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2000年5月3日
ユーロ安で、1ギルダーは43.5円くらいまで進む。ドルに対しては108.9円く
らいと円安だが、ユーロがドルに対して下がっているので相対的に円がユー
ロに対して強くなる。
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2000年5月7日〈日〉
山海塾見る。「HIBIKI」2pm−3:30pm、ミュージックシアター。
終演後、劇場内の楽屋に岩下徹を尋ねる。案内の「令嬢」はひどく親切で気
持ち悪い。オランダでは一貫して彼らの不親切に合ってきた身の上では、何
故だ、と思う。彼らの誇るミュージックシアターに出演した、外国(パリ)から来
た出演者の知人、ということでそうだったのか。
デン・ヘルダーに行って海を見る。チューリップも見る。様々な色の花が咲い
ていた、特に赤系が多種。オランダ人は海がすぐ傍にあっても、川の方にボ
ートを浮かべる(もちろん近海に行けるほどの大きさのモーターボート)。オラ
ンダ人をよく表している。柄は大きいのに小心者、これはオランダ人を端的に
表す。自分の家の内側だけをせっせと磨き上げて喜んでいる、そう言う人た
ち。家が'童話'っぽいのも彼らの趣味ゆえか。家の雰囲気がベルギーに入る
と全く違う。ドイツももう少し'大人っぽく'なるが、オランダは何故かポケモン世
界に出てきそうな、あるいはポケモンを見る年齢の子供が建てた家のようだ。
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5月10日(水)
ITI世界大会に出席する(フランス マルセイユ)。
朝8時、ライン通りの自宅を出て、アムステルダム駅に向かう。
駅構内のバーガーキングで朝食を取り、文化庁への3ヶ月報告を郵便局から
郵送する。
Thalysのホームを探すがわかりずらい。普通のホームにタリスが来るときだけ
のぼりを立て、そこをホームにしている。何とも「田舎」っぽい。
列車に乗るとフランス人の中年グループが近くの席に座り、とても明るい様
子。何かと陰鬱なオランダ人とは対照的。「北」と「南」ではヨーロッパも気質が
大きく違う。気候が大きく影響しているのだろう。もちろんパリは地理的に北に
位置するが、国内に'地中海'を持っている分、違うのだろう。
午前9時54分、タリスはアムステルダム駅を出発し、パリ北駅に午後2時ころ
到着。パリの空気だ、と一瞬感激。近くにいるのに、昨年の10月以来だ。何
故か懐かしさがある。
何度もここで降り、ここで乗ったパリ・ノルド駅。駅前の風景も懐かしいし、昨
年の10月以来のパリ。しかし、その気分を味わう余裕もなくマルセイユに乗り
かえることにする。今日中に現地に入らなければならないからだ。
北駅前で、オートマシンが見つからないので、小型のサムソナイトのスーツケ
ースとリュックを引きずりながら駅を出て、銀行の機械を見つけ、フランを入手
する。そのお金でカルネを手にし、RER、D線でリヨン駅に。と思いきやどうや
ら方角が逆であるのに気づいたときは遅く、列車は地下から地上に出て、駅
をいくつも通り越してからやっと郊外で止まる。仕方なくまたきた道を列車で戻
るが、途中おり悪く検察。罰金を足られるかと思ったが、事情を英語で言うと、
親切そうにリヨン駅は三つ目で降りな、と言うだけだった。フランス人らしい。と
ても'丸みのある顔、表情の車掌であった。いかついオランダ人と、隣同士の
国なのにどうしてこうも違うのか。
午後4時42分発TGV831号でマルセイユに向かう。18号車(最後列)97
番。列車での一人旅はなかなか。車中、本を読んだり、コンピューターに記録
を打ちこんだり出来る。
アムスからパリまでは快適(というか3分の2は寝ていたが)な車中であったの
に比べ、パリからは少々狭苦しい思いをしている。というのも4人がけの席
に、仲間らしい二人連れの若者が座していて、窓際に一人、しかも大きなリュ
ックをかかえたものだからたまったものではない。座席は狭いし、前の男の足
は長いし。
まあ、我慢できるまでは座りつづけよう。他に空いている席はあるが、限界で
はない。
車窓から眺めたフランスはやはり農業国らしい。それに広々としている。日本
の国土の1.5倍に7,000万人の人口。しかも国土の多くは平野部(なだらかな
丘陵地帯)だ。パリから南下すると、もうずうっと畑が続く。
パリを出て2時間が過ぎた。いまは午後6時45分を過ぎたところ。列車はな
だらかな丘陵地帯を抜け、めずらしくトンネルに入る。がきわめて短いトンネ
ルだ。まちらしきものが見えたが、とても小さい。車で走り抜けるのも、この季
節には快適そうだ。だが、列車の旅もこうしてワープロをじっくりと打てるので
