上演活動、再開


『ヌード』、『ツアラトストラ』
2005年9月
(新)テラ・アーツ・ファクトリー 第一回旗揚げ公演


2005年7月
90年代、海外と日本を頻繁に行ったり来たりし、過酷な旅を何度も経験し、その間の 無理の積み重ねがたたって1999年以降体調不良に陥ち入った。過酷な演出、集団 主宰に耐えられるか、正直、自信がなかったけれど、とにかく2005年、何とか再起し た・・・。

人生、思うようには行かない。

日本を離れよう、そお思ったのが1980年代後期、人々は経済的繁 栄を謳歌し、日本中が全く異様、異常だったが、そう思う自分の方が 「異常」と思われる空気が支配していた。演劇は小劇場が消費社会の 中にどんどん取り込まれていく。「抵抗」するのも何だかばかばかしく 「こんなところでやってられねえや」とモチベーションを無くした。


30代に突入しようという人生の転換期。ヨーロッパからやってきたタデ ウス・カントルの舞台に刺激を受けた。ヒノエマタという福島県でやった パフォーマンスフェスティバルへの参加も刺激になった。ヤン・ファーブ ルの初来日公演『劇的狂気の力』の制作を手伝ったのも刺激になっ た。で、目がそれまでぜんぜん関心のなかった海外に向いた。


そんなこんなで外国に頻繁に足を向けてみることにした。そのうち、行 ったり来たりが面倒だし、飛行機は嫌いだし、でいっそ、ヨーロッパに 住む場所を決めて、日本の外で活動したいとか思った。それが10年 かかってようやく現実化する、それこそ一歩手前まで行っていた。のに 人間ってえのは妙な生き物で、何だか急に心がかわっちまった。200 0年のことだ。ついでに頼る者もないヨーロッパでからだを壊し心細い 思いをしたりぃで、結局、時期は過ぎた。日本でやれ、との神の啓示 か(笑)。


まあ、こうなったらこれまで以上にじっくり、腹を据えてやっていくしかな いし。

小さい規模で、身の丈サイズに合った活動を一歩ずつやろう。というこ とで、自前の演技研究会「シアターファクトリー」のワークショップに参 加していた旧林ゼミ2期生、つまり元生徒さんたちに「一緒に舞台やっ てみようか」と声をかけてみたのが昨年(2004年)のこと。


が、「舞台をやろう」と声をかけて馳せ参じたのは、社会人経験があ り、皆より年上の藤井と彼女と親密な井口の二人だけ。45人にして2 人。。。それに1期林ゼミから唯一参加の根岸を入れて3人。「3人だ けの集団かあ、これで舞台できるのかあ?」。そんなぼやきが聞かれ た。それから一年経ち、何とか「旗揚げ」までこぎつけた。今年に入っ て更に数名が新テラ・アーツ・ファクトリーに加入した。


旗揚げするし

で、ついに旗揚げ。
『ツアラトストラ』は「シアターファクトリー」メンツ中心による上演チーム (ワークショップ参加メンバー)。『ヌード』はテラ・アーツ・ファクトリー女 性団員を主体にしたチーム。二本立てで、『ヌード』は藤井に演出をさ せる。私はその支援にまわる。『ツアラトストラ』はもともと上田さんが、 シアターファクトリーの「実験・創造工房」でモノプレイとして上演したも のを再構成する。今回は共同演出形式で、わたしは主に複数メンバ ーの登場場面を構成し、「本体」に組み込む仕事をした。

これでとにかく「旗」を立てた。あとはどこまでしぶとくやり続けられる か。もう後には引けない。これが最後の集団と腹をくくって取り掛か る。50にして再び立つ、か。。。。


はじめの二年間は集団の足場固めを作品つくりをしながら行う。同時 に方法の創出、組織的な集団的な活動、とはどういうことか、身を持っ て知ってもらう。

次の二年間で作品レベルを上げる、個々の演技の質と意識を高め る。そして方法の理論化、上演活動の「根拠」を明確にする作業を私 が行う。現場で起きていることの理論化、それが出来るかどうかが、テ ラ・アーツ・ファクトリーの将来を決めると言えよう。

