2005年2月24日〜3月5日(上演まで13ヶ月)
ロンドン、パリを歩いてみる。
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2月24日〜3月5日までロンドン、パリに行く。『イグアナの娘、たち』
のプランを日本から離れて考えるのが目的のひとつ。
旅の基本は<歩く>、街を歩く、人を歩きながら見る。建物を、街路
を、そこにある生活の表象を<歩く>中で眺める。ぼんやりと眺める、
ぼおーっと眺める、何気なく眺める、そして息を吸う、息を吸い込み、
からだの感覚を楽しむ。街が、すれ違う人が違えば、まず身体感覚が
変わる。それが日本より、他の国へ行ったほうが強まる。国によって
ずいぶん違うから、更に身体感覚が鋭敏になる。ロンドンのストリート
を歩くのとパリの町並みを歩くのではぜんぜん違う。まず耳に聞こえて
くる音声・・・英語とフランス語の語感がまったく違う。そうしたことに敏
感に反応するからだ、が何かを覚醒させ、目覚めさせる。その「目覚
め」の感覚から、あるいは日本との差異、の身体感覚から、逆に<日
本>という場所が持つ特殊な「けはい」に敏感になる。その日本ならで
はの「けはい」が地となって人々の行動、考え、趣味、好み、そして永
田洋子の生き方も現れてくる。あるいは、その「けはい」という<地>
から浮かぶ<図>をイメージしながら、作品の「地図」を描いてゆきた
い。
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試演会に向けて(公演14ヶ月前)
先週の木曜日に続いて集団創作『イグアナの娘、たち』の稽古。
<空間構成>の基本稽古と作品構想をめぐる話しあいをする。
私たちの集団創作は、出演者が企画者であり、作者でもあり、方式。
創作に当たっての「権力関係」を排除する、「民主的」創造スタイ
ル。。。。誰もが作品自体に発言権があるし、責任もある、方式。だか
ら最初の段階は時間がかかる。
それゆえ、最初は週一回ペース、続いて週二回、週三回。。。4月の
試演会で最初の試し、更にじっくり思考し、練り直し、試演を重ねたり
してみて、2006年秋上演をめざす。
通常の芝居は戯曲がまずあり、配役を決め、本読みし、そして立ち稽
古と決まっている。だが、私たちは最初の段階を劇作家個人ではな
く、出演者全員で考えるスタイルを取る。
だから、試しで作ってみたり、しばらく寝かしてみたり、横から眺めた
り、その間に別のことをやったり、本を読んだり、そして再び集まり、再
検討してみたり、遊んでみたり旅に出たり、というじっくり「練り込み」ス
タイルになる。
世の中、消費社会真っ只中、演劇さえ消費的。だから逆にじっくり手
間隙掛けて、出来上がったらレパートリーにして、国内はもとより海外
でも あちこち声がかかれば「出前一丁」、スタイルを取ろうと思う。 だ
から「身軽」な、からだ一つあれば出来る、そういう作品を作りたい。余
分な金はかけない。<持たない>からこそ出来ることがある。
『イグアナの娘、たち』は同名の漫画のストーリーは無視し、タイトルか
らのイメージをスタートに創造作業を始める。前回の稽古は、参加予
定メンバー(8名ほど)がこのタイトルに関連性があるのでは、という書
物を持ち寄り、それぞれが内容を紹介したり、何が面白いかを語り合
った。
で、皆も更にイメージを膨らませ、大雑把なアウトラインやら、アイデア
やら希望やらを語り合った。
集団創作では、演出は従来の芝居作りと逆転し、「聞き役」に徹するこ
とが要求される。聞きながら、先導してゆく、スタイル。出すぎても駄目
だし、遅れても駄目、という阿吽の呼吸で併走してゆく感じだ。
作品の軸としては「被害妄想」を通じて現代日本の状況(症状)をここ
ろの側、こころに巣くう病根から捉え返してみたい、という方向、だが、
まだまだ始まったばかりで白紙に近く、その分、可能性は無限大
(笑)。
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「イグアナの娘、たち」稽古
連歌・・・「アンチゴネー/血」スタイルで。だいぶいい感じになる。
参加、松山、根岸、中内、上田誠子、入好、黒沢、横山 休み:う
め、井口
連歌形式をたとえば移動しながらやる形、ある動作をしながらやるか
たち・・・鉛筆を削る、芯を折る、また削る、などの象徴行為。パラレル
に使う掲示板テクスト、これを書く、かき消す、を象徴、とかに応用、あ
るいは転用する。語るほうは首の上を梱包・・自分を隠す。これはネッ
トでの匿名投稿・・・という隠蔽された内面の露出、とリンクさせる。・・・
そこから「いじめ」「差別」「被害妄想」という展開に持ってゆく。
このシーンの背景、あるいは芯に永田洋子の書簡、総括文、あるい批
判書、日誌などをパラレルに使用する。
宿題:音をたてるもの、鉛筆削りを探してくる。顔を包むものを探してく
る。今週中に。
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イグアナ稽古 OC
休み、佐藤和紅、黒沢亜希子
