林英樹の演劇手帖 TOP


欧州滞在記3月

工事途上

2000年3月6日(月)

ベルギー、リエージュで開催された「国際大学演劇フェスティバル」から帰る。

同フェスティバル主催で、私のワークショップが行われた。


RITU(国際大学演劇フェスティバル)は示唆に富んだ企画だった。なぜ演劇を するのか?これは演劇プロの中では思考は進まない。アメリカのノラと話し、 コーネル大学の上演を見て、「これだ」と思った。演劇において「方法」とは、 「レゾンエトル」(それ自体の根拠)をいかす手段にすぎない。演劇そのものが 目的ではなく手段なのだ。

オランダには闘争の「テーマ」がない。それがオランダの演劇を「趣向」に走ら せる要因だ。しかし、それとて内部世界に留まっていて、多くの舞台を二流に させている。例外と言える舞台は、ヨーロッパ賞も得ているパウル・クークの 「演劇グループホランディア」のものだけである。


現在のこの国にはニューヨークのような人間の葛藤がない。いやその言い方 は正確ではない。オランダそのものは社会制度、福祉が他のどの国よりも先 進的で、個人が共同体によって非常に分厚く守られている。が、この国が積 極的に受け入れてきたアフリカや紛争地からの難民は、必ずしもオランダ市 民のように守られてはいない。そして彼らの殆どにとって演劇は縁のないこと は無論のこと、彼らの葛藤を表現する手段すら持っていない。表現する「舞 台」から排除されているのだ。もし彼らが、あるいはその子、孫らが沈黙から 解放され、特にアムステルダムのような「多国籍コスモス」の中の、異質な声と して発言を始めた時、つまり表現手段を得た時、事態は変わるかもしれない (今も多少はあるだろうが、まだ十分に獲得してはいない。その前に生活する ことに精一杯)。

現在はオランダ人が長い「闘争」の果てにつかんだ互いに関わらないことによ る「寛容」の精神という、こころの問題は互いに無視、無理解、によって相互に 別々のものとして共存する、という処世術が社会対立の回避と「安定」をもた らしている。


ロンドンのデヴィッドからRNTスタジオがワークを受け入れてくれるとの連絡入 る。

2000年3月11日(土)

車を試すため、住いのあるワセナーからアムステルダムまで高速道路を飛ば す。アムステルダムのユーロラインバスターミナルへ行き、ロンドン往復券購 入(一人片道3500円相当)、断然安い。ブゾンソンへは、ディジョン行きのバ スがあったが水、金のみとのことで、若干不安はあるが自家用車で行く事に する。


「日本(人)に興味あり」との貼り紙を「明治屋」で見て、電話をしてみる。ヘラ ルドさんというオランダ人。語学の教師で英語、仏語、独語が出来る。日本語 も多少出来る。こういう連中がこっちにはいるんだよな。とりあえず3月末に会 うことを約束。

英語のジャスパーは不在。

2000年3月12日(日)  リュクセンブルク

ブゾンソンで開催されるもう一つの「国際学生演劇フェスティバル」にワークシ ョップ講師として招聘される。

朝9時半、車でワセナー(オランダ)を出て、家近くの高速道路入り口からブゾ ンソン(フランス)へ向かう。国境を二つ越えるドライブだ。

ベルギー、フランス方面へ向かう高速道路は日曜なのでトラックが走っていな い。金曜日に修理工場でエンジン調整をしたので、車は快調。120キロ平均 で坂の多いベルギーを走り抜け、3時前にリュクセンブルグに着く。約450k mの道のり。リエージュを過ぎて、アルデンヌ地方に入ると、断然坂が多くな る。


ベルギーはオランダと自然風景がまったく異なる。起伏のないオランダに比 べ、高くはないが山や丘が広がる風景は楽しい。


リエージュを過ぎ、パーキングで持参の自家製おにぎりを頬張る。オランダナ ンバーの車が何台もパーキングに止まっている。オランダ人たちがサンドイッ チをぱくついていた。キャンプ用トレーラを引いているのは決まってオランダナ ンバー、年配のカップルが多い。オランダ人の質素、倹約の生活態度は外国 に出ても徹底している。「分相応」に生きる。オランダ人の質素な生き方に関 してはひたすら我が身の模範として見習っている。



リュクセンブルグ到着。
地図がないため市内を一時間ほど車でさ迷う。偶然ユースホステルの看板を 発見。パーキングもあり、車をそこに置いてめでたくチェックイン。近くの風景 も美しい。ステキな場所にある。受付の男性は40歳くらい。ドイツ系の顔だ が、笑顔を見せて話す雰囲気、物腰はフランス系。


