彼は鈴木忠志と親しい。独裁者的演出家として現地では有名。
相通じるものがあるのか。
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10月4日(金)
11AM サンパウロの国際交流基金訪問挨拶。
SESCとはいつも一緒に仕事をしている、とても緊密な関係にあるとのこと。また、
スタッフワ−クは徹夜でもやる、ということで、南米の人間は働かない、というイメ−
ジとは全く異なり、SESCの仕事はしっかりしている、日本と変わらないのではない
か、と国際交流基金所長の大谷氏は言っていた。
また、日系人がたくさんいるが、国際交流基金の仕事はその人達との交流が目的
ではなく、ブラジル人との交流が目的なので、特に日系人社会に対してアピ−ルす
るということは考えなくてよいのではないか、と言っていた。
広報についてはSESCはしっかり任せられるし、ネットワ−キングを持っているの
でブラジルの新聞は彼らに任せればよい、日系新聞3誌については、交流基金か
ら遣ってくれるそうであるので、写真資料を送ってほしいとのこと。
1PM パウロ、ホテルにピックアップに来てくれる。一緒にマリア、通訳として同行
し、SESCに行く。テクニカルに関する打合せ。
5PM マリアの家に行って、スケジュ−ル、メンバーの食事の手配はどうするか
打ち合わせる。
東京都に申請する領収書について了解を得る。助成対象は、宿泊と荷物輸送費と
ちらし作成費の3つに限定されているので、宿泊とちらしの領収書について、依頼
したい旨説明する。
あと、ライトの機種、入場料、パウロたちの経費はどうするか。またパウロの立場
は、など相談しあう。今回の企画は、TAFの主催であるが、サンパウロ公演の招
聘者はカンピナス大学のマルシオ・アウレリオになっていることを説明。SESCは
会場、その他の協力という形であることの確認。
SESCはスタッフ、機材など含めて、何でも協力し、そのコストも含めて面倒を見て
くれる。だから多少狭いが、他の劇場ではなく、SESCが良いのではないかと判断
したとのこと。了承する。他の劇場だと、スタッフにしても、機材にしても全て経費が
かかる。SESCのように人材も整っていない。
9PM:田中泯さんの公演『A Conquista do Mexico』をセルジオ・カルドス劇場で見
る。
彼がブラジル人200人の希望者の中からオ−デションし、選んだ14名の俳優や
ダンサ−によって演ぜられる舞台で、アントナン・アルト−のテクストにもとずき、ス
クリプトをかき、ワ−クショップスタイルで作り上げたそうだ。一日に10時間も訓練
をしたそうで3週間で仕上げたという。舞台は泯氏も出演しているが、スペクタクル
としても面白く、またアルト−の世界を彷彿させる内容で、演出の力を感じた。
はじめに、少年が客席の小さな舞台に。音がブ−ンをなる。そしてときどき馬のひ
ずめの音。次に舞台、特殊な衣裳、
終演後、楽屋を訪ねる。木幡さんがいて驚く。しばらく泯氏も交えて話をする。初日
で仕込みが大変だったしく、4日の予定で契約していたのに、突然他の演目を入れ
られ、2日の仕込みになってしまったという。道具がいろいろとあったので、大変だ
っただろうと思う。プロデューサーは現地人だそうだ。
11PM:パウロ、パピ−タ夫妻とともに、イタリア人街を歩く。ディスコ、ダンススポッ
ト、バー、レストラン、ライブスポットがひしめき、歩道上にも沢山の人が、テ−ブル
を囲んで飲食をしている。イタリア系が多いらしく、いかにもイタリアンの雰囲気、開
放的だ。
そのあとレプリカ広場近くの、「レッドゾ−ン」をまわる。街頭に立つ娼婦たち、スト
リップ劇場、完全に女性にしか見えないゲイの"娼婦たち"が立つエリア、ホモのカ
ップル、ドラッガ−、などひしめき合っている。勿論日本人一人では歩けないエリ
ア。彼らと一緒なので歩ける、というわけ。とても面白い。
そこのスタンドバ−で軽く腹ごしらえし、ホテルに戻ると一時過ぎであった。
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10月6日(日)
日本の菜穂、吉永にTEL、菜穂にはスケジュ−ル、13日にミ−テングのことなど
指示。
6PM・・マルシオ、パウロとミ−テング(ホテルで)。
『デズデモ−ナ』のビデオを見ながら。マルシオは非常に作品の主旨を深く理解し
てくれた。特にコントラスト、第一部と第二部の変化の仕方、首締めのシ−ンのあ
と、「アザー」たちがクールにたんたんと舞台を動く様に感動していた。また光との
コントラストなど全てに感動していた。冒頭の椅子のシ−ン、オセロ−が包囲され
るところも好きだと言っていた。
8PM・・お洒落なイタリア風カフェでマルシオ、パウロとイタリア系のアウグストと会
食。
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