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『血は立ったまま眠っている』(寺山修司作)観る。
観劇後、月蝕の高取さん、流山児さん、NHKのディレクターの方たちと居酒屋へ。
そこのオーナーが岩見沢出身と聞いてびっくり(同郷)、今日の公演の芝居小屋の
主でもある。
『血は・・・』、1960年代後半期の作品かな、と思ったら60年の作品だった。港町
のうだつのあがらぬ若者たち、不良たち。自衛隊基地に爆弾を仕掛けるテロリスト
になっていく若者の話。テロリストの孤独な若者は「灰男」と言う。おお、次のテラ・
アーツ・ファクトリーの作品には「灰」がタイトルに入るからして、これは無縁ではな
い。
この戯曲を1960年に書いたというのは、スゴイ。劇団四季で上演されたものだ。
それもスゴイ、色々な意味で。最初に書いた戯曲が劇団四季で上演のため、寺山
さんはそれを再演したがらなかったと、話には聞いていたが、こういうスゴイ世界と
は予想もしなかった。新劇ではやれないでしょう。
新劇の体質は社共的左翼だから、生徒の非行に悩む良心的教師の話は出来て
も、まさか爆弾テロリストを主役にする舞台はできない。新劇は左翼でも現状維持
派、そこが60年代後半期の若者には支持されなかった点だ。だから60年代後半
期の若者はアングラを支持 し、新劇から離れてしまった。それが現在の観客減少
(学生、プチインテリが現代演劇の支持層、観客だから戦後期から50年代に学
生・ 若者だった新劇の観客は自然減しつつある)に結果としてつながって くる。
いきなりテロリストの孤独な青春世界だからなあ。70年代を予期していたような感
じだ。それを60年安保の年、反体制運動が牧歌的で、学生の「挫折」がやたら流
行った「楽天的」な時期に、更にインテリ左翼・保守左翼を根源からひっくり返すよ
うな青年像を描いていたこと に驚き桃の木。70年安保後の70年代中期ころにこ
そふさわしい感覚、先取りしている。
アンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』(ポーランド映画)の地下水脈に通じる世
界なのだろう。「灰男」の「灰」はそこから来ているのか。
終演後、小屋の表に出ると高取氏からさっそく「どうでした?」と聞かれ、そんなこ
んなを話す。私は社共的左翼や新左翼(ボリシェビキをめざしていた党派)にとて
も違和感が大きい世代だからして、むしろこういう感覚(政治組織からは脱落する
ような孤独な、繊細な、つまり人間の顔を持ったテロリスト青年が「革命派」から切
り捨てられていく)世界、わかるんだよなあ。連赤事件で全共闘世代が沈黙してし
まって何か言ってくれよな、さんざん騒いだんだから兄貴達とか思って来た世代だ
からして、全共闘世代や団塊世代にも多少は違和感が ある。
「ぼくは野田氏と同世代ですよ」と言うと、高取さんはびっくりしていた。どう見ても、
さんまや野田氏と同世代には見えないかなあ。安倍元総理も同じ歳なんだが。と
は言っても、同世代なのにあっち(野田氏)は遊眠社・小劇場派、こっちはアジア劇
場・反小劇場派(高取氏はまるで右翼みたいと思ったらしい、インパクトのある名
前であった)、安倍はアホだし、どう考えても共通項がない。が、根は共通している
んじゃないのか。なんの話じゃ・・・。
(2008年2月02日)
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