まあ、何事も「ぼちぼちでんなあ」ですって。

2005年7月15日(金)
7月中旬となった。『ヌード』に掲示板テクスト(主に女性側)を使用。吃 語的発語は両方に入れる。特にドキュメントや重要なコメントの部分 は。

O氏と中内でちらしの第一稿を見る。いい感じだ。この線で行きたい。 裏面に情報一杯ちらし。

2005年7月19日(火)
夜、『ツアラトストラ』前半、「連句」部分、絶好調。話し合いを置いて後 半不調。その理由を考える。「考えすぎ」(連句の最中)、作品への意 図、作為が頭を支配、など。

2005年7月24日(日) 
曇り、涼しい一日。

日誌を記しながら一週間を振り替える。

こういう日曜日、休日は大切だ。これがないと日々が流れて飛んでゆ く。

藤井と待ち合わせの13時半まで、小滝橋通り「サイゼリア」で先週の WS、『ヌード』、『ツアラトストラ』稽古を振り返る。

藤井と演出打ち合せ。「ラブ下」レバノンレストランにて。『ヌード』、どこ をどうしたいかを演出の藤井に聞く。

シーン1を細分化して構成する。テクスト(掲示板)と組合せる。携帯を 覗き、そこに言葉を発する顔のない少女たちの声。

『ヌード』は現代を少女の側から反照。空、空虚、空白、空漠感を徹底 する。究極を描く。それによって彼女たちが接触する環境、社会、人と 人、男と女、家族の関係のあり方を生み出した日本社会の歴史性、 近代、戦後60年を反照する。

観客に対する「説教」はしない。答えを出すこともしない。現状の断面 を「極所」だが、典型的に凝縮された場所、内面側から描きだすよう に。

今日、やるべき仕事。マスコミ用「公演案内」作成。「少年犯罪」、少年 の非行、女性・性、セクシャリティなどが主な題材。

2005年7月27日(火) 
台風通過、夕方、一時激しい雨。

午前、ちらしが出来上がり、「大栄ビル」のトランクルームに運んでもら う。2万枚、素敵なちらしだ。表紙は吉永の絵で行く路線。裏は舞台写 真構成。


TCでN(『ヌード』)とZ(『ツアラトストラ』)の稽古を見学(各チーム、そ れぞれ同時並行で別々の部屋で稽古)。

Nチームはファリファリから通し、Zチームは連句、そしてFサークルを やっていた。ZチームをNチームの連句の中に入れて連句の進め方を なじませる。「我」が消えないと、思うようにいかない。「全体」の一部に なる、「融ける」ことで自我から解放される状態を作る、言葉を解体す ることで自我が解体される、ということだ。

自我とは、あるいは「自分とは何か」という主体は言葉によって作られ ている。言葉で自己確認する、そういう生きものが人間である。一度、 解体し、それから「複合的、集団的、関係連鎖自己」を再構築する作 業、として連句は意味手法があると思う。


Nの冒頭シーン、3分、沈黙であるいた後、即興連句、シーンを入れ る。6人で連句、3人は「歩く」、その後、掲示板を読み上げる。連句と 掲示板は重ねて構成する。動きは一人、ないしは二人単位で。

2005年8月6日(土)
60回目の広島の夏。

60年、節目になっている、わけはない。山本七平の『私の中の日本 軍』を少しずつ読んでいる。あまりにデープでリアルな戦場のリアルな 現場体験でちょっとずつかろうじて読み進む。フィリッピンのジャング ルでの死闘、死が日常であり、何もかもが「外野」の価値観と転倒して いる追い詰められた死闘の場。善意が大きな残虐を生み、生存する ための行為が戦犯として処刑されてもおかしくない行為となりうる。

「マスコミの罪」を戦時にジャーナリストによって、悪意なく捏造された 戦意高揚物語「南京百人斬り競争」を例に取って詳細に、戦場と銃後 の心理の差異から検証している。