リュクセンブルクの街中を歩く。期待していなかったが美しい町だ。要塞都市 を髣髴させる。断崖をにらんで町が建つ。市庁舎広場のカフェドパリのテラス で休憩。この町全体や建物、食事や茶の取り方の風流というか味が、オラン ダとは全く異質。文化は食事、茶のとり方、遊び方から始まる。とすれば、パ ーキングでとりあえずその日動ける分だけの少量の「燃料補給」をし、終わる とさっさとわき目も振らず立ち去って行くオランダ人に、「風流」の味はわから ないのかもしれない。彼らの芝居やエキジビションを見て感じるのは、人間精 神の奥にある深みのある遊び、の風味が欠けていることだ。そのため、かわ ったことをやっても単に、陳列しただけ、その風雅、趣向を味わう、堪能すると いうものにはなっていない。やはり、芸術(芸能)のきわみは「無駄な」遊びの 精神にあり、か。無駄をはぶく合理主義、実利主義からは見えてこない部分 に手を届かせる仕事が、芸術なのだろう。質素と芸術事、は両立しないの か・・・、いや、そんなことはない。質素を基本とした三河武士によって支配さ れた江戸250年、それでも庶民は歌舞伎や浄瑠璃、を生み出したではない か。

2000年3月15日(水)  ブゾンソン(フランス)


ロシアのグル‐プと朝食を一緒し談話する。

サンクトペテルブルグから6時間のところにある「演劇カレッジ」から来たとい う。サンクトペテルブルグの大学に属する。

10−11時
Analyse des spectacles salle G5
ルシルが上演された舞台の分析をフランス語で、次に英語で話す。
「これは批評ではない、質問を」とルシル。

Likovszki(Hongorie)
Licil
Histoire de theatre, Besancon(France)
演劇の歴史に関する話。
Le jubilee, Tver(Russia)
Fantasies of Fariatjev, Klaipeda(Lituania)
Les refugies, Belgrade(Yugoslavie)


フランスの作品創作に関してロシア人からの質問。
フランス人の返答に寄るなら、作品は学生自身が提案したものだという。多く はシェイクスピア作『真夏の夜の夢』による。ある部分は生徒によって書か れ、ある部分はシェイクスピアからの引用が使われた。だが、なぜモンタージ ュなのか?フランスの作家、ドイツの作家からの引用も加わっているコラージ ュ作品。ひとつの劇をやるより、いくつかの作品からピックアップするほうが生 徒それぞれが自分の場面にコミットしやすいからか?


リトアニアの舞台からの質問。「どのようにイメージを計測できたか」


リトアニアの作品について、演出家からの説明。
説明責任ならぬ、説明文化、百のコトバよりも実行、ではなくこちらの芸術は 実行(行為)より百のコトバか。。。

この作品は1970年に成功し、そして忘れられたものであるという。現代(のリ トアニア人)では理解しがたいものであると言う。モノローグで構成されてい る。現在の観客に受け入れられるために音楽を加えてみた。「よりよき生活」 への夢、チェーホフの「モスクワへ」のように。原作ではキエフへ、それをパリ に変えてみる。モスクワ、キエフ。パリ(リピートが大切)、資本主義へのあまい 罠?物質主義への警鐘。だけど若者は都会をめざす。。。。


ロシアの作品
国内ではポピュラーなコミック作品を使った。コミュニケーションの欠如を描く。


ベオグラードの作品
Refugee Project, Goran Cvetkovic
リコブスキーからの質問:エンディングについて。違った終わり方は可能か?
演出家の返答:1999年1月に作った(8回くらい上演)。そのあと戦争(NAT O軍のユーゴ空爆)が始まり、9月にリニューアルする。何回か改変した。しか し私にとって、エンディング(女の子、臍のあたりを愛撫しつつ、観客と接触) はとても開かれたものだったと考える。
難民の問題は最大規模のもので、複雑な状況にある(ユーゴスラビアの現 状)。その感覚を劇に持ちこむ。まさに現実と同時進行でなければ出来ない作 業である。


ルシルから提案。
雑誌「クリース」の次回号(5月)にコメントを載せたい。それぞれのグループ が、自分の劇について検証する。3月末までに。


11時半−12時半
パレード。町の広場まで「仮装行列」、これはなんだかなあ、だった。。。が、広 場で即興芝居の主役を演じてしまった(私が主役にされた)。


14時‐17時、Ateliers, Theatre japonais et theatre occidental Anime par Hayashi Hideki
Salle Jenny d'Hericourt