前回に続き、連歌を移動でやってみる。また顔を覆う形でやってみる。
奇妙な感じ、奇怪なものたちによる奇怪な行動に見えて面白い。
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イグアナ稽古 KC
音を立てる。繊細なシーンだが、それが表れていない。行為にさまざ
まなテクストが表象してこない。まいこは根本が違っている。ヒューマニ
ストの演技、あるいは慈善家の表現。底辺の演技ではない。根岸がや
はり芯になるのがいい。今日は和紅と根岸のふたりに「日記を記す」
で中心にいてもらったが、和紅だと受験生。
まいこは、「喰えない」女。どうもセンスがいただけない。
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イグアナ稽古 OC
「りっちゃんの相談室 おたく女」のテクストをどう扱うか?からさまざま
な質問をする。
おたくとは、アングラとはどう違うのか、死とは、人間性とは(今日の舞
台の話と絡む)、Mが耳学問を披露する。「・・だって」、「それは誰かが
言ったことでしょう」と林。横でうめがぽつりと「豆博士」とつぶやく。今
日の稽古で「音を立てる」をやった時、Mがやたら傘を開いたり閉じた
りうるさく音を立て、それまでの「小さな音」全てを抹殺してしまった。う
めがそれを指摘する。かなり明確に指摘したので、Mにはかなり効い
たであろう。結局、この子は自己客観化、他者からの批評が不在だっ
たのだと思う。
学生運動の話。
「どういう人がやっていたのですか?」、Mの質問に「演劇をやっている
人」にもいろいろいるようにいろいろいた、と答える。「話題になってい
たから関心を自然と持った」、「私は流行とは無縁だから」、「流行とい
うか、ただ世界の中心とは言わなくてもその一部にいたいと思っただ
けでは」。当時も全く無縁だった連中はたくさんいた。それは流行とい
う問題ではなく、ただ自閉していた、というだけ。
おたく女のことばに「空虚を感じる」(うめ)、確かに虚像を彼女は作っ
ている。誰しも自分はこうだ、と虚像を作るように。今日の私は昨日の
私とつながっているかどうか、わからない。私が不変であると思えな
い。私は曖昧だ。「私の脳をMに移植したらMはMか?」
終了後、OC近くの食堂にうめ、かおり、中内、佐藤和紅、根岸で駆け
込む。問題があるたびにこうやって話をしあう、そのためにはほどよい
人数である。これが集団形成の要である。
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イグアナ稽古
うめと電話で話す。今日の稽古はうめに任せる。みな、集団創作を理
解していない。林が提示したものがあるからそれを元に思考をもっと
めぐらすべき。Mは考えが浅い、「軽い」ほうに、「面白い」ことに気が
行って、創作を忘れている。
今日見た『狂気』を見ながらいろいろイメージがかけめぐる。
「拘束着」の女が一人。「りっちゃん相談室」のテクスト。拘束着、ときど
きぼそっと、何事かつぶやく。そこにぬっと立つ女、登場。無神経に音
を立てる。びくっとする拘束着。足音、さらに反応する拘束着。静寂、ノ
ートを破る音、鉛筆を削る音。。。「ぶつ・・・」はじまる。
女性的な魅力を持つ女、きれいな衣裳。縛られる。服を破られる。「ぶ
た」、「死ね」・・・拘束着の脳の中の記憶。。音を立てるビニールシート
で覆われる、女。白いシーツをかぶる女たち。
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「イグアナ」、シーンを具体化する。
拘束着の女が軸になる。その「妄想」の世界。しかし、悪夢から覚めた
ら悪夢は現実、のような感じで妄想は終わらない。。。。
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イグアナ稽古、KC・A
33分位までは、昨日のラインで固める。
その後、3人の女(「処刑の女」と命名)たちに「言虫」、破急の後、背
後に立ち、前へゆっくり前進。その際、永田洋子の日記、頭痛などの
記述部分を語る。重層的に、連歌、掲示板も絡めて。前で「言虫」、女
たち絞殺。動きはためを作って、リアルではなくクローズアップ。
「言虫」、事務的にシートを持ってきて、女たちを包み、蛆虫のようにが
さがさとその上を這いばる。その際、赤い花、を撒き散らす。その音と
音楽高鳴り、言虫はキーワード(「革命」「処刑」「裁き」「埋めろ」などを
リンクしながら高揚。被告(拘束着の女)、苦悶。金属音が一つ。静
寂、言虫静止。拘束着、はずれて、被告、ゆっくり「頭巾」をはずしか
かる。暗転。悪夢から覚めたら、それがまだ続いている・・・・、感じに。
言虫の衣裳、処刑の女の前半部の衣裳を考える・・・香織
シートを作る。
終了後、クマノのmdでミーティング。うめ、かおり、中内、根岸、上田
誠子、黒澤、入好が参加。はじめはイグアナのプラン、テラのメンバー
が残った後は、テラの運営方針などの確認をする。正式には4月の試
演会が終わってから、劇団総会を開く。
9月の藤野合宿の予定、テラの会計での一般会計と事業会計を分け
る事、当面、「苦労」を重ね安易なことは考えないで行く方針、テラの
公演で、演劇関係者特に役者(キャリアのある)に関しては招待するこ
と。努力の蓄積に対しては「敬意」を払う、お金が入ったからと言って
(助成など)安易にばら撒きはせず、蓄積する。事業での赤字は事業
で補い、一般会計での蓄積(預金)は基礎資金として出来るだけ保持
し、事務所や稽古場、海外公演の軍資金などに投入する。
●連歌形式、空間構成は『ヌード』でも使うし、今後もテクストリンク、
言葉の重層化
(二重、三重、四重、五重と重ねる方式もこだわる)。方法論の確定。
<テクストとの関係の問題>
作家の自己表現=戯曲の上演ではなく、演出家の解釈表現でもなく。
集団創作では、複数の視点、複数の解釈の余白を作る。「一人の作
家の目」を排除して、集団の表現の可能性を探る。書かれたテクスト
から生きられるテクストへ。書かれたテクスト、文字の固定化から、生
成されるテクスト空間=舞台空間の創造を可能とするテクストとの関
係を探る。
上演テクストのあり方、余白を持ちえる言語テクストの使い方と
は・・・。
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イグアナ稽古
スコアーをコピーし皆に渡す。流れはこれでよい。あとはKの読みがだ
め、身体の強度が弱い、などの問題。上田誠子はよくなっている。「掲
示板」テクストの読みもいい。MAは集団創作の流れが少し理解でき
てきたのだろうか、落ち着いてきたようにも見える。
終了後、うめと二人でクマノのmdで演出「作戦会議」。雑談多し、現時
点では大きな問題はない。
あとは後半からラストにかけてのテクスト、永田洋子からの引用を絞り
込む作業がある。
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一日、休む。体調はだいぶ回復する。が、まだ外に出られる状態では
ないので、「イグアナ」の稽古をうめにまかせる。スコアーの決まってい
るところまで、実技面の練習をするよう指示。
永田洋子の『十六の墓標』の下巻に入る。森が加わり、組織内部はあ
まりの「凄惨」でかつ「陰惨」な状況に陥るため気持ち悪くなる。まだ革
命左派だけの時には、どこか「のどかな」楽天的な面もあったが、森ら
赤軍派との遭遇で一気に「陰湿」な、まさにスターリニズム的な様相に
入り込んでいるのがわかる。が、それを許し、誘引したものが革命左
派にも、永田自身にもあったことも事実。上巻を読んでいる段階で理
解できたし、上巻最後の「処刑」の場面のあまりに安易に人を、仲間を
殺してしまう態度、「他愛のなさ」にやりきれなくなると同時に、これを
自然と受け入れさせた集団心理のメカニズムの問題、ある目的を持っ
た集団が非人間化するプロセスを学ぶことが出来る。
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イグアナ稽古
かおりの案による衣裳、ぼろ着を重ねる案をやってみる。案外いけ
る。
3人の女を「処刑」したあとの処理を試す。シートに包む、ばらの花び
らをどう扱うか。。。。最後に、どこに行きつくべきか、それを皆で稽古
の中で考える、それが集団創作の面白みだろう。最初に結論、帰結
点がはっきりあると、思考作業が進まない。「考える」、それが一番の
ポイント。答えはない。が、どの地点に持ってゆくか、それをきちんと提
示するのは創作主体側の責任、だ。
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イグアナ稽古 KC
『十六の墓標』の「はじめに」テクストと『獄中からの手紙』の日記テクス
トをコピーし配布する。試し読みをする。これで使用テクストは決定。こ
れをどう扱うか、使うか、が次の決定すべき課題。
中国で反日デモ再び。貧富の差の拡大による民衆のストレスが溜まっ
ているのだと思われる。それと共産党政府の自己の歴史の正当化を
強調する政策に基づく反日歴史観が蓄積し、今回の下地になってい
る、と思われる。先のサッカー試合での「反日暴動」の延長線にある。
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イグアナ稽古 OC 13−17時
「33分以降」に関して昨日、口頭で話したA案とB案をホワイトボード
に書き示し、意見を聴く。A案が整理されていて一見わかりやすいが、
実際に大雑把な流れを試してみるとB案のほうが身体がしっくりくる感
じ。ここが大切か。
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イグアナ稽古 OC24
ビデオで撮影し、みなでチェック。やはり撮影すると大いに助けになる
ようだ。
後半部を2度繰り返し、それから通しをやる。初めての通し。
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