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欧州滞在記4月

工事途上

2000年4月1日(土)

3時、ジャスパーとホテル・オークラにて会う。

2000年4月2日(日)

2時、アムステルダムに大家さん立会いで荷物引取りに行く。がその前に、住 民票はワセナーにとどめておいても良いとユリアさんに伝えると、それを聞い た家主から、アムステルダムの部屋にいて良いとの連絡。急転直下、アムス に移転確定。

2000年4月3日(月)

昨夜はワセナー最後の夜。この部屋ともお別れと思うと、やっと「冬」から抜け 出すことが出来るという感慨に浸る。大家さんは良くしてくれたが、なにせこの 部屋に居るとポジティブになれない。家の向いは牧場で牛がのどかに歩いて いる。牧歌的な田園風景。どうにも調子が来るってしまい、こちらまで牛のよう になる。。。午前、残りの荷物を片付け、1時、アムステルダムへ持ちこむ。午 後、3時、Nさん宅へ行き、布団などを借りて、一緒に電話局へ。

6時、Nさん宅へ戻る。Nさんにかかるとオランダ人は何でもよく、日本人は何 でも悪くなる。現実のオランダ人を見ていないようなきがする。まったく自分の 幻想の世界から出てこない少女のようだ。

2000年4月4日(火)

アムステルダムでの生活やっと始まる。
新しい部屋に変わって気分も新しくなる。4月、何かが始まる4月。
部屋のロケーション、内装がこれほど心理に大きく左右するとは思わなかっ た。オランダに来てからずうっと死んでいたようなものだったが、やっと生き返 った、という感じ。

台所'用のテーブル買う(67fl)、電話局(郵便局と一緒)へ行く。

1時―3時、DASARTS訪問。
マライケと会話。
リツアルトが居たので、その場でアポを取る。
寺山修司の大の親友、天井桟敷のオランダ上演は、この人が支えた。

2000年4月5日(水)

昼、買い物に行く。マーケットに。
8時半、国際大学演劇フェスティバル、アムステルダム版。

ドイツのマインツの大学生のダンス公演を見る。
しゃれたつもりでやっているが、やはりドイツ的でださい。

2000年4月6日(木)

11時、フランス・エヴァースと彼の自宅で打ち合わせ。
リツアルトを知っていた。彼のために書類を作成してやっているという。
マーストリヒトに「シアターグループ・ホランディア」のパウル・クックと来週一緒 に行くというので、車に同乗させてもらうことにする。

1年生の発表が18日にある。

オランダの学校の問題。マネジメント(運営)の人材がいない。ため機能効率 が悪い。ワークショップに行っても誰も来ていなかったり(連絡がされていな い)など。集団運営を提案するつもりだという。

2000年4月7日(金)

アムステルダム国際大学演劇祭、
8時半―9時半、ノルウエー、ベルゲン大学の上演。
4人の女の子によるアムステルダム滞在記述による展開。ドキュメントシアタ ーか。

2000年4月8日(土)

S.W.氏、11時‐12時半、グランドホテルカフェで話す。
オランダ在住の日本人デザイナー。


S.O.さん、オランダ滞在日本人ダンサー(主にドイツで活動)。
5時―6時半、ユニバシティシアター近くのカフェで会う。オランダ滞留中、現 在はドイツで活躍しているそうだ。彼女の話を聞く。
オランダはひとつの村。新参者はなかなか入り込めない。が入り込むと安住 できて、逆に外に気が向かなくなる。演劇興行のシステムの問題が、外国で の活動を妨げる原因にもなっている、とのこと。

アムステルダム国際大学演劇祭。
7時半、ブルガリアのレクチャーを聞く。
8時半‐9時半、公演を見る。

2000年4月9日(日)