「ツアラ」稽古 TCにて。桑原、山内、曽田、上田、滝。
今日は、上田組、4人組それぞれで話し合い中心。
問題はどの方向に進むべきかが、見えていないこと。もちろん、それ はラストのシーンをどうするかであり、芝居としてどういう結論を出す か、を問題にしていない。何を問題にしているかを提示すればよい。

ニーチェに関して、「コンクリ事件」に関して作品でコメントするのは、 演劇の役目ではない。しかし、それゆえ、稽古を進める際に困難がつ きまとう。だから、台本を先に求めたり、結論や芝居の到着点をしきり に求める演劇人では一緒に作業は面白くないだろうし、不安に負けて しまうだろう。

2005年8月7日(日)
相変わらず暑い、36度くらい。。。。猛暑だ。


藤野合宿の準備あれこれ、芸術の家に電話連絡。上田「流れ星」グル ープ5人が藤野参加希望。

NHK芸術劇場で、松本修がワークショップで芝居を作る話を。 『America』放送。「歩いてみる」から稽古を始めるのは基本か。彼の 場合も最初はそいうことからスタートしているようだ。

『ツアラトストラ』の稽古場はワークショップ的になっている。その良さも あるが、時間の制約があるから、テクストを提示し、それを軸に、また 上田シーンを柱にそれに絡ませることを意識して進めてゆく必要があ る。

2005年9月1日(木) 藤野合宿
シアターファクトリーの合宿と同時並行しての藤野合宿。

13時半に到着、部屋に入る。4人部屋の洋室を単独で使うことにす る。

15時、芸術の家の入り口にある「ぶるべ」で思考に耽る。

ソビエトの崩壊、東欧の社会主義社会の崩壊以降、すっかりマルクス 主義も共産主義思想も相手にされなくなった。少なくとも、我が日本で は、それを口にすることは「旧勢力」扱い、誰もが口にしなくなった。何 故だろう? 確かにソ連の凋落、中国の市場経済化、北朝鮮の貧し さ、ポルポトの残酷さ、共産主義を語るとき、これらの現実を避けては 通れない。では、資本主義は勝利したのか?アメリカは勝ったのか? 世界は市場経済で一元化されることが人々の幸せにつながるのか。 人類は発展してゆく、という考えは正しいのか? 科学技術の発展と 生活の便利さが人々を救うことと諸手をあげて賞賛してよいのか?

テラ・アーツ・ファクトリーの上演活動再開にあたって、もう一度、確認 しておくべきだ。自分の思想はどちらを選ぶのか?市場経済、自由主 義、小泉政治の構造改革、つまりアメリカ型資本主義社会への構造 転換。つまりは日本型、むら社会、助け合う共同体から、孤独な個人 の戦いによる弱肉強食の社会への構造、意識の改革。。。。

昨日の告示から、衆議院選挙が始まった。話題噴出、小泉首相の作 戦は当たり、やはり大衆は大衆的行動を取る。つまりは「わかりやす さ」を演出する小泉を支持する人々が増えている。小泉、さらにその子 分格の安部の思想はよくない。

テラの活動はどの位置にあるか?
現状を変えようとする立場につながる勢力であるのか?(現在の仕組 みを維持しつつ改革する) 現状の世界を肯定しない立場を取るの か?(現在の仕組みそのものを変える・・・革命派)

「ツアラ」は曽田抜きで、14時−17時、17時−19時と稽古。パート2 部分、テキストの割り振りと前回の稽古で考えた「トリプルバランス」の 前にミックスするシーンを彼ら3人が考えたのでそれを見せてもらう。 OKを出す。

「ヌード」は和紅が喘息で動けなくなったので、彼女抜きでシーンの細 かい確認と空間構成など。

深夜、テラの会議。志村の入団、和紅、横山、入好を含めた取り扱い に関して。志村は受け入れることにみな同意。団員、準団員の扱いは 公演後。

上田、藤井、林の誕生日祝い、まとめて和紅が手製のチーズケーキを 作ってきてくれる。ありがたい。

上田誠子、テラに加入するかどうかを問う。「もう少し」という答えに、 公演までに決めるよう伝える。『イグアナの娘、たち』の世界は好き、と のこと。

その後、藤井と山内で深夜3時まで雑談。雑談的な内容。

2005年9月22日(木)
先週の週末に引き続き、3連休。しかし、ほとんど関係ない。

今日、佐伯隆幸氏から来場のFAXが届く。七字英輔さんも来場する。 6年間の歳月、その間に下ごしらえしてきた集団と、新しい表現方法、 スタイルが試されるわけである。

