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シニフィアンとシニフィエ
2008年2月11日 日記より
『ジュリエット/灰』のちらし絵のバックに風景写真を使いたいと言われ、指定のイメ ージは「冷たいコンクリートのような」・・・。でそういう風景はどこにあるだろうと思 い、一つは湾岸千葉、京葉コンビナートの工場地帯あたり、もう一つは川崎の湾 岸地帯あたりが浮かんだ。が、そこまで行って更に歩いて探し、写真を撮るには今 日は時間がない。夕方からWSがあるので無理と遠出は諦め、取りあえずよく行く 「庭」の原宿界隈に。しかし、ちょっと違うなあ。解体途中のビルとかあったが、ここ に来ても「日本くさい」、原宿みたいな「無国籍風」を誇る場所でも、『ジュリエット/ 灰』のイメージから見ると、とっても日本な んだ。

都市風景で頭から離れないのはボスニア・ヘルツゴビナのモスタールへ行った時 の強烈な市外風景。内戦が勃発し、市民が二つに、後に三派に分かれて殺し合い を続けた街の無残な廃墟。爆破されたり、蜂の巣になって無数の穴ぼこだらけに なったビル、東欧特有の小型車が壁が破壊されたアパートのリビングルームに挟 まっていた光景は何とも奇妙で(失礼だが)ユーモラスな雰囲気、一種のポップア ートの感じさえ浮かばせていた。停戦直後の生々しい時期に行ったせいか、殆ど の建築物が壊れてしまい、修理もまったく始まっていない。男達は仕事もなく、昼 中からストリートにぼおーと立っていた。すこし前までみな民兵、兵士、ごろつきとし て殺し合いをしていたのだ。そばに立っている男たちの大半は人殺しを経験した 連中。目は人を殺した人間特有の目つきをしていた。どこか生臭いのだ。海外に 何度も出かけ、危ない連中のいる区域に何度も足を踏み入れているから、嗅覚で わかる。人を殺したことのある奴か否か(怖)。


そんな街の人の「空気の温度」につらなる「冷たいコンクリートの・・・」、日本ではな かなか見当たらないよなあ。『ジュリエット/灰』はモスタールのイメージが頭にあ る。そこの教会の中に足を運んだ時の感触が。ロミオとジュリエットが死んだ場所 のイメージと重なっ て。。。



言葉は記号である。発信者の指示(意味した対象)とほぼ同じものを受信者が受 け取る場合からまったく別の<解釈>が入る場合まで幾つのも発信と受信の間の <差>の階層がある。たとえば「もっと大きいもの」と言った時、受信者個々によっ て「もっと大きい」大きさの度合いは異なる。そこに誤差が生じないようにコード化 (ルール)適用をより厳密にする場合、たとえば法律用語、医学用語、学術用語な ど。これに対して詩の言葉は、受信者の解釈力が大きく左右する。ある詩がある 解釈能力を持った人間にはとてつもない魅力に満ちたものであっても別の人間に はただわけのわからない「たわごと」、無意味なものにしか思えない、こういう極端 な落差が生じる。考えてみれば、<劇>も一種の詩のようなものである。特に受信 者の能力に大きく委ねるタイプの<劇>は、別の者には無意味、無価値かもしれ ない。「観客」全員がわかるもの、ということはコード化のレベルをかなり高くしなけ ればならない。受信者の<解釈>の余地は狭まり、発信者の発した中身の<解 読>だけがある、という具合になる。


で、「冷たいコンクリートの」も、<解釈>によってはどうとでも受け取れる。私が 「受信」したのは、二十年近い付き合いによる<情報>の共有と、彼女の絵を幾 つも見ていて知っている、そういうもろもろの知識があり、その知識の集積から推 論しながら彼女が発した「冷たいコンクリートの・・」という言葉から情報内容を推論 的に<解釈>した結果である。にしても写真を撮るのも、その被写体を探すのに 時間がかかる。このテーマだと一年はかかる?で、同時に音ネタを考え出してい る。幾つかイメージはあるが、他にも同時にやることが多すぎ。



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