林のワークショップである。
体育館のようなところに急遽場所が変更(ケベックのグループががスタジオを 使うということで)される。約40名近い多国籍の生徒が参加した。ロシア、リト アニア、ユーゴスラビア、カナダ、イギリス、フランス・・・、ワークショップは英語 で実施したが、英語がわからない奴が大勢いて、後は見よう見真似でやって もらうしかない。だいたいが人数多すぎ。とにかくやったが、かなり疲れる。疲 労感のみ、何だかなあ、って感じだったが、後で聞くとフランスのリヨンから来 た連中はいたく感激したようだ。後から、メッセージも届いた。「我々は林のワ ークショップと身体へのアプローチの方法にひどく影響を受けた」と。

ワークショップ内容
まず指圧をしてみる。
正座をさせてみる。まあ、まずは日本式、からってことだが正座、というのはす ごい意味がある(あった、日本でも)。これで座って、背骨を伸ばすと骨盤底筋 が自然と強化されて、女性は生理痛にならない、という。この座り方や着物の 身体文化が失せて、洋式になり、生理用品に頼って、「垂れ流し」状態となり、 結果として循環が悪くなり、生理痛がひどくなったと言う。余談なり。

腰を押す鍛錬、歩行。パートナーに腰を押してもらい、歩行。
四人一組でリレー。次に「すばらしいわ」・・・。


18時半
リヨンの公演を観る。デュラス、メーテルリンク、ゴドーのコラージュ。「静かな 劇」か、しかし生徒はあまり訓練されていない。テンポが同じで退屈、それ以 上見ても意味がないと思い、食堂へ。ユーゴの学生がいて会話する。「ヨーロ ッパの連中は想像できない、と思う。ベオグラードの生活を」と語る。果物が手 に入らないからかわりにタバコを吸う。コーヒーを飲むため、小銭を拾い集め る。彼は大学で文学を勉強。ミロシェビッチを支持していない。1995に大規 模なデモをベオグラード市民はした。しかし、昨年のNATO爆撃でなにもかも 絶望的に。幸い自分には肉体を通じて表現する「はけ口」があるが、他の 人々は何もない。ただただ無力感と絶望が国を覆っているという。

2000年3月16日(木)   ブゾンソン(フランス)

朝、ホテルの食堂でユーゴスラヴィアの演出家Goran Cvetkovicと会話。


「難民とわれわれは常に無関係ではない。ユーゴの難民はユーゴの問題では なく、ヨーロッパの問題」と言ったドイツ人。

われわれはポリティカルな題材を扱うが、現実政治に対しては、一定のスタン スを取る。政治的立場、国家の意思と'関係なく関係付けられてしまう'無数の 大衆がいるわけで、ユーゴが加害者、悪役とするのは政治的。それに対し て、ユーゴ内、この政治的決着内に無数の政治に影響され振り回された普通 の人間たちがいる。このアンビバレンツで両義的な関係に照射をあてること が私の関心事である。

2000年3月19日(日)   オランダ

Nさんの紹介でアムステルダムのライ近くにアパートを見つける。1000ギルダ ー+光熱費。小さいながらも2部屋とキッチン、バスルーム。やはり'住む場所' は活動するのにとても重要だ、と再認識する。どこに住むかで活動の範囲が 変わってしまう。自分にはそこが事務所にもなるわけだから。東京に戻ってか ら下北沢周辺に探してみる。新宿、下北、世田谷に近い地の利が在る。

2000年3月22日(水) ロンドンに来る。

ナショナルシアター主催による林のワークショップが開催される。


ワークショップ(RNTスタジオ)一日目。
アジア系が多いのに驚き。はじめは違和感。ロンドンは国際都市というか、な んとアジアが多いことか。日本人男性エイジさん(在英25年以上)、トシエさん (10年くらい)、エレン(ベトナム系フランス人、ピーター・ブルックと仕事、いま は英国在住でテアトル・ド・コンプリシテなどと仕事)

すり足、呼吸法。発声法。丹田の位置。

F基礎1「おい」から。正座で声のコミュニケーション。
立って間合いを取りながら。「間」と「合い」という言葉のコンセプトが重要なの だ。英語にするとどうなるか。「間」はインターヴァル、スペース、ポーズだけれ ど、「何もない」のではない。このスペースが空間を支配する。日本画のよう に。スペースを中心としたコンストラクション。

