『ジュリエット/灰』


2008年7月
(新)テラ・アーツ・ファクトリー 第6回公演



2008年4月11日(金)
稽古後、藤井らメンバーと新宿で会合。

今日は演技陣中心で稽古を進めてもらう。で、その進行状況の確認。 <集団創作>を進める場合、演出家は「稽古進行係」である必要はな い。<集団創作>における演出家の役割は全体的な作家の位置と< 集団創作>をスムーズに進めるための土台、グラウンドデ ザインを 提示する役割を持つ。その後はある程度演技者サイドが基本プランを 加工したり、より自由に展開してみる。それと並行しながら 演出は時 には前面に出て、時には背面に立って補佐する役割をする。<集団 創作>の演出家は構成作家であり、編集者でもある、という次第。


『ジュリエット/灰』はそんなわけでまだ現時点ではどうとでもなるし(そ の分、予測は立てにくい)、演技者は作品創造レベルで主体の位置 を確保できる。が、そろそろちらしのデザインを考えなければならない 時期。まだ出来ていない作品を文言で紹介するのは一苦労するので ある。戯曲のある芝居なら、取りあえず筋さえ書いておけばそれで十 分だが、テラの舞台はそうは行かない。ストーリーを再現する<再現 型>舞台ではない。パフォーマンスに通じる<現前型>舞台だ。今回 は特に「シュール」にそおなりそう。ライブハウスで上演するようなもの にしたい。

そんなこんなだが、演技者がより積極的に「提案」できるようにするに はどうしたらいいか、藤井とない知恵絞る。みな、よく言えば「謙虚」、 どっちかと言うと「受身」型が多い女子ばかりの集団テラ・アーツ・ファ クトリーは女性集団ゆえの困難さがいろいろあるのですよ。いやあ、 難しい。人は支配されるのを本来好む生き物だからして、自分が「主 体」になるって、それを集団のメンバーに求めるって言葉で言うほど簡 単じゃない。いつもこの困難さと向き合いながらの<集団創作>スタ イル、ひょっとして無謀なことをやっているのか。いや、そんなことはな い。理想なくして何の・・・・。愚直に理想を、もちろん地に足つけて現 実的なことを一つずつクリアーしながら、一日一歩・・・。

2008年4月27日(日)
テラ・アーツ・ファクトリーな日々

今日は日曜日。土曜日曜と久しぶりに予定のない週末。連休前だし 家で過ごすことに。で何をしているかというとまあ、結局仕事・・・。


そんな週末の悪戦苦闘のかいあって『ジュリエット/灰』の公演仮チラ シ、ようやく出来あがる。修正を少し加える程度の予定だったが、掲載 写真なども含めてデザインをいじってしまい、デザイン修正だけでまる まる一日かかってしまった。でも、本ちらしにしてもいいじゃんって仕上 がり。取りあえず、いつもご用達の印刷所に持ち込む。

一緒にシアターファクトリーのほうの新しいワークショップ参加者募集 チラシも作成してしまう。。これはおおもとのデザイン、レイアウトから 始めたから土日とまるまる二日はかかってしまった。長年の研究の成 果である訓練方法の新しい名称「Fメソッドブランド」を外部に知らしめ て行こうとのことで始めた宣伝活動なので、載せる文章などを慎重に 選ぶ。こっちはデザイン能力より編集能力勝負か。



結局、なんだかだ言ってこういうデザインしたり編集したり、ってのが 好き、これに尽きるんだろうか。「シアターファクトリー会報」やのちの ちの小冊子化、記録集作成など自分の手で出来る範囲で編集を手が けて行きたいとか思っている。デジタル化全てがいいとは思わない が、ちょっとした記録集作成印刷発行など、昔は素人がやれるもので はなかったものが、今はやろうと思えば出来る。そこはコンピューター 時代のいいところだ。

テラ・アーツ・ファクトリーも面白いのは上演ではなく(自分にとって は)、日々の稽古場で少しずつものが生み出されてくる、そのプロセ スが何といっても我慢がいるが思わぬものが生まれ出てきたときは感 動する。誕生に立ち会う気分って感じ。その「創造工程」を反映させた 記録を作りたいなあ、ということもあって記録集作成を考えているわけ である。

今は30年の演劇的経験、試行錯誤、苦心惨憺の蓄積を経て、もっと も創造的な現場状態を作れるようになってきた。こういう稽古場内のこ と、車で例えれば一台のそれまでの「ガソリン車」とは異なる「電気自 動車」が誕生するまでの秘話、みたいなものは決して「おもて」には出 ないが(市場に出るのは完成され、商品化された「結果」だけだか ら)、その研究と実験、試行錯誤、製品が生まれるまでの過程こそもっ とも充実した「揺籃期」でドラマチックでもある。