ゼミの生徒は31名中16名が来る。強制せず、自発性に任せた結果 だが、この数はまあまあ、だと思う。彼らがゼミを引っ張って行けば、 卒公も行ける。

2005年9月27日
小屋入り前、わくわく感も6年ぶり

いよいよ小屋入りを二日後に控え、最後の通し稽古。今回の私の役 割はみなを後ろから支える役。自分が全面的にはじめから指揮して作 った作品はその次、来年の4月になるが、無論、今回も血はたくさん 入り込んでいる。

作品は用意万端、大胆な発想、奇抜で奇妙でしかし、なるほどと観客 を納得させられるものになった。

『ヌード』(構成・演出藤井理代、集団創作)は20代の女の子の感性が 随所に出たいい作品だ。発想も若々しい。

『ツアラトストラ』(構成・演出上田祥市、共同演出林英樹、集団創作) はあっと観客が驚くことが目に浮かぶ、予想外の展開。どきどき、もの です。スリリングでもあるし、観客に謎かけをするような作品でもある。 観客によって見方、受け止めがはっきり分かれるだろう。

さてさて、楽しみ、な本番まであと二日。これから最後のスタッフワー ク、そしてパンフ作りが待っている。。。。。

2005年9月28日
心新たに決意、静かな「旗揚げ」の夜

今回、テラ・アーツ・ファクトリーは<演劇集団>として集団性を核にし た活動に入る。1980年代後半は、その前の演劇集団アジア劇場を 継承し、「制作室」としてのスタッフ集団から出発、演劇の身体性、一 回性、ドキュメント性を、〈プレシアター〉として提唱した。<プレシアタ ー>とは、私たちの集団の造語で、「演劇」の「あちら側」ではなく「こち ら側」、太田省吾氏の言葉を借りれば、≪劇の手前≫を問題にする意 味の用語である(これを命名した際には太田氏の80年代初頭の発言 とリンクしたわけではないが、今から考えると、この命名にはほぼ氏の 演技論と極めて共通した意識があったことを再認識している。)そこで は「演劇」の制度である「役」を前提にした、つまり虚構を通じた劇への 関わりではなく、自らの身体(現実)と劇行為を直接結ぶ行為、とでも 言おうか。結果的に<パフォーマンス性>が重視される劇行為に近い ものとなる。<パフォーマンス>は役を通さず、直接、演じる(生きる) 本人=身体と劇行為(パフォーマンス)が接続するもののことを言うの だから、限りなくそこに近いものとなる。そういう舞台を初期のテラは 続けていたのだが。。。。。。むろん、劇という非日常(虚構の場)という 認識は当然ある。ただ、通常の劇が、劇場の様々なテクノロジー、舞 台裏、観客席も含めた非日常性=虚構性を隠蔽しながら、もう一つの 虚構(第二の虚構)である劇中にいきなり入り込むのに対して、場も含 めた<虚構性>(第一の虚構)を開示しながら、その場へ足を踏み込 もうとする理由、根拠=演劇自体の思想性、を構造的に見える形の舞 台を試みたわけである。


1980年代後半、時はアンダーグラウンド演劇が衰退しつつも、その ドラマトゥルギーを取り込んだ小劇場が、エンターテイメント性を前面に 打ち出し、演劇と観客の関係を大きく塗り替えようとしていた頃のこ と。演劇産業(ビジネス)が成立するのでは(演劇で食える)、という期 待が若い演劇人たちを支えるモチベーションとなっていった。第三舞 台、キャラメルボックス、夢の遊民社が若者たちの「神」となりつつある 時期、そうした流れへの「批評行為」でもあった。。。。

