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欧州滞在記2月

工事途上

2000年2月3日(木)

ロッテルダム国際映画祭に行く。

『TIMELESS MELODY』、奥原浩司監督

『タイムレス』、黒沢清監督


時間あまって、アメリカの女性監督のドキュメンタリーを見る。


上映会場に日本から奥原監督が来場し、『TIMELESS MELODY』が上映され た後に、オランダ人たちに挨拶。「音楽のフィルムを撮ろうとし たのではない。 特別な人間を描いたのではなく、いまの日本の普通の若者を描いた。日本も 変わってきていて、自分の今の状態を表現したくて彼らは音楽をやっているだ け」

この気持ちは自分が演劇をはじめた頃と共通している。演劇でなければ駄目 だったわけではなく、自分を表現したくて、演劇のようなものをはじめたのだ。


ただ自分たちの時代はみなそう思っても、それを実行するにはあまりに周り の「抵抗」が強かった。銀行員になるほうが良いことだったし、進路の選択に 多様性がなく、単一のレールしかなかった。だから「自分を貫く」なんてことは 殆ど困難、生き方の「型」が決まっていたし、そこからはずれることは日本の 社会では、生きていくこと自体の困難さにつながっていた。

現在(の日本)は、もう「会社神話」も崩壊し、レールは必ずしも安全軌道では なくなっている。会社のために尽くし会社に自分の人生を捧げる、ことに若者 は価値を見いだせなくもなっっている。


オランダにいると日本を常に客観的に(オランダ人、ヨーロッパ人の目線か ら)見ることになる。国内にいると考えもしないことを常に考えざるを得ない。 それだけでも貴重な体験だ。海外で現在形の日本映画、特に若い世代の感 性が表出しているものを観るのもなかなか、だ。

2000年2月4日(金)

ロッテルダム国際映画祭。

『Kiss me so long』

金監督登場、在日の問題を語っていたが、ヨーロッパにくると少数者が抑圧を 受ける、差別されるということが当たり前で何を殊更主張するのか、とう気分 もする。もちろん彼らの切迫したリアリティーはあると思うが、自分たちだけが 被害者、という意識があり一方的に日本を悪にしたてるのは問題の解決には ならない。

この映画では、なぜ売春をする子が在日であ必要があるのか疑問。むしろ何 も問題のない子がするところに今の日本の深い'病気'があるのではないだろう か。また、ボリビア帰還のテロリスト青年もよくわからない。確かに彼らを受け 入れる心の大らかさが日本にないことは事実だが、その問題とこの映画のな かでの設定の必然性がからまない。


『富江』

ロビーにいた日本人と会話。名刺をもらって初めて大久保賢一氏と知る。氏と しばし雑談する。彼は今回の映画祭にこの『富江』などを推奨したという。

『富江』、並んでいるとチケットに問題があって入場に少しまごつく。監督はホ ラー映画だが青春映画として撮ったという。「もっとも恐いことは血が吹きだす ことではなく、自分が確かでない、ことだと思う」と語る。


何のためにここにいるのか、どうして死ぬのか、結局人間は何もわからないま ま年を取り死んでゆく。どうしてそのことが不思議でないのか、どうしてじっとし ていられるのか、私にはわからない。生きるのに精一杯のときはかえって幸 せだ。この本源的な問いを自分に向ける余裕がない。


会場に来ていた生徒のジョルジオと話す。彼の父は生活のためギリシャから オランダにわたってきてレストランを所有する迄になったと言う。移民の他国 に必死に根を下ろそうとする歴史がある。

2000年2月5日(土)

『Ley Line』
三池崇史初めてみる。ここロッテルダムで彼は評判となっている。『オーデショ ン』が大きな反響。『オーデション』のチケットは売り切れだった。知らない監督 であった。

『ものの化姫』
大きな会場での上演だったが客席は満席。   


『ヒステリック』
高階膳所(たかしなぜぜ)、これも初めて知る監督。暴発する異常な男とそれ についてゆく、何か自分の意志のはっきりしない女の物語。

2000年2月7日(月)

オランダ王立芸術学校(R・C)ワークショップ、一年生の一回目。

まず自己紹介。何をしたいか、なぜしたいか、を訪尋ねる。

日本の学校の場合、表現をしたいというが、何でしたいか、何の目的でしたい か、が欠落している場合が多い。表現自体が目的となってしまう。

イメージ・アンド・サウンドという「フレックス」な名称ゆえに、そこに何か既成の ジャンルにこだわらない魅力を感じてきている生徒が多い。何かを求めてきて いるわけだ。動機の面で自分と共通性を感じた。