なかなかよい。
午後8時45分、アビニヨンを午後8時に通過、もうじきマルセイユに着く。
朝アムスを出てからほぼ大陸をたてに横断したことになるが、山らしきものは
殆どなかった。山間部は東部のスイス寄りに集中しているのだろう。
昨日、DHLで送られてきたITI事務局レポートを読んだが、様々な仕事の山に
囲まれ、たった二人で奮闘している大変さが伝わってくる。日本の事務局では
ない、ユネスコにあるITI本部のことだ。しかも年中、各国センターの催しやITI
関連のプロジェクトに駆けまわらなければならない。
驚いたのは、ペリネッティがフランツ・ルイターと会い、彼から「マルチデシプリ
ナリィー」に関して提携を申し入れられた、とのことだ。エヴァースからITIの話
しが行っているのか。ルイター氏とはきちんと話したことがないが、本気でエヴ
ァースの進めることを支持していたことがわかった。
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5月11日(木)
朝、ホテルをチェックアウトし、別のメルキュールホテル(ビューポートへ)。場
所はこちらのほうが港に面していてはるかによい。主催者の手違いで連絡が
いっておらず、受付で手間取る。こんなことでは先が思いやられる。部屋は港
に面していてよいが、古くてカーペットも汚い。ヨーロッパセンターのほうがは
るかにきれいだ。
予定を過ぎて、徒歩でファーロー宮殿に着く。
EXCON第一日目、始まりが予定より遅れた。30分遅れて到着したが、ちょう
ど会議は始まるところだった。
出席理事:サンチニ、ゲバラ、ジャビエ(二日目)、ドイツ、ロシア、セッパラ、マ
ジュンダー、ガンガネ、キム、ハイノー、マニュ、コイニュー、レィニョル。
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5月13日(土)
10時‐1時、EXCOM三日目。
その後、プレスコンフェランス。
昼食、マケドニア代表と再会、ネパール代表、カメルーンメンバーなどと。
2時ー5時;ニコスと一緒に国立劇場クレエに行き、ファンダライジング・セミナ
ー(三日目)をのぞく。モンゴルメンバー(ソウルで会う)。
6時 メルキュール・ヨーロッパセンタ‐ホテルに行き、小田切さんと合流。中華
レストランで食事。
9時半、「日本人ツアー一行」到着。小田切さんとニューホテル・ビューポート
で出迎える。
秋元、津上、澤田、村尾、北村、斎藤さん。
近くのALIZEホテルへ、遠藤寿美子さん一行到着。小田切さんと会いに行く。
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5月14日(日)
朝、岡安、土方、津上、斎藤さんらとビューポートのフェリーで「イフ島」に行く。
モンテクリフト伯の舞台となった「岩窟王」の島だ。なかなかの絶景。島でのん
びりと過ごす。
夜6時、ホテル近くのオペラ座へ。劇場前で集合。久しぶりの人々が集う。6
時半、中に入りホワイエでセレモニーとカクテルパーティ。
9時―バレエ『ジゼル』を観る。
2部に分かれていて、一部は退屈だし、衣装も舞台美術も田舎くさい。二部は
恋人の死のあとの幻想的なシーンで、少しは良くなる。亡き女性の墓所の前
で、思いにくれる主人公の元に、美しい白い衣装をまとった女性たち現れる
(「亡霊」ということ)。幻想的に舞い、そしてこの世で結ばれなかった悲恋を踊
る。こういう主題が日本舞踊でもバレエでも古典的な舞台では、丁度合ってい
るのだろう。
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5月15日(月)
総会1日目9時半―12時半
2時半―5時半、委員会。教育コミッティーに参加。誰がメンバーで誰がただ
覗いているだけなのかわからない。議事の進め方も混乱している。
夜
港に面した「駐車場」で、仮設舞台の野外劇を見る。非常に良く出来ている。
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5月16日(火)
総会2日目9時半―12時半
2時半‐5時半、委員会。教育コミッティーに参加。委員会(ボードメンバー)と
「客」に分かれての討議。委員会ボードメンバーが質問に答えるという形式だ
が、やはりむずむずする。
『ルアンダ'94』を見る。
ベルギーからきた団体。3部構成。1部が約2時間半、長くて動きが殆どないた
め、ちょっと退屈。
見るのが忍びなかった。その場で涙流し、次の日は豪華なフランス料理に舌
打ちできるような人々が見ることに耐えられるものだからか。
なぜ、見るに忍びなかったか。
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