やがて90年代、日本の演劇状況に深く絶望した私は、より個人として 動くことにした。そして海外の演劇人たちとの出会い、「日本」の外との 遭遇、による世界性との出会い、によって意識はどんどん日本から離 れていった。そういう時期にテラ・アーツ・ファクトリーに改名し、ユニッ ト集団化し、公演ごとに基本メンバー以外、演劇人以外も加わったユ ニットでのプロデュース形態を取るようになる。海外での公演には準備 と資金面で大きな負担がかかり、そのため国内での公演準備、態勢 は十分に取れなくなった。そして1999年の『カサンドラ』公演の公演 中止、という痛恨(40名規模の出演者が出るプロデュース公演だった が、内部に問題をかかえ公演中止に追い込まれる)のあと、長い上演 休止期間(6年半)を経て、ようやく活動再開にこぎつけた。ざっとこれ までの経緯。今度は演劇集団を基盤とした上演活動であり、〈シアター ファクトリー〉構想と、その具体的活動としての〈実験・創造工房〉を足 場とした活動の仕方を開始する。


と長い歴史はあっても、演劇団体としては新規参入する演劇集団、と 考えたほうがいいだろう、と思っている。この新しい集団は私が「不在」 であっても成立し、継続できる態勢を持つ集団であるべき、ということ も考えている。集団とは個人が集まった場だが、個人のものではな い。私個人を離れ、参加するメンバー一人一人のためのものという意 識をより強く持とうと考えている。

劇団というのは星の数ほどある。新劇のような組織のはっきりした団 体は別にして、あとは劇団といっても<演劇集団>としての性格は曖 昧なものが多い。

<演劇集団>を名乗る以上、座長の作品発表のための場であっては ならない。集団に関わるメンバーたちの、表現活動に必要不可欠な場 であると同時に、それがより創造性を高め、創造的な活動を個々人に 可能ならしめるもの、勇気付けるもの、創造活動を円滑にさせるも の、であるべきだと思う。つまりその機能、メカニズムこそ大切だと思 う。

それは集団が「法人」に近い存在、であるべきという考えでもある。


今回の公演は、この演劇集団としての新テラ・アーツ・ファクトリーが船 出をした、ということだ。

心新たに決意、の夜。。。。。

2005年9月30日
初日、ついにあける


初日。新演劇集団旗揚げ、でいきなり超満員の洗礼。客入れがてん てこ舞い。メンバーが公演に慣れていないから、どうなるかとひやひ や。

黒テントの佐藤信さん、万有引力のシーザーさん、錬肉工房の岡本章 さん、写真家の宮内さん、寺山修司さんと交友のあった写真家の楠野 裕司さん、演劇批評佐伯隆幸さんらが来てくれる。

佐伯さんの書物に出てくるパリの地下墓地そばのダンフェルロシュロ ー(佐伯さんが一年半滞在したアパートのあったところ)をパリに行くた びに歩いたり、太陽劇団を訪ねて、内緒で佐伯さんの名前を口にし て、稽古場に入れてもらったり(昔ですが)。。。

テラの中核メンバーは後半の『ヌード』出演のため、会場整理に奔走。 初日に大いに厳しい試練に立たされた。

岡本さんは、「しっかりした集団が出来つつあるね」。舞台も大いに評 価してくださった。舞台表現に厳しい眼差し、意識を持つ岡本さんに好 感を持っていただいたことは千人力と言える。

それにしても観客席は立錐の余地もない。こんなに入らなくていいの になあ。ゆったり見てもらいたい、というのが本音であった。まあ、それ を言うと「ええ」と言われるが、本心である。

2005年10月1日
今日もいっぱい

今日も、昼、夜ともに観客席はいっぱい。会場整理に当たった『ヌー ド』出演者たちも手馴れてきた。


初日の前の夜、照明の小坂さん、あかり作りに四苦八苦。で、一度、 プランをゼロにして深夜のデニーズで照明プランを根本から見直す。

しかし、まだまだ納得が行かず、この日も照明プランを見直す。舞台 の動きと呼吸する明かりを。。。だが、コンピューター打ち込み・記憶 式の現代の「進んだ」照明機材ではわれわれのようなアナログ・マニュ アル形式の明かり(シーンの途中、決して固定されない。演技に対応 して明かりも即興性を持つ必要がある)をこなすのは難しい。が、やれ るぎりぎりのところまでお願いする。照明家の負担は大変なものだ。

音響もそうだ。即興的即応性を要求される。何より舞台の流れがわか っていないと出来ない。であるから、稽古をずうっと付き合ってくれるス タッフが必要。「プロ」だからといって出来るか、というと出来ない。技 術より感性が重要だからだ。テラの場合、照明も音響もアーチスティッ クな感性を要求される。だから、プロの音響さんではなく、シアターファ クトリーの西君にやってもらったのだが、正解だった。

何にもまして、舞台と一緒に呼吸し、一緒に瞬間瞬間を作ろうという姿 勢をきちんと持ってくれたからだ。本当にスタッフはよくやってくれた。 こんなにスタッフにとってたいへんな(やりがいがあるとは思うが)舞台 はそんなにはない。

演技。上田さんは苦しんだ。この日も観客の呼吸との掛け合い、いろ いろ試してみた。うん、もう一歩。初日は強さはあったが、硬さもあり、 今日の昼は、逆に声が少し高くなり、そのせいか言葉が流れ気味に 感じた。夜はその中間点、でようやく客席との「間合い」を見出した感 じ。この感覚は観客を目にしてからだで掴むもの。稽古場だけではな かなか掴みにくい。。。とにかく、みなみな本当に「必死かつ力まず」が んばった。

そして何より、もろもろの進行を支えた舞台監督の長谷川君。よくやっ た!初めての仕事、初めての経験、でも、ちゃんと舞台監督になって いたよ。そして、制作、会場整理にあたったテラの女子団員たちも奮 闘。

これからが楽しみ、これからの可能性を感じたとは演劇批評(なのか 演劇愛好家なのかは不明?)の村井さんからの言葉。今回は、まず <演劇集団>として継続的、連続的活動を支えてゆける基盤を作る ことも重要な目的。その点は十分、なった、と思う。

2005年10月2日
早くも公演楽日

はやくも公演最終日。しかし、この日もまず明かりの直しから。特に舞 台と連携して、かつ即興対応の必要なシーン、を作り直す。。。。。

マチネー、演劇批評の西堂さん、新野さん、七字さん、そして学生時 代、草創期の「演劇集団アジア劇場」団員だったKさん、関西から日帰 りで駆けつけてくれる。実にありがたい。。。

ソワレー無事終了。まず第一段階、というよりささやかなスタートは思 ったより順調に滑り出せた。予想通り、観客の意見は真っ二つに。メ ンバーの知人友人も真っ二つに割れる。

それでよろしいのだ。腹は決まってる、覚悟も出来てる、これしか出来 ない、これしか関心がない。演劇をやるとするなら、こういう形のものし かやりたくない、のだから仕方がない。

もちろん、照明にゼラを入れてカラフルにすることも、もっと装置を持 ち込むことも、わかりやすくすることも(「ツアラ」は敢えて「結」を出さな い、覚悟で作った。客からいろいろ文句や注文が出る、ことを承知の 構成を仕掛けてみた)ロスコーを焚いて効果を上げることもいくらでも 可能だが、それをしないそういう演劇をやりたい、のです。

率直に言って、観客数は今回を上限(500名)にしようかと思ってい る。それ以上、入れなくて良いと思った。

観客数を増やすだけが目的じゃない。しっかりした方法論を構築する こと、再演に耐えられる演目を創造すること、一回だけの消耗品、使 い捨ての商品の対象に舞台創造をしないこと。そのためには、非常に ストイックに頑固に、昔かたぎに、いいものをじっくり作ってゆく、という 強い意志を持って、臨む覚悟が現場サイドにも必要なのである。

短距離的な射程で活動をしているわけではないからじっくり、ゆっくり やっていこうと思っている。

2005年10月16日
演劇の外から演劇を見よ・・・・


「テラ・アーツ通信」2005、冬号を作成する。A4サイズ両面で2ペー ジサイズ。次回「実験・創造工房」の試演会と演劇ワークショップ情報 が1ページ、裏面は10月公演のドキュメント、こちらは観客席からのこ とばを掲載。