テラ・アーツ・ファクトリーの舞台や活動、シアターファクトリーの活動は CO2を大量に出す「ガソリン車」ではなく環境破壊時代の「エコカー」、 未来に向けて何らかのともし火を小さいながらもしっかり点灯させる何 かになる、そういうものだ。だからそういう動き方をしたいしそ のプロ セスを出来る限りの方法でカタチにしようと計画している。上演はもう さんざんあっちこっちでやってきた。それはそこに立ち会ったものにと ってはかけがえのない貴重な一瞬だが、そこにいなかった者には何の 意味もない。

海外でやってきたあれこれはそこにいた人々にとって大きな影響を与 えもした。しかし日本にいる人々、いま劇場に集まる若者には知っ た ことじゃあない。「いま・ここ」2008年の日本・東京で何が面白いか、 何が旬か、それだけしかない。「携帯電話の今年の売れ筋」と舞台は 何の変わりもない。それに合わせて、振り回されていても空しいばか り。


演劇上演は業界の次から次に作られ、消えていく「消費」物の渦の流 れの中に入らざるを得ない。日本では演劇文化を受容出来るほどに 市民社会が十分熟していない。演劇の深い歴史背景のあるヨーロッ パに比べかなり遅れている(100年は)。演劇(劇場文化)自体も社会 にとって何かの価値や意味を持つところまで成長していない。これは 日本の演劇自身の問題であるが、それを包み込む市民社会の文化 度の問題とも一体だから、すぐに解決つくものではない。あと100年と か200年かかるものだ。


そんなことを考えながら、いまやれることは何だろうと探求する日々。 そういう中でのテラ・アーツ・ファクトリーの創造活動、シアターファクト リーの活動、である。いまわれわれが踏み込み、行っていることはそ れで終わるべきものと思っていない。もっと意味深いものがあると確信 している。だから、未来に向けて発信する。ために記録を残すと。


というかまあ、個人的には30年間、親や身内、いろいろといっぱい迷 惑をかけながらやりたいことをやりきった。行きたい所も行った。泣か せた人間もいるし、そのためにつらい別れもあった。もう今更何をやる か、ということも正直あるのだが、若いメンバーが今は周りにいるか ら、自分がいなくなっても「路頭」に迷わないように、そういう気持ちで 彼らの将来の活動の基盤はちゃんと作り残しておきたい、という感 じ。

2008年5月13日(火)
『ジュリエット/灰』中後半部分の創作のための「試作品」を先週、演技 者メンバー主体で構築してもらい、今日はそれを「首実検」。行けて る、これを詰めて行くとラストに向けて展開しそうだ。

その後、S1(シーン1)を久しぶりに試演。今週から具体的なスコアー を作成し、固めていく予定。まずは言語テクスト(短句フレーズ)の順 列を決める作業を先行し、使用する言語テクストの配置、配列を決め てから人の出入り、移動、配置を即興的な稽古の積み重ねで徐々に あるべきところに落としていく(スコアー化する)予定。

2008年5月23日(金)
編集したテクストを使用してシーン1(S1)を試す。時間の割り振りを 細かく決める。S1は20分くらいの目処。S1が出来ればS2、S3も出 来ていくだろう。テクストの短句はS2、S3でも使用する。主線が*月 +日、と時系列から離れた時と分の単位を。指示する内容・対象(O) の欠如、あるいは非明瞭な状態から出発する。

記号(ことば・シニフィアン)の指示する内容(シニフィエ・意味)の欠 如。記号と指示内容の関係の混濁、緊密な関係の欠損状態にある世 界。

2008年5月30日(金)
やったあ!(これ最近多いなあ)、ついに締め切りぎりぎり、間に合う。 冷や汗・・。


テラ広報部から某情報誌編集部に行くとの事で、プレゼン用に企画書 のようなものが必要、ということを受けて文書作成係りの小生がその 任にあずかるわけだが (汗)、おかげでここ数日、頭の中はその文章 作りや構成に完全に占領される。

まず文言や文章の整理、全体のレイアウト・デザイン。で、広報だから つまりは宣伝なので宣伝用と割り切ればいいのだが、現在、『ジュリエ ット/灰』のテクスト(上演台本)作りの詰めに入っていたところ。上演台 本の言語と宣伝の言語は全く性格が異なる。これが自己分裂、内面 を引き裂く。いつものことだが。二つの全く別方向を向いた作業を同時 にやれる才能があればよいが、ないんだもん。で、一時 テクスト(上演 台本)に関する思考作業をストップ。広報文言(他にWEB掲載用文 言、ガイド用の小冊子を同時に作成)に集中していた。他の仕事や用 事の合間でやっているから、企画書作りで日が暮れる、じゃ。


そんなこんなで劇作りのほうのプランニングやテクスト作成は先週の 金曜日から全然進展なし。たとえるなら、音楽家が作曲に集中してい る最中に、その曲を基にしたコンサートイベントを開く、作曲と同時に そのコンサートイベントの宣伝や企画進捗の作業をするような。<作 品=上演>となって創造と発表が一体となった テラの演劇では、この 矛盾(アーチストにとって)する二つの作業、製造と営業宣伝という別 部門の仕事を必然的に同じ者が担当せざるをえないという矛盾に引 き 裂かれる。

