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T学院授業、『贋作・罪と罰』(野田秀樹作)と『オセロー』(シェイクスピア作)を使っ
て、役やせりふにどうアプローチするか、をやる。この戯曲へのアプローチの手法
は基本的 にはスタニスラフスキーのアプローチに近いかもしれないな。
教条的なスタニスラフスキー「絶対」信者に世界中あちこちでお目にかかった。彼
らのワークショップも何度か拝見した。が、何だかかつてのマルクス「主義者」や宗
教の原理主義者みたいで、融通が効かないという雰囲気に閉口した。彼らの発言
は殆ど「信仰」に近い。だから他を絶対認めない的な態度になってしまう。それが
気に喰わなくて好きになれない場合が多かった。リアリズムでは表現しきれないも
のがある、それが解っていないのだろう。考えが狭い、というか狭量で排他的、そ
れでいて自分が絶対正しい(何を根拠に?と言いたい)という顔をしている。彼らの
「指導」態度がまるで宗教的で、それが何とも気持ちの悪いものであった。どおして
ああなるのだろうか、そういう 「カリスマ」性が「スタ」にはあるのかもしれないが。
「スタ」だけでなく、その映画演技(自然主義リアリズム)への適用、アレンジである
「メソード演技」のワークショップにも20代前半の頃立ち会ったが、これも気持ちが
悪かった。先生がまるで教祖していた。成果がきちんと出るならそれはそれでいい
と思うが(結果が出ないメソッドはメソッドとして機能不全である)、どうもそういう兆
しはなかった。
その種のワークショップが最近、日本で増えている。「自然主義」回帰的戯曲が増
えてきたのとも関係があるのか、想像力が萎えて来ている日本的現象か。世界
(日本以外)では20世紀演劇史があって、その先に進んでいるのに、日本は190
0年頃に戻っている。いや、リアリズムは欧米にもあるが、冷静で客観的、あくまで
舞台表現の一様式に過ぎないとクールな受け取りだ。シアトリカルな演劇(演劇的
な演劇)も並置されているし、リアリズムの戯曲に出演した俳優が、次には思いっ
きり前衛的な演出舞台に立ったりしている。そこが日本は島国的、というか極端か
ら極端と言うか、どっちかこっちか式になる。白か黒か、柔軟性がない。どっちもあ
りだよ。様式の問題でしかないのであって、正しいとか正しくないではない(主義や
教義の問題ではない。表現スタイルの問題だ)。あとは自分の嗜好の問題であ
る。
そんなこんなで一番迷惑しているのは当のスタニフラフスキーかもしれない。彼の
方法はある種の戯曲には向くが、全てには当てはまらない。そういう前提で、かつ
完成されたものではない(特に彼の後半生の課題、身体と心理の切り離せない有
機的な結合に関して)という認識の上でなら、オーソドックスな、あるいは基本的な
戯曲へのアプローチに関しては、特にこういう授業で活用するのは参考になるの
ではないか。戯曲の各場面の登場人物の行動の理解、戯曲全体の目標としてい
るものから俯瞰して位置を取るなど、正しい「スタ」的アプローチかどうか知らない
が(誰がそれを判断できる?)、そんなことはどうでもいい。彼に手ほどきを受けた
弟子ではないし、本で読んでよく理解できるなあ、という部分があるという程度のも
のでしかないが、それでいいのだと思う。直接、スタニスラフスキーの原典を当って
みると、思いのほかヒントや示唆に富んでいる。これを「バイブル」にしないこと、絶
対化しないこと、そこさえきちんとしていれば(芸術家としての倫理性の問題だ)、
自分を信じればいいのだ、信じられる自分を生涯かけて作っていけば、それこそ
「スタ」と同じ土俵に立つことになる。どんな方法も絶対ではない。誰にでもあては
まるわけではない。当てにしすぎては駄目だ、それは退廃でしかない。
まあ、スタニスラフスキーのことはさておき、野田の戯曲にも「スタ」的 アプローチ
があてはまる、ということに結構カンドーしている、というかなるほど言葉遊びと時
空の飛躍を除けば、結構オーソドックスなドラマトゥルギーなのかもしれない。
夜、授業の後、T学院Nゼミの卒業公演『キル』会場に駆けつけ途中からだが見
る。前期の授業に同ゼミの生徒がたくさん来ていたので楽しみにしていた。「着る」
と「切る」そして「生きる」、とコトバを懸け、「制服」と「征服」を懸ける。これが野田
風の「テーマ」というか劇作りの指針となっている。少人数のクラスで部活も同じ部
の者が多く、一年生から同じクラスで過してきた生徒が中軸となっているから、当
たり前だがアンサンブルは抜群にいい。美しい舞台、生徒も健闘していた。残念な
のはせりふが聞き取れないところが多かった点か。
若い観客に限定すれば、ずうっと野田が支持されてきた理由が何となくわかる舞
台。若者を惹き付けるものが確かに彼の戯曲世界にも舞台の作り方にもある。そ
れを受けての今日の卒業公演の演出もその魅力をふんだんに発揮していた。シン
プルな舞台セットだったが、こう いうシンプルさは好きだ。
今日の5限授業の生徒はみな授業をさぼって、卒業公演を見に来ていた(笑)。
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