「吉本」にいていま「お笑い」をやっている芝居慣れしていない観客か ら、「お笑い」に通じるライブ感覚、が今回の舞台とすごく共通している 感じがした、との意見を聞いて驚く。こういう驚きは愉しい。。

予定調和、テレビドラマとさして変わらない小劇場の芝居が好き、とい う人間自体、一般の日本人からすると特殊、変なのかもしれない。単 純に娯楽なら、もっと別のものがたくさんあるし、わざわざ劇場にまで テレビやPCで見られるものを見には来ないでしょう、というか私はそう だ。だから、ドラマっぽい芝居となると知り合いがやっていて義理があ っても、劇場まで足を運ぶのが億劫。

どうせそこまで時間と労力かけるなら地球のどこにも見当たらない出 来事を目撃しに行きたい。

今回、観客の意見はまっぷたつに二分された。象徴的なのは主に小 劇場芝居を見慣れている観客や小劇場で芝居をやっている観客の 「観客に夢と感動を与えるのが芝居」「芝居=娯楽」「わかりやすい芝 居を」という立場からの否定意見。これは初めから無視しているから 否定されて当然。

何故、殆どの日本人が演劇に足を運ばないのか、という現実に目覚 めるべきだ、と言いたい。「娯楽」や「夢」や「感動」なら、人々はもっと 外の多様で手軽な娯楽をすでに手にしている。劇場に来ているのは 単に好きな俳優やアイドル、タレントを生で見たい、という程度の理 由。それでメージャーといっても日本人の1%のさらにその1%(1万2 千人)が来て、「メジャー」と勘違いしている演劇人も含めて猛省しなき ゃならんのですよ。それか徹底して「少数派」にこだわるか。私は「50 0人」の観客に向けてやってゆくつもり。日本人人口の1%のさらに 1%の、もうさらに4%、ここまで来ると「精鋭」となる。そうです、「精 鋭」の日本人(だけじゃなくて海外行けばもっと幅広い観客が支持して くれる)が相手、「大衆」におもねるな路線、で行きます。アンチ・ポピュ リズム!〈わかりやすさ〉で受けるのは「小泉あんぽんたん政治漫談」 だけで十分。

観客動員ばかり気にして、500人を何とか1000人にしよう、1000 人を何とか2000人にしようと涙ぐましい努力をしているのを見て、20 00人たって日本人の何パーセント?って考えないのかなあと思う。そ うか演劇の中でしかものを見ていないか、そういった連中は。社会人 的感覚欠如、じゃあ、いつまでたっても駄目人間しか来ない、そういう 劇団には。

小劇場の「お芝居ガンバッテいつかメジャーになりたい」派には苦言を 一言。どんなに背伸びしても無理。テレビ、映画、オンデマンド、これら にはその路線では勝てない。もっと別の闘い方を考えないと、と。


ところでわれわれの観客評の分析をしてみた。『ツアラトストラ』は20 代の男の子は、自分の中の見たくない部分と向き合うため、そこで見 たくない、と思う者とそれでも見る、という態度とに分かれる。「若者 (男)」を性的に捉えているため反発や、自分が対象の中に入ってくる ため、きついのだろう。それでも冷静にその奥にある声を「見る」派は 2割くらいか。『ツアラトストラ』は意図的に挑発的な演劇にしたから、 反発は覚悟の上。それでも見たい、見よう、という少数派にテラ・アー ツのファンになってもらおうと狙ったわけでもある。女性では20代、30 代は男権的な言葉や題材に抵抗があるようだ。が演劇としての質を 見る者も多数いる。演出や演技は洗練されていると思う。

『ヌード』は40代、50代の女性は、若い女の子を題材とした世界、言 葉に対して「冷淡」派が多い。40代、50代で演劇を見ている男性では 抵抗はないし、興味深く見たりもしている。10代、20代の女性では比 較的共感する者が多かった。いずれも題材に対しては、性差、年齢差 が大きく反映した。演出、演技に関してはおおむね好評。ここがよけ れば、ついてくる者(観客)はついてくる。



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