ギリシアから4ヶ月前に来たジョルジア。ギリシアで失望したと言う。彼が求め るもの、人間自身の表現、人間と環境、自分の体で何が出来るか、自分自身 の中に何があるか、知りたい、という。きわめてギリシア的だ。これでギリシア 人3人、ギリシアが先祖1人となった。題材に「カサンドラ」を使おう。


昨日、虚脱感に陥った。演劇を作ることのむなしさ。お金と時間を投入して、 やっと作り上げた途端消えてしまう。建築なら出来あがって、どう利用するか、 という楽しみがある。出来あがった途端おしまい、そんな馬鹿なことになぜ心 血を注ぐのか。むなしいと思わないのか。劇作家なら書いたものが残るし、年 齢的にひとつ作ることで「名声」を築き上げて行く、という楽しみがある。自分 には別にそういう欲求はない。じゃあなぜ?

だが、今日ワークショップをやって、こういう新鮮な思いで来ている若者と付き 合うのは楽しい。と思うと、情熱が出てくる。不思議だ。



内容
自己紹介。11−12時、林からコメント。主に身体をテーマにしたもの。ビデオ を見せる『デズデモーナ・クロアチア版』(林演出、クロアチア人俳優出演によ る)。

休憩45分、14時半から実技。今日はウーミングアップ的にやってみる。

まず正座。リラックスする座り方は人によって違うが正座でないことは間違い ない。ではなぜこんなしんどい座り方を日本人は考えたのか。「ペイシャンス」 (耐える)、自分の身体に苦痛を与える。我慢をする。それが次の行動のエネ ルギーとなる。静の中に動を。静の中で普段見えないものを見えるようにす る。

剣道を習っているギリシア系オランダ人ジョルジオと組んで剣道の構え、を見 せる。

歩行。すり足。目の位置。

次、合図でポジションを作る。待っている間、頭を空に。これがむずかしいよう だが、時間と共に集中しだす。もっと時間をかけたほうがよかったかも。まあ、 今日は紹介的な内容だからこれくらいでいいか。

言葉とポジション。考える、言葉が出ると考える。つぎにそれをしたくなくなる。 すると動けない。ギリシアのイリアス。

2000年2月8日(火)

朝、ITI日本センター事務局の小田切さんより電話在り。「日韓演劇交流センタ ー」ができるということで、その発起人にとのこと。各団体から二名ずつ、個人 は排除される、ということで西堂氏、岸田理生さん、タイニイの丹羽さんが入 れない。なんとも日本的、フォーマルな社会。

何かとオランダと日本を比べてしまう。もっとも大きな違いは、人間の中身の 違い。こちらのほうが自然体、で人が「大きく」、柔軟だ。ロッテルダム・フィル ム・フェスティバルのコンセプトひとつ取っても、なんとしなやかなことか。

「日韓」、自分にはあまり興味がない。インターナショナル・ワークショップと、そ の発展的なものとしてのインターナショナル・コラボレーション、が現在の関心 だが、「日韓」となると心が重い。欧米の連中とやりたい。自分が「黄色」系だ からよけいそうなのだろう。

2000年2月10日(木)

RC、2年生以上のワークショップ。

2000年2月9日

11AM、RC、ジョルジオと会い、『オレスティア三部作、アガメムノン』のカサン ドラのテキスト部分、オランダ語による翻訳を見つけてもらう。ジョルジオとワ ークショップの話しを少しする。

ロンドンのイエローアースシアター、デヴィッドにメール送る。小田切さんに状 況報告のメール送る。

2000年2月11日(金)

3時、ワセナーからアムステルダムへ向かう。この移動は意外とたいへん、と いうか移動の時間は一時間もかからないし、高速には家から5分で乗れるの で問題ないにも関わらず意外と距離感がある。ワセナーがあまりに田舎ゆえ だろう。ここにいると何もかもネガティブになる。田舎は恐ろしい。睦子と自分 にとっては田舎の環境はやはり耐えられないようだ。

「ホテルオークラ」の書店で、オランダ人の書いたインドネシア収容所の本(日 本語訳)を見つける。高くて手が出なかったが興味深い。日本で購入。

オランダ語エクスプレスとカセット、白水社より。

ホテル・オークラ地下の『ヤマ食料品店』で魚用の網購入。これで魚が焼ける ぞ!焼き魚が食べられる!こういうことがこんなにも感動ものとは、これが異 国に暮らすということだ。

「ホテルオークラ」に車を(無断駐車!)置き、歩いて「フィルムミュージアム」 へ。だんだんオランダ人的になっている。無駄な金は使わない。距離は結構 ある。


日本にいたときは、いらいら、かりかりしていたのにこちらに来てからはまった くない、とのMのコメント。なるほど、人間に腹立つ、嫌気がさすということがこ ちらでは殆どない。「筋金入りの寛容」(『オランダ文化事情』より)のオランダ 人と付き合っていると、なにか心が自然でいられるし、無理しなくて良くなるか らか。それになにより人間の質が良い。

日本にいて、フツーに思えたことが(人間関係で)ここに来ていかに異常か、 知る。

「ゴッホ美術館」前でたばこふかす。日本人カップルいた。やはりここにはいる な、この人たちは。

6時だというのにまだ空が明るいのに気づき、カンドー。うれしい。こういうこと に一喜一憂している自分が面白い。オランダに着いたときは、午後4時には 暗くなっていたから、いまは春に向かっているのだ。うきうき。長く憂鬱な北ヨ ーロッパの気候のうとましさよ。文化庁の研修は春に始まって春に終わるべき だ。秋から始まってヨーロッパのどんよりした曇りばかりの冬に突入、というス ケジュールはそれ自体がハードルになってしまう。みな研修者はこれを体験し たのだと思うと、決してヨーロッパへの研修がわくわくするものだとは言いきれ ない。みな苦渋をずいぶん味わってきたのだろうことが推測される。自分はフ ランスに助けられてその分ずいぶんラッキーだったと思う次第。

6時半、「フィルムミュージアム」に着く、が入り口が開いていない。待っている 人が他にもいる。カウンターの人間がまだ来ていないということだ。日本では 大変な騒ぎだが、ここでは人間そういうこともあるさ、という気持ちになれる。 他の部署の人間が来て、謝罪されたが、笑顔で平気、平気といえるのもオラ ンダならでは。お詫びにカフェの無料券をいただく。

フイルムミュージアムで『サムライ』と『ヘイジーライフ』を見る。

「フィルムミュージアム」に来たオランダ人レオンと友達になる。

9時に『サムライ』が終わって、彼とフイルムミュージアムのカフェで雑談。9時 15分、Nさん来て、一緒に少し話し、『ヘイジーライフ』見る。Nさん、いまどき の日本の若者を見たなあ、と言う。日本に対して悪口しか言わない彼女。ま あ、仕様がないな、という感じなのだろうか。

2000年2月15日(火)

3時、アムステルダムへ愛車ミクラで行く。フェーン近くの池、コーヒーを飲み ながらコンピューター打ちに最高の場所見つける。車も無料で駐車可能。

9時半、「フィルムミュージアム」で『おもちゃ』見る。娯楽作か。1958年の京 都、売春防止法騒ぎの中、ヒロインがやがて舞妓になるまで。

昨日知り合ったレオンとライデン大学で会う。

2000年2月16日(水)

プリンターのインクが切れ、ライデンに買いに行くがない。日本から取り寄せな いとならない。なんということ!

ライデンで携帯掃除機、クッション買う。少しずつまともな生活、に帰って行く。 人間らしくなって行く…。

ベルギーのアレンよりメール有り。「国際演劇大学集会」。行くと返答を送る。 2月28日から3月5日の日程。オランダ脱出じゃ!
クロアチアのワーニャからメール届く。

ディビッドから、「ロンドンでのワークショップの日時確定した、会場は追って連 絡」とのメール。

Nさん、インドネシア関係の知人と会うとのメール。

デンハーグの「コーゾ劇場」に『オレステス』を見に行く予定尾だったが、突然 の「猛雨」で中止。

2月17日(木)10時半―5時、RCワークショップ。

午前中、『勧進帳』。一回目、まず日本語の発音の特徴から。次に『勧進帳』 の背景について。10―11世紀の日本史。武士の台頭について。

午後、まず呼吸、リラックスしつつ(座して)、特に背骨(spine)を動かす。

上を向いて息を吐く、次にそのまま前に。

2000年2月22日(火)

『Reigen』観る。
De Nieuwe Paardenkathedraal
Arthur Schnitzler
「ゴーダ市立劇場」、8時―

この公演のちらしがすごい。上品なお姫様が、男の生のおちんちんをくわえて いる。やはりオランダ。このセンス、いただけないよなあ。しかも公立劇場の 公演で堂々とこういったゲテモノのちらしが配られるとは、どういうセンスをして いるのか。

舞台、とくにスペースの使い方はまあまあだったが。

2000年2月23日(水)

シアターグループ・ホランディア公演観る。
ユトレヒト市立劇場にて。



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