演劇『Baren』見る。
会場;De Engelenbak
演出Fred Goessens
料金;35fl
2時半―3時45分

観客、年配、家族同伴等入れて30名くらい。
15−18歳くらいの若者による劇。いい、と思った。結構やるジャン。演技も力 が入っていた。

SPUI近くの中華レストランで食事。ウエイトレスの無愛想と乱暴さにまいってし まう。どうして中国人はあれで平気なのか。人を気にしない精神文化なのか、 単に民族気質なのか。どこか中国人とオランダ人の民族性に共通項を見出し てしまう。そのあと音楽劇場にいって、ローザスと勅使川原の予約をしたのだ が、受付嬢の横柄で乱暴な物言いに思わず、両者が重なってしまった。

アムステルダムに1週間住んで、ワセナーよりは気持ちが軽くなったし、春に なって日差しもここち良く、日も長くなってきたので(日没が20時半!、4月と いうのに)ポジティブに行こう。体調も少しずつ回復、よくなっている。北部ヨー ロッパの冬は人の心をユウウツにする。身を持って知る。ここからゴッホも南 フランスの太陽を求めたのだ。

2000年4月10日(月)

12時‐1時、リツアルトにインタビューする。

彼はダスアルツで待ち構えていた。寺山修司の話しをするのがうれしそうだ。 「時期が早すぎた」、寺山修司が舞踏や鈴木忠志のように海外で広く知られて いない原因をそう付け加える。私は彼を信頼したし彼も私を信頼した。

8時ー9時半、南アフリカから来たアーチストのレクチャー、彼の南アフリカで の活動について。白人である彼が黒人たちと共に活動をしている。リチュアル と都市文化、南アフリカの伝統舞踊と前衛のフュ‐ジョン、ミックスを目指すと いう。

2000年4月12日(水)

王立芸術学校の学科長フランス・エヴァースと「演劇グループホランディア」の 演出家パウル・クークと三人で、パウルの新車のレジャーワゴンに乗り、マー ストリヒトに行く。デンハーグへ行く手前にパウルの家はある。芝居をやってい て、こういう世間一般の連中と同じレベルの生活をしていることが日本人の演 劇人には想像しがたい。

2000年4月13日(木)

デン・ボッシュTWEETAKTフェスティバル
『夜の都市』観る。

オランダの軽さが功を奏した感じ、めずらしく。この連中は結局、あんまりもの を深く考えない軽さで勝負するしかないのだろうか。

軽いノリが徹底していて、テーマだとか何だとか深刻にならないところがよさだ った。テーブルを引っ張り出す、ベッドに入り込む、椅子に座る、コーヒーをダ ンスっぽく飲む、舞台の上で調理をする、すべてをダンスにしてしまう、あるい はダンスで日常の動作をやってしまう。ピアノ伴奏者がいきなりすっぽんぽん になってしまう。するとみなもすっぽんぽんになってしまう。まるで子供がたわ いなくみんなでやれやれというような、あるいはコンパの余興の一気のみのよ うなノリの軽さ、だった。

2000年4月14日(金)

マイムグループ・アムステルダムの『バーニング・ボンベイ』を見るつもりが劇 場を間違えてしまった。

2000年4月15日(土)

デン・ボッシュTWEETAKTフェスティバル
2時‐3時半『マリケン』観る。

大道芸人の一家の元に字を書き、読める少女マリケンが悪魔に連れてこられ る。彼女は本の物語を語る。一家が彼女の物語の人物化して登場。歌、音楽 入りの舞台。

4時―5時45分『千一夜物語』観る。
千一夜と現代のストーリーを重ねたもの。3部構成。場面が変わるたびに会場 を移る。難民施設だそうだ。

2000年4月24日(月)

イースターの休日。ということを知らずに4番トラムでライ駅に向かうが何となく 町がのんびりしているのでどうしたのかという程度で何かの祭日かなと、最初 はイースターとは気づかなかった。やはりキリスト教徒ではないから関係な い、か。

Nさんの家の前から車で、「ヤクルト」駅伝の出発点であるアムテルフェーン市 庁舎まで行って見る。1時、丁度スタートだった。まあ、何か田舎的にやってい た、とう感じ。


8時15分、国立劇場。バルコン席だが30ギルダー。舞台セットが古めかし い、ので失敗したと思ったが遅かった。アンヌミイケが薦めたのは、確か老俳 優がとてもいいとの理由からだったと思い返す。確かに良い俳優だと思う。

筋がわからないので休憩に入って一階入り口にいた劇場クルーに、プログラ ムを読んでもらう。ヤッピーと孤独な一人暮らしの老人の話しらしい。交通事 故で、罰として週一回半年間老人宅を訪問することになったヤッピー青年。始 め二人の会話は、平行線、言葉が通じ合わないのだが、しだいに親密になっ ていく、というストーリー。なるほど、演劇の必要性、緊急性が死滅した西欧の まさにテーマなき時代のテーマ。観客席には、年配客がたくさん。この「心温ま る」舞台に拍車なんだろう。が、現実はそのようには決していかない。これが 劇の、フィクションのトリックだ。人々を演劇的に、救う。が現実に救いはない。 単に人々を現在の状況に置き去りにし、イルージョンだけを負わせる。

ITI日本センターから送付された、「シアター・イヤーブック」を読む。まず目に 付いたのがアフリカ特集。

2000年4月25日(火)

「演劇グループホランディア」の稽古を見に行く予定だったが、パウルに電話 をすると今日はデスカッションとのこと。で急遽訪問は中止にし、20番トラムで 駅からぐるっとまちを一周し、ウォーテルロー広場に。

2000年4月27日(木)

アムステルダム演劇学校マイム科の発表会を見る。
生徒による創作4本、ウォルターの彼女マノンも含む。

終演後、いつものムント広場へ。もう日本で私の出る場はない。「深さ'を追求 した演劇」を日本の現代舞台の観客は求めていない。またそうした舞台を志 向するキャリアのある俳優もいない。とすると日本に帰っても、ITIの理事の仕 事とか教師しかないことになる。

ではオランダはどうか。オランダは日本の舞台芸術に全く興味がない。伝統 に対するアレルギーがある。だから、伝統と結びつくイメージにある日本の舞 台芸術には感心がない。それをアレンジし、現代化したメソッドによるワークシ ョップといっても興味がわかない。フランスやイギリスは権威主義があり、逆に 日本の伝統は尊重されるが、それは本当の保守の伝統芸術であって、古典 の日本の舞踊は感心があっても、それをヒントにしたアバンギャルドには興味 がない。

2000年4月28日(金)

5時‐6時;アムス演劇学校のフィルムプレゼンテーションを見に行くが、遅れて しまう。5時、学校前でマルローに日本語のテキスト返す。

ウォルターとマノンと演劇学校外のカフェで雑談。

ウォルターはロッテルダムの映画祭は今年だけでなくいつも日本映画は特別 に多く扱われている、と語る。

マイム科のボス、ルースとの話し合いは不調とウォルテールに伝える。彼らに は日本の演劇は特に関心の対象にないようだ。たぶんこれだけ外国人があ ふれていると、外国人に対して嫌気がさしているのではないか、と話す。

まあ、あせらず少しずつ、たとえばユーゴの女性演出家キャロライン(ノマドシ アター)とかアムス在住の外国人、シアターグループ・ホランディアのポール、 RCとマーストリヒト演劇学校との連携などを糸口に、足場を作って行くことにし よう。

7時‐9時;ライデンスグラフト通りの大西さん宅へ。ドイツで活動するかずえさ んとMの4人。さけのムニエルとゆば巻き(ニューマルクトの中華で手に入るら しい)。懸念の胃の調子が良いので驚く。野菜にかけた酢が利いたのか。

AMROバンクからステイトメント届く。4月19日にRCから2、802ギルダー(約 14万円)。大西さんの話しでは、こちらでは28万円相当の価値か)入ってい る。2月のワークショップ6日分。当地では一ヶ月の生活をやりくりできるだけ の額だ。



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