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演劇の「コンビニ化」現象打破!!
2006年7月16日 日記より
舞踏を見てきた。東北でやっている人で、東京では初だそうだ。で、舞踏だから「ま たあれもの?」とあまり期待していなかったが、いやいや行ってよかった。舞踏とい う過去の化石、形式を見せられるのではなく(それものばかりが無意味に80年代 以降拡散)、ちゃんと主張がある、その主張は生活に根ざしている。だから表現の 背景があり、リアリティーが感じられて、納得した。

OM2の真壁さんと打ち合わせがあって、互いの時間が合わず、結果的に氏の主 宰するディプラッツで行われている「ダンスが見たい!」の後で話そうということで、 ついでに見てしまった感じ、の次第。期待しなかったから良かったのかなあ。中沢 氏のアフタートーク付き、ってことはもしかして理屈で、内容の貧困を補うような類 かな、とか危惧もあったが、違っていた。

ふだんは東北、山形の過疎の村(大蔵村)で百姓をやっている演者が、そこを舞 台にした(大地に根を張ったというか)作品。普段、農村で彼自身農民をやりなが ら日々感じる不条理、不合理の怒りを表現を通して抽象化し、形にしたものだ。だ から説得力がある。農機具、がテーマだったり、農薬とそれに殺される虫の立場、 が主題だったり。農機具というのはばかばかしい。田植え機なら田植えの時期だ け使われてあとは一年中、納屋でほこりをかぶっている。のに、その借金が何年 も農民の上にのしかかり、彼らを貧しいままの借金漬けにする。


私の父は、農業技術の専門家で農業経営、農業経済が専門。北海道庁で役人と して長く働くが勤務先は道庁ではなく、各地の農業改良普及所。農村をまわり、農 民相手に技術指導をする職種だった。それゆえ、農村の不合理、戦後の農政の 問題をいつも耳元で聞かされていたからよくわかる。

日本は江戸までコメを基本とした社会だった。明治以降、工業化をめざし、ヨーロ ッパの仲間入りをめざし、戦後は更に農業の切捨てを(たとえば減反政策)果てし なく続け、ついに農村は崩壊寸前、専業農家としてやっていこうという後継者は未 来に希望を持てなくなっている。

この問題は、これだけ農業、農民が忘れられようと、やはり毎日彼らの作ったコメ を食べている、野菜を食べている東京人にとってほんとは無縁ではないはずだ。 だから、百姓であり舞踏家である(かつ詩人でもある)彼がやっていることは東京 でやられてもいいはずだが、今の東京の観客には、かっこよくないとか古いとか、 ださいとかそういう見方しか出来ないだろう。一種の東京病だ。

舞台芸術も、単なる都市の消費物の一つでしかなく、はやりすたりのサイクルの中 でしか見られない。ということを危惧してか、アフタートークで中沢氏もそのことにつ いて触れていた。連休に山形行ったし、その時の農村風景(農村の崩壊しつつあ る風景)も見てきたばかりだから、この舞台は東京でやるべきと思いつつ、でも東 京でやっても東京の観客には響かない(不感症、というより無感症状態)、のかな と思った。

終演後、新宿に戻り、別の芝居を見ていた藤井と、昨日のことも含め、テラの話、 次回公演の集団創作を前に進めるために今何が必要か、など25時半くらいまで 話す。稽古終わった後とか、必要があれば何時までも話すべきなんだよな。明日 朝から仕事(バイト)があるからとか、それって違うよ。最近の若者で芝居をやって いる連中は、サラリーマン化している、とは私の知人の演出家O氏のぼやき。。。


自分自身が20代の時は、出来るだけ芝居に使う時間を増やしたく、時間給のい い仕事をバイトにした。で、深夜の高速道路をぶっ飛ばす運送の仕事(情報関連 業の末端の仕事だけど)をやったり。車持込み、外注式で一件につき幾らで仕事 を取ってきた。その代わり危険と隣り合わせ。仙台とか福島とか、水戸とかまでの 距離を限られた時間の中で朝までに往復しなければならない。情報処理関係の末 端の仕事でコンピューターの磁気テープを運ぶのだが、決まった時間までに東京 の本部のホストコンピューターに戻らなければならない。コンピューターの足になっ て、命をすり減らすような仕事だ。実際、大型トラックにぶつけられてつぶれて死ん だ同僚もいる。

で、寝不足は敵なんだけど、でも当時二ヶ月に一本芝居を打っていたから、年中 寝不足、運転中も常に芝居のことを考えている。おかげで何度も死線をさ迷った。 まあ、人生に対してどこかやけくそなところもあって、いつ死んでもいいや、って心 のどこかで思ってたから死ななかったのだろう。死んだらよっぽど楽になるかなっ て思ったりもしてた。高速道路を150キロくらいでぶっとばして、いつのまにか意識 がとぶ(寝ている)ことがあって、でも不思議とカーブの直前で目覚めて、そのまま あの世行きにならなかった、ということが何度かあった。今でも時々、カーブの前で 目が覚めた、その時のことをはっきりと思い出す。だから、きっと生かされてるんだ なあ、と思った。


生きているのがやけくそのようで、その行き場のない絶望感が舞台の表現や作品 のもととなりエネルギーとなって表出して、それが結果的に舞台に狂おしい形で反 映して観客を強烈に惹きつける(アジア劇場の頃)。生活実感(文字通り<下から >)に根ざしたところから舞台も生み出されていたわけだ。

バイトをしに来るように稽古場に来たり(今の演劇やっている若者たち)、定時にな ったらさっさと帰ったり、って違うよな。だったらやらないほうがいい、こんな苦しい こと(創造するって本当に苦しいことだ、年中逃げ出したくなる)。時間との闘争だ よ、これは。生きてゆくのは大変だけど、でもそれでもなお、自分の時間、自分を 表現し創造活動に向かう時間を勝ち取る、そういうことだよ。それが、定年退職し て、やることなくなって時間を持て余してしまうサラリーマンと同じになってどおす る!いのち削って、生存だけで大変な中から時間のやり繰りして、必死で「自分の 時間」を作る、「自分の時間」を命がけで闘いとって、そして初めて自分が主人の 時間(創造の時間)を奪取するものだよ、表現活動って。


うめ(藤井理代)といつものように芝居の話をしながらふと昔を思い出した次第。も ちろん、来週の稽古(集団創作)を進めてゆくための話もした。演劇の「コンビニ 化」現象打破、これだね、今後のスローガンは。



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