動くとき、視覚の変更。目の位置からではなく、目の後ろから。第一疲れてし まう。それと視界の拡大。360度。

F基礎2、「すばらしいわ」から四人で。意味の説明をせずに行う。

「すばらしいわ」、今度は林がエレナを相手に二人で試演。相手もさすが、や るわ。


『勧進帳』をやる。日本語で。

2000年3月23日(木)   ロンドン

4:30−7:30 ワークショップ2日目。
『勧進帳』2回目、頭から。呼吸、息を吸う場所、エネルギーの交換に注意、と ポイント指摘。
すり足、抵抗を与えて。はこ、左右。足の親指の力。
クンバク。脱力、エネルギーのからだ全体への拡散。炭田集中と発声「せり ふ」
呼吸法;肺の下部と脳の大脳旧皮質の関係。下部を刺激すると、意識の集中 が深くなる。声の出し方=呼吸法と集中、サブコンシャスの関係。言葉の変容 はテクニカルにというより、呼吸と意識の非日常化に随伴させる感じ。在ると きは呼吸が、在るときは意識が、在るときは言葉そのものがこの変容をリード する。肺の下部を刺激しつつやることが鍵。明日は音楽を使い、繰り返す少 なくとも30分(ファリファリ)。今日はファリファリの導入。
新:テープ忘れたため、ファリファリの基本をカサンドラ「家…」の部分使い、脱 力と組み合わせてやる。言葉をゆがめたり、する。呼吸に注意。一息基本 に、息を吸っても良いが吸い方が肝心。肺の下部に来るように。

タリアが古代ギリシア語を見つけてきて、実際にリーディング。感じが違う。

「すばらしいわ」からカサンドラに参入したのが、よかった。功を奏した。メンバ ーがキャリア組なのも良かったと思う。

ファイナル:
「すばらしいわ」、「こわいわ」・・・を繰り返す中で、誰でもよい、「いま、ここ」と いうタイミングをキャッチしたら、すぐにカサンドラ暗誦部分を。他のものは 「地」(脇、グラウンド)になる。*集団のエネルギーを受けて、成立。他から分 断されない。エネルギーの溜め、「ホウルド」。

ワーク後、デヴィッド、トシエ、ノリコさんとチャイナタウンへ行く。話し、デヴィッ ドは「コンテンツ」を知りたい、という。次の作品作りの輪郭をつかみたいのだ ろう。

2000年3月24日(金)    ロンドン

ワークショップ3日目。
1、目(視界)の変更。見えないものを見るための訓練。目と大脳新皮質(意 識)は直結。サブコンシャスとつなげるには、いったん目から意識を開放す る。そのために聴覚への銃身移行。(「すばらしいわ」・・、「おい」・・・)、さらに 6センス(6感)の使用。空間構成。

2、肺の下部の使用。深い呼吸。せりふのコントロールによる、呼吸コントロー ル。大脳旧皮質とのコンタクト。

1,2をセオリカルに説明。林メソッドのコンセプトは、この二点が重要。集中 のための方法。集中とは意識の覚醒である。弓道の引用。日常の意識上で は的は見えてこない。

繰り返しの応用。ファリファリ。今日やった、コロスを使っての空間構成との組 み合わせ。

ファイナル;
男性はコロス部担当。四隅に座して、テキスト見つつ。中は女性組、空間構成 から。タリアは古代ギリシア語によるカサンドラ。
カサンドラコンバインでは、まずカサンドラ組は、4−5人の空間構成に集中。 声は時々聞こえてくる程度で良い。この順序が大切。そのことで、次第に声が クリアに聞こえてくる。声と深いコンタクトをはじめることができる。

*古代ギリシア語は、母音がリズムをリードしている。子音がアクセントを作る 英語と、音声的には完全に異なる。シャーマニスティックな言語や歴史の古い 言語は、母音中心のようだ。タミル、フィン、ハンガリー、インディアンの言語 (ダゴタ、という地名はインディアンの部族名から来る)。言語発声に対して、 身体エネルギーをより使う。遠くに声を届ける必要(狩猟、騎馬系など)からだ ろう。農耕はよりテクニカルになる。中国語。

2000年3月26日(土)   ロンドン

5回目のロンドン訪問、次第にこの町を知るようになってきたのではないか。 今回はクイーンズパークという庶民の町に宿泊。観光客はいなく、一般の生 活がそこには見える。日曜日に正装した黒人たちが集まっていた。結婚式が これから教会で始まるのか。

2000年3月27日(月)    ロンドン

11時―1時半;ガリック・クラブで行われたITIイギリスセンターの世界演劇日 式典出席。印象深かった。

3時、タリアとタクシーでICAに行き(何かパフォーマンスをやっているとか)、 そのカフェで話し。
4時半;RNT、ジョー・スミスと。
RNTの教育活動について聞く。

2000年3月28日(火)  ロンドン

朝10時、コベントガーデンとレイセスターの中間あたり、ロンドン・アーツ・ボー ドの建物の前で、IWTの制作(アドミニストレイターとこちらでは言う)のルシル と待ち合わせ。ロング・エーカー通りのカフェで話し。昨日、ガリック・クラブで ディレクターのディックと話しをしていたので、スムーズに行く。イギリス人は始 めての相手は、人見知りするが(オランダ人と似ているか)親しくなると距離が とたんに縮まるとか。オランダ人よりは早くフレンドリーになれる。

80年代が演劇支援のピーク。演劇学校は全国で20−30校。思ったより少 ない。学校を出た後の訓練の場所がない。卒業後は、まずフリンジヘ行く。

2000年3月29日(水)   サン・マルガリータ

ブルネル大学
とにかく遠い!クイーンズ・パークからデストリクト線に乗り換えて、さらにアー ルズ・コートでリッチモンド行き、さらにそこで国鉄、というのだが、はじめてな のでスムーズに乗換えが出来ず、結局12時の予定が1時半、生徒の公演は 見れなかった。

バッディ・エドワードによると、ブルネル大学パフォーミング・アーツ学部のドラ マ学科には2つの系統があり、リエージュの国際大学演劇祭で見たのは「保 守派」、バリーは「身体派」ということらしい。今日は「身体派」の公演があった のだとか。ひとつはビジュアル、もうひとつは身体を使ってとのこと。いろいろ 聞きたかったが、次回にしよう。

大学の在るサン・マルガリータは閑静な町。まちがって隣のトッテンハムまで 行ってしまったがそちらはもう少し開けた感じ。キャンパスはロンドンの大学と いうイメージとは遠く、田舎の学校、といったところか。

林英樹のワークショップ:16時半〜18時
時間が限られているのと参加者も少ないので(しかし、この少数は大切なの だ)、理屈を先行。
目の位置の変更。主観(固定されたアイデンティティから、他者との関係を契 機にしたフレックシビリテイ、今日の馬の話し、とつなげて)からの開放。


19時―22時21分
『オレスティア』第二部、第三部
演出よし。衣装(3部、復讐の女神の黒い喪服はよかった、この姿で椅子に眠 っている、のはグッドアイデア)。2つの長いテーブル、も効果的。

客席が左右にあり、テーブルを中にし、椅子を下座に置くと、丁度テーブル席 にいるオレステスをみなで審判する形になりグッド。
テーブルのまわりに集まって談判したり、女神がテーブル越しにアポロに文句 を言ったり、と非常に効果的、効率的に使用される。
女神たちがきりっとしていていい。洋装の喪服、黒い帽子に金髪、が合うのか な。日本人だとこの感じは出せない。
中央のホールを開けるとそこはアガメムノンの墓、中からビデオでオレステス とエレクトラが映し出されるのもグッド。アガメムノンが墓からあとで出てきて、 うろちょろするのもいい。(第二部)

コロス(特に第三部は立ちっぱなしでも、丁度テーブルをはさんで常にオレス テス、アポロとの緊張関係をもっていたので、だれなかった。第一部、みなコ ロスを車椅子にしたとき、処理には都合が良いが、あえてそうする理由がみ あたらなかった(傷痍軍人たち、ということなのだろうか)のだが、第三部はよ し。第二部、宮廷の中、しかし異常自体を察知している女コロスたち、つねに 周囲に誰かいないか緊迫している感じで、このコロスの処理もよかった。つま り、コロスの処理にこまるのだが、カテイ・ミッチェルの演出は、この点で成功 している。空間の処理も、テーブルだけを利用した演出、シンプルで無駄がな く、最小限必要なものだけで舞台を作るのは、とてもおしゃれだと思う。

2000年3月30日(木)

ロンドン8時発のバスにてオランダへ帰る。

2000年3月31日(金)   オランダ

引越し準備。6時、新居にて家主待つ。契約。契約後、住民票のことを聞くと まずい顔の大家。問題発生。Nさんに電話。とりあえず荷物を5階の部屋にあ げ、Nさん宅へ。大家の奥さんから電話。明日の朝出て行けと。なんと言う。こ れがオランダ人の別の側面。ワセナーのロブさんに問題発生と電話する。ロ ブさんはそのままワセナーに戻ってきても良いよという。



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