大劇場や組織の大きな劇団なら分離して分業化しているのだが、テラ のような小さな集団はそうは行かない。むろん、そこがいいところだと 思ってもいる。身の丈、手の届く範囲でやる。これがテラの基本姿勢。 モノ作りにこだわるアナログ集団、で行こう、と。

だから、結果的には宣伝やら集客やらは後手後手。で、今まではそう してきた。今後もそれにかわりはない。が、それでも少しはやらない と、ということでやっているのだが、「少しは」であってもその仕事が創 造現場の進行と重なるとかなりクルクル。


テラの若い女子メンバーはいい感性をしているが、プロレタリアートだ (なつかしいコトバ)、インテリではない。知識面が不足していて、定型 的な文章表現能力がその「あふれる」感性に追いつかない。テラ・アー ツ・ファクトリーは反ロゴス(反ヨーロッパ近代思考、反論理的思考中 心主義)だから、創造作業面では問題ないのだ が、宣伝活動にはコト バも必要。これって矛盾なんだけど、資本主義の世の中で客を集める (たくさんはいらんけど、情報はしかるべき人々には届いて欲しい)に はマスコミも使わなければならない。

まあ、そんなこんななんだけど、でもなんか広報文言を考えているうち に全体の構想もかなりクリアーになってきた。公演二ヶ月前を切る。通 常の稽古は早くて二ヶ月前からだが、はじめに台本なし。稽古場で全 てを作っていくテラにおいては、これからが正念場。でも、今回は(も) 行ける、という手ごたえは確かにある。あとは、それをカタチにする時 間・・・・間に合うか。相変わらず綱渡り。

2008年6月3日(火)
稽古

最初にミーティング。6月は全員稽古場に揃う日が11日しかない。7 月に入ると公演体制をあらかじめ組んでいるから、みな仕事も空けて いる。そのため、今の時期は稼がないとならない。が、創作的には6 月はかなり重要な時期。特に今回はこの集団で初のいきなり本公演。 これまでは何度かの非公開試演会(実験・創造工房)を経ての上演だ ったが、この5〜6年、メンバーが固まり、集団創作の手順も上演まで の流れもかなり消化されてきたので、また集団として動き始めたので、 じっくり数年をかけて一つの作品を作るという体制は困難。なので、今 回はこのスタイルで行くことになった。来年もこの時期に新作をぶつけ る。

で、メンバーが固定されてきたことで、いろいろと慣れてしまい慣習 的、因習的状態に陥るのは人間社会の「常」。自然とこの時期、「守 る」行動形態、保守保身に走る傾向に流れる。それをいかに乗り越え 「攻め」を続けるか。そこが演出の仕事だろう。演出とは舞台上の装 飾や整理だけをする者ではなく、集団の内面のコントロールをし、集団 を創造的な状態にして、結果としての上演を成功に持っていくことに責 任を持つ者のことである。そのためにもいろいろなアイデア(稽古の方 法、集団個々人の動き方の方向付け、稽古場の空気の創造、シーン の具体案、演技面の指示・・・・)を繰り出さないとならない。ふーむ、ひ たすら考える日々。

2008年6月13日(金)
あたまから45分くらいまでシーンを通して立ち稽古。今週で、立ち稽 古は一気に進む急展開。

今日は音響の阿部さん、今回が初めての「取り組み」。一緒に楽 しく 「取り組め」ればいいけど。稽古後に居酒屋へメンバーともども直行 (ここのところ連日で少しくたびれ気味)。とてもいい印象の好青年。謙 虚さと軽々しくない、気安くないところ、そこが何よりいい。

それなりにイメージは提出できたと思われる。どお受け取ったか、そこ が舞台を一緒に作る同志として試される「感受力」。まあ、だいたい初 めて会う人には、人が悪いかもしれないが、相手の「程度」を多少は 測らせてもらうことにしているのだが、ちょっとずつ「勉強(吸収)」して もらいたい。

映像の吉本さんも来場。今回は映像を使う。80年代に徹底的に 映像 で舞台を埋め尽くし、使い尽くした者としては、単なる「装飾」として使う 気はない。そのため、映像が必要となる舞台が出てきたら、以前一緒 に仕事した吉本さんに頼むつもりでいたが、ようやく今回それが可能 な表現になったということである。今回の舞台はボスニア・ヘルツゴビ ナの内戦後の廃墟の都市に足を運んだときの「身体感覚と感触」が作 劇の出発点となっている。



今回はからだをフルに使うので、通しての稽古を何度も繰り返せない (身体の負担が大きすぎるため)。個々の場面は目を奪うものがあっ て面白い。観客も飽きずに見られる。あとは後半部、ラストに向けてど こまで具体的に見えるものを見えさせるか。

わかりやすくするのは簡単だが、「陳腐」さが伴う。テラ・アーツ・ファク トリーの舞台は、現実世界と直対するリアリズム(思考レベル)で、「夢 ものがたり」はしない。「映画は最高の逃避」とスピルバーグは言った が、「演劇は現実と向き合う」のがわたしの立場である。それゆえに、 直接的な表現(具象)は避ける。だから「リアリズム」と言っても、リアリ ズム=写実、再現型、ではないという前提でのリアリズムだが。思考 のリアリズム、方法のアブストラク ト。つまり表現の方法、形式として は抽象を使う。そのほうがイマジネーションが動員されやすい。イマジ ネーションが動員されやすいと、想像する楽しみが観客に与えられ る。

リアリズム的まなざしで見た現実は暗すぎる。20世紀初頭と対照的に 21世紀初頭は輝かしい明日も、幸せになる未来も想像しがたい。今 更、そんな冴えない現実を再現する舞台に、「業界的マニア」のほか に誰が好んで足を運ぶか。生きる希望、生きる力、そういったものを 困難な現実、苦しい生の中でも「感染」させうる、そういう強度、これが テラ・アーツ・ファクトリーのめざすもの。今回はこの考えがシンプルに 反映した舞台になるだろう。

2008年6月20日(金)
新作の構想プラン、詰めの段階。もう少しだが、ここに来て足踏み状 態。いつも創作は苦しみ抜いてようやく最後まで達するが、 山で言え ば最後の難所にさしかかったところか。息も切れてきて苦しい。もう一 歩だが、簡単には行かない。

「廃墟」というモチーフから出発した『ジュリエット/灰』、自分自身の内 面も「廃墟」化しつつある。作品と一心同体、そこを乗り越えて何とか 最後に達したいのだが。

すでに四分の三のプランやスコア(上演台本にあたるもの)は出来て いる。今日の稽古はスコアが今週出来上がったシーン3の練習にあて てもらう。稽古場に行く前にすでにぐったり状態。考えに考え、資料を 漁り、更に思考を深めた今月に入ってからの精神疲労がピークに達 する。神経衰弱はまず眼痛に来る。で、今日は朝から眼痛に悩まされ る。眼の痛みを押さえつつ、稽古場に遅れて足を運んだ。


人類に「輝かしい未来」を提示する希望のはずだった「西欧近代思想」 (自由、民主主義、平等、博愛、近代的自我の確立、個人主義・・・日 本が明治以来モデルとしてきたもの)は19世紀から20世紀にかけ、 結果として「流血」と「暴力」を繰り返した。ヨーロッパ以外の土地を簒 奪し、その影響でアフリカは今は悲惨そのもの。中東の混乱も遡れ ば、西欧の植民地支配に起因する。そして今や「近代思想」の到達点 として人間疎外と社会的不平等を乗り越える「希望のはず」だったマ ルクス主義、社会主義も崩壊し、20世紀末から21紀初頭の世界風 景は「混乱」と「混沌」一色。新しいビジョンも見当たらず、アメリカの 「帝国」化もブッシュ の退場でイラクの混乱を残すのみ、かえってイス ラム内の宗教対立という火種を大きくした。

日本では、経済の右肩上がりが消え、「明日への希望」が見えない 中、アキバ殺人もそうした光景と無縁ではない。こうした現在を直視 し、直面する中で創作と作品を作っているから、苦しくなるのは当然 だ。世界の「不幸」をまともに浴びて、立ち上げているのだし(笑)。い や、「不幸」を笑うシニシズムや逃避するニヒリズムは本意ではない。 「混乱」と「暗さ」、「崩壊」と「喪失」の現状を受けつつ、しかし今ある 「生」を肯定する、そういうものを示したいのだ。だから苦しむ。


稽古場でメンバーの練習を眺めながら(観客目線で見せてもらった、 それが一番、構成者としてありがたい。作品を客観化できるゆえ)、見 えてきたものがある。

稽古後、演出補の藤井らと打ち合わせを兼ねて、稽古場近くのらあめ ん屋へ。何かしら今後の展開、残り四分の一、がクリアに見えてき た。

だけでなく、個人的にはテラ・アーツ・ファクトリーを始めて以来、苦しみ ながら試行錯誤してきた(それは内部問題ではなく、世界観、歴史観 が不透明となっていた1980年代後半以降の世界そのものの混迷が ありーー日本は消費社会最盛、バブルで浮かれていたがーーそれを どう捉えればいいのか簡単に答えが見つからないゆえの自分自身の 「世界観」の混沌状態があったからだ。そのため、世界を実際に回っ たり、「西欧近代」が何であるのか肌で感じたくてオランダに住んだりし た)、その苦しみの答えはコトバではうまく語れないが、方向性と活動 の前提条件は明確になってきた。確証が出てきた。「そこ」に辿り着く までずいぶん時間がかかったが・・・1980年代後半以降20年近くの 歳月・・・が、それは今月に入って、少しずつ輪郭が明らかになりつつ ある。『ジュリエット/灰』創作があって思考を深め続けたこと、テラ・ア ーツ・ファクトリーの再開以来、作品創造と並行しながらずうっと思考し 続けたこと、そういう前提があってのことだが。何かしら大きな手ごた えを掴んだ気がする今月今夜のこの月なり。雨空か・・・。

2008年6月26日(木)
 『ジュリエット/灰』の稽古、面白くなってきた!


全部で四つのシーン(4場構成)になる作品の三つの場面をつなげて 通す。これでほぼ四分の三のカタチが出来たことになる。稽古と創造 作業はしばしの「足踏み」を経て一気に突き進んだ。

作品の柱となる三つ目のシーン(Sー3と称する)、迫力がある、見て いて圧倒される(まだ7割くらいの力でやっているが。で、イメージも大 いに刺激される。これって何だろう。何をこのシーンから自分は感じ取 ったか、を必死で探る。これがテラの作り方だ。初めに頭で描いた目 的に沿って作品を、そのシーンを、演技者の振る舞いを目的化しな い。徐々に生成されるてくるものと向き合いながら、自分たちの想像 力を最大限にヒートアップさせ、形成されつつある作品についてゆく姿 勢、でのぞむ。

とにかくこのシーンだけで、あれこれ解説やらセリフによる説明は余計 なお世話。それくらい喚起させてくるものがあるシーンになった。


稽古後、通しを見て浮かんだ自分のイメージやみなの考えなどを聞い たりした。始めは直感的に夢に浮かんできたようなシーンをまず立ち 上げてみる。理屈でやらない。<下から>(からだから、感覚から、意 識の自覚できない部分から)スタートさせる。自分自身、メンバーの中 にあるもの、それを掘り起こしながら作業を進めてゆく。つまり「発掘 作業」に似ている。はじめに「あたり」をつけたところに宝物が必ずしも 埋まっているとは限らない。失敗を何度も繰り返す。でも、その「失敗」 は悪くはない。「失敗」こそ、次につながる。だから上演のための稽古 をスタートさせてから、いまの段階に来るまで(今回は1月からスター ト)、長い時間がかかる。


そうやってじっくり、というより「失敗」を重ねながらも少しずつ前進して きた、それが今日の稽古である。


今回はポップなコトバ(短句と称する、テラ独自の作劇法で作り出して いる)が次々に飛び出す。指示対象性を持たない言語(詩で言えば、 20世紀初頭のダダやネオ・ダダ、そしてポップという流れにも通じる) がめくるめく、更に対象(内容)を代行するためではないシニフィアン (記号、つまり言語と身体・演技者の身振り、発語行為)の独自性を積 み重ねる創作スタイル。シーンの作りは一言で言うと「シュール」、構 成はモンタージュ的。新テラ・アーツ・ファクトリーになって試行錯誤を 重ねた一つの到達点がここにある、そんな作品になりつつある。<下 から>作る、というのがテラの基本作劇態度。頭からではなく、参加メ ンバー全員の感覚と知覚が稽古場でせめぎ会う中で揺れ始める、そ の「揺らぎ」の中から生成されてくるものを記述する行為、それを上演 形式に結合させようとするものである。

2008年6月28日(土)
週末、自転車で参宮橋の稽古場に行く。


夜は駒場アゴラ劇場で「岸田理生アバンギャルド・フェスティバル」の 演目、千賀さんの公演『欲望のワルツ』を見に行くのと、その後、今日 6月28日が岸田理生さんの命日であるため「水妖忌」の献杯に行く予 定で、ならば新宿ー参宮橋ー駒場をサイクリングしようとか思った。と にかく、余計な「肉」をつけないためには、歩けるところは歩く、自転車 で行けるところは行く、にかぎるべし。


午後の稽古は自称「オジサンズ」の『ライフ』、二回目稽古と打ち合わ せ。

10分程度の無意味(無価値ではなく)なパフォーマンスを「前座」を口 実にやってみたいな、と思い立ち、本企画と相成った。みな、職場も生 活も人生の辛酸もたっぷりなめて、「あと残る人生、何年??」という 年頃だから、何をやっても無意味どころか意味がただよう男たちだ。 いや、「意味」に縛られてばかりといった方がいいか。「いい年こいてそ んなことやって何になるの?」とか世間や家族の迫る「意味」にいかに <無意味>に立ち向かえるか?これがなかなか・・・なんだな。

無意味だけど面白い、笑える、いや場合によってはカンドーする、そう いうものをやりたい。で、どうやって作れるか、そんなことを考えつつ、 四人のいい大人の男(平均年齢54くらい?)があれこれ試してみた。 考えてきた案をやり、そこで思いついたことを話し合い、更に浮かんだ アイデアを再び試し。で、最後に若林さんと酒井さんで「F即興会話」、 これが面白い。10分をはるかに上回る。ナンセンスだけど、人生こも っている、そんな感じ・・・。


夜、参宮橋から駒場東大前に。どうやっていきゃあいいんだと地図を 見つつ、で何とか辿り着いた。。。。

2008年7月2日(水)
『ジュリエット/灰』の招待客用の「あいさつ」文章を考える。

が、考え出すと長くなる。この作品をやろうとしたいきさつから語らない と本当は「あいさつ」にはならない。しかし、それを語るとかなりの分量 であるし、「あいさつ」としては不合格である。そんな「いきさつ」は他人 には知ったことじゃないだろう。「演劇市場」に大量に出回る「芝居」と いう商品の山。演劇関係者には毎日のように公演の案内や招待状が 届く。その中から、目星をつけ話題性のあるものや、何かしら気になる ものを選ぶ。こうした「大量生産演劇市場」の情報の渦巻きの中から、 しかしちゃんと手間暇かけて取り組んでいる、それなりの根拠と労力を 伴った「価値ある仕事」であると認識してもらうには、まずは簡潔に(長 いのはみな忙しくてくちんと読まない。現代病とも言えるが、それがリ アリティーだ)、かつ他との「差異」を提示する文言が必要である。まさ に「記号の差異」こそ高度資本主義社会におけるもの/商品の価値。 こうしたフェテェシズム(物質崇拝主義、マルクスの提示した物神化と いう資本主義独自の自己増殖システム)に対峙するシ ニフィアン(記 号、つまりコトバと身体)の「反乱」を主題とする活動をしている。


通常の芝居では、まずはストーリーを書けば、だいたいどんな感じか わかるが、テラ・アーツ・ファクトリーはそうは行かない。見るしかない。 そしていま稽古場で出来つつあるものはとにかく面白い。我々でしか 出来ない。6年近く一緒にこの演劇集団独自の表現スタイルとそのた めの方法を通じて獲得した「集団表現」の醍醐味がある。そこを反映 した文章を書きたいのだ。



メンバーには何度も話したことなのだが、『ジュリエット/灰』に辿りつく まで長〜く、いた〜い前史がある(そんなことは観客にはどうでもいい ことだから、ここだけの話にはなるが)。この『ジュリエット/灰』、いやテ ラ・アーツ・ファクトリーの日本での活動の仕切りなおしは、全て1999 年の上演中止となった『カサンドラ』から始まっている。その時に出来 なかったこと、その深く長い内省、によって現在の集団の集団となった 根拠、集団を支える創作に向けた方法の創出、がある。

『カサンドラ』は、1990年代の旧ユーゴスラビア内戦と自分自身が旧 ユーゴスラビアを歩き、多くの人々と交わった際に受け止めた「体性感 覚」から始まっている。「向こう」で出会った「戦争」と「戦争の傷跡」と切 り離せない。そして『カサンドラ』を上演しようとした1999年の日本は 「平和」の只中、旧ユーゴスラビアの内戦とは無関係に人々は生きて いる現実があった。それゆえ1999年に『カサンドラ』は上演できなか った。

向こうの「戦争」は日本とは無関係、少なくともこのプロデュース公演に 集まった俳優たちの大半にはそうだ。しかし、その後、9.11があり、 アフガニスタン、イラク戦争と日本人も犠牲になったり自衛隊が参加し たりで、21世紀に入り、「向こうの出来事」と「こちら」は無関係とは言 い切れなくなった。最近ではやたら「戦争」を題材とした演劇が多い。 大手芸能事務所系の舞台などでは、得意の話題にさえなっている。特 攻隊に散った若者の「涙なくしては見られない」お芝居とか。

安易に「再現型」スタイルで「戦争」を題材にした芝居をやりたくない。 再現型(普通の芝居)とは本人たち、当事者(登場人物、作家の作っ た想像上の人物、あるいはそのモデルになった実在の人物)の代行 をすることだ。「向こう」の話を「こちら」が引き受けることだ。そりゃあ、 出来ない。しかし知ることは可能だ。「こちら」(<わたしのリアリティ ー、わたしの現実>)から細い糸をたぐりよせてつながることは可能 だ。



う〜ん、とにかく「あいさつ」文、どうしよう。それを考え出すと、最後の 詰めに来ている作品創作が滞る。その間に日常の雑事、仕事が入る から集中できるのはどちらか一つ。

幸い、稽古場は何度か集団創作をやってきて、「集団創作体制」が取 れてきたこともあって順調。演出は何より、その日、みなが集まって 「無駄」に過ごすことのないよう、やることを用意し、仕込まないとなら ない。そこは何とかうまくいっている。みなやることがちゃんとあって、 稽古場に来て「だれる」ことはない。これが集団創作の難点でもあった のだ。特にアイデアやプランに行き詰ったときは。

今は「劇団」体制なので、みなが相互協力的。かつ演出が父親代わ り、いや母親代わりで、何でもそこに頼ってしまう式の日本型「甘えの 構造」「親離れ」できない「いい歳した子供たち」(役者と呼ばれる人 種)の集まり的演劇現場とは違う。みな、「一個の表現者」としての自 覚と自立心がきちんと芽生えてきている。


午前中、ちょっと必要な資料を図書館や紀伊国屋書店に探しに行くが 見つからず。

午後、自転車で新宿から駒場東大前アゴラ劇場へ。「リーディング・パ フォーマンス」と銘打っていたユニットRの舞台を観に行く。「リーディン グ・パフォーマンス」か、いい命名だ。岸田理生さんの小説を題材にリ ーディングするらしいが、パフォーマンスと入っているから、ただの本 読みではないだろう。そこが興味をそそる。リーディング形式には以前 から、たくさんの可能性があると感じていた。テラ・アーツ・ファクトリー も現在の「パフォーマンス系」舞台と並行して取り組みたいと思ってい る。しかも現在の「パフォーマンス系」(身体を中心に劇とテクストを再 構成する方法)と表裏一体のカタチで。それにはどういうやり方が可能 なのか、そこを現在、考察中である。戯曲や小説、ドキュメントなどを 舞台に掛ける、のを現在の「集団創作」と並行しながら来年あたりから やりたいと思っている。


夕方、駒場の劇場から参宮橋の稽古場へ。時間があいたのでヨヨギ 公園で少し思索の後、Oさんからあれやこれやの話を聞く相談係。そ れから『ジュリエット/灰』の稽古。今日は最後の場面(4場)を動きなが ら試してみる。

終了後、藤井、中内と企画運営関連の打ち合わせ。来年の企画事業 などをめぐって。そして24時前帰宅、ってな一日。なんだこりゃあ、ほ んとに日記になった。


合間に中村雄二郎、山口昌男の『知の旅への誘い』、「動きながら」読 む。旅、歩く、思索と逍遥、空間の移動と体性感覚、イメージへの影 響、心理の迷路・・・・。面白い。

2008年7月6日(日)
日曜日、暑い、蒸す。暑いのは何とか凌げるが、湿度が高いのがから だにこたえる。呼吸が出来なくなる。夜、胸や背中が痛んで眠れない。 何度もクーラーを入れて除湿し、また切ってを繰り返す。すっかり寝不 足。


演出外の仕事の影響で、他のもろもろの作業も滞る。公演が近づい て演出関連の雑務も多いが、同時にテラとファクトリーの運営事務も ある。秋の事業準備(稽古日程や稽古場手配、ちらし製作基礎案あ れこれ)、来年の事業準備(公演内容、劇場、企画自体のことあれこ れ)、8月9月のWS特別企画の準備(チラシ作成、広報)、その合間 に通常の仕事(講師と家事と)もある。いやどちらが「合間」の仕事か わからない。ひたすら滞る。もろもろの仕事の間に稽古場に顔を出し ている。


演出は稽古が始まるまでと稽古が終わってからが勝負。どれだけ稽 古場に準備したものを持ち込めるか。もちろん稽古場内の時間も真 剣勝負、気は抜けない。作品一本演出するだけでフルタイムの仕事 だ。調べものもたくさんあるし打ち合わせもあるし稽古内容を考える時 間もいる。今回は新作上演だからスコアー、テクスト作りなどと全体構 想を稽古を進めながら考える。遠くから眺めつつ、手先の仕事を一つ 一つ片付ける、そういう作業に入っている。そこに集中すると、運営実 務(来年のことまで考えるわけだし)に気が回らない。ほかに仕事がな ければまだ大丈夫だが、他の仕事をしないと生きていけないから時間 がなくなる。もろもろ限界に来ている。からだが壊れるか、何らかの解 決をはかるか、これも早急の課題。


だんだん視界混濁、明日から午後から夜までの稽古体制、からだが 持つか少々不安。今回、最後まで乗り切れるか、これで討ち死にする か(笑)。神経が相当まいって来た。ガンバレ、自分!


と実務作業をしようと入った近くのカフェで、「はやし!」と背後から野 太い聞きなれた声がする。流山児さんではないか。これから演出者協 会の総会だった。うっかり忘れていた。ここで会ったが100年目、行 かざるを得ないって。。。で、とにかく顔を出した(途中、稽古準備につ き失礼)。和田事務局長体制で、活動の基本基金(貯え)も十分出来 た。よくやったなあ、えらいの一言。立派なことを言うだけじゃあだめ だ。足元をきちんと固めて足腰を強くしないと動くにも動けない。3本の 主軸事業を毎年度継続で開催している。運営が軌道に乗ってきた感 じ。我が協会(ITI)と対照的、これは本気でITIも何とかしなくちゃあ。 「大名仕事してるなあ」とITIの理事にも就任した流氏、まったく同感。 足場を固めないと「理想」なんて吹っ飛んでしまう。

2008年7月7日(月)
雨、昼にはあがる。が湿度は相変わらず高いのでからだにコタエル。 稽古場の空調はからだに良くないからと、メンバーは、極力空調を入 れないようにしている。で、湿度が高くなると、高湿がからだの機能を (特に肺とか)狂わせてしまうワガハイには地獄となる。稽古場に入る と空気が「もわっ」としてそれだけでからだがくじけそうになるがひたす らガマン、忍耐の日々。


洞爺湖サミット始まる。
環境問題、食糧問題…、世界が危機に瀕している。資本主義、自由 経済システムがすでに限界に来ている。CO2削減目標設定に関する 長期目標(2050年)さえ各国の利害優先で難しい。近代世界システ ムである市場原理、資本主義・自由主義経済体制という近代文明自 体の崩壊が秒読みで始まっている。



今日から『ジュリエット/灰』の毎日稽古、午後〜夜の「フルタイム稽古 体制」。本番まで「過酷レース」に突入。体力と気力、今回は最後まで 持ちこたえられるか、いつもながら不安一杯。


午後、照明、奥田さん来る。初顔合わせ。福田さんの紹介なのである 程度安心はしていたが、何より自身が作家でもあることがいい。創 作、創造センスを持った照明家、はわれわれのような全員が創造作 業にタッチする体制の集団にはベストな人選である。 少し話をしただ けだが、メタフィジカルな話が出来る相手であることがわかっただけで もうれしい。


稽古を終わって稽古場の外で休憩していると親しい劇作家演出家の 高取さんと出くわす。ちょっと世間話、あれこれ。今は京都の大学の教 授もしている。アングラ・サブカルチャー一筋の高取さんが大学で教え るとはすごい時代になった。ヨーロッパの真似(モデルがヨーロッパ) の大学でも勢いのあるサブカルチャーを学科として受け入れざるを得 ないようになったとは。まあ、最近は昔からの友人知人がずいぶん大 学の先生に「昇進」している。目出度い事だ。

高取さんと別れ、そのままワガハイは西新宿のWS会場へ移動。メン バーは演出補の藤井を中心に最後の場面の打ち合わせ、プランニン グ。まずは演技陣が納得する必要がある。ラスト案たたき台を演出か ら提示したので、その案に関して今度は演技陣自身が検討を加える、 今日の夜はその作業時間にあてる。

帰宅後、翌朝は早くから仕事(講師)なので早めに休もうとするが眠れ ず、数時間の仮眠で朝(午前5時)を迎える。。。。

2008年7月8日(火)
午後、テラ・アーツ・ファクトリーの稽古だが、メンバーの希望で演出か ら提示された案を自分たちでもう少し検討したいとのこと。それはいい ことだ。ぜひともそうして欲しい。出した案をただうなづいて受け入れる だけの人はいらない。どんどん疑問を持って、そして自分なりに納得 が行くよう創作と思考の材料にしてもらえればいい。そういうつもりで 出しているたたき台の案でしかない。

その間、「あいさつ」文を考える。ようやく頭の中でまとまり、やっとPC に向かう。一気に文字どもを打ち込んだ。出来た、これぞ80点は超え たぞ、って自分でも満足できる文面。


夜、男性陣の稽古。あれこれ試行錯誤した結果、ようやくアプローチ の糸口を掴んだ感じ。何とかここから・・・。『ジュリエット/灰』が始まる までの10分間、一本勝負。10分って長い・・・。女子陣の『ジュリエット /灰』が非常にこなれた集団作業の積み重ねの上に成立しているだけ に、何とかそれをこわさない方法を考えないとならない。女子はメイク・ ヘアの試し。今回はヘア・メイクも「遊」ぶ。


稽古終了後、男性陣と立ち会ってくれた居酒屋へ移動しての「打ち合 わせ」。


自分の葬式の話(私の)、どういうのがいいかを話す。最近、よく考え る。これだけはいつ来るか天のみぞ知るだ。地震と同じで、備えてお かないとなあ。自分の葬式は自分で片付ける、そう考えている。人の 手に掛かるわけには行かないし、掛けてくれる手もない。取り敢えず 葬式は必要ない。困るのは「骨」の処理だろう。両親の墓は作ったが、 私が生きている間しか守れない。身内がいなくなると、墓は別の人に 割り振られる(墓を購入したのだが、それは永遠のものではないらし い。これが現在の墓場システムらしい。実に市場原理的、合理的。子 孫が絶えると自動的に抹消される。で、子孫は私で絶えるから無理し て大金ははたいて新築したウチの墓は私が死ぬとそこでなくなる)。

あまり歳取ってから死にたくないなあ。友人も知り合いもいなくなって、 周りから迷惑がられて、というのはつらい。ただでさえ高齢者は生きず らい世の中だ。「惜しまれて」くらいが丁度いい。二度、葬儀委員長を 勤めた(父と母)ため葬式をする際の大変さを知っている。親の死を知 らされたときに真っ先に向かったのが銀行だった。金をおろしてすぐに 葬式場の手配、葬儀会社への手配、予算の打ち合わせ。葬式はイベ ントだから、葬式請負イベント会社への謝礼が必要だし、お寺さんにも あれやこれやとたくさんのお金を払う必要がある。現在のお寺は葬式 で稼いで成り立っている商売だから。

葬式が終わって皆が帰った後の広い家にぽつんと一人取り残された 自分のその時の何とも言えない気持ちは忘れられない。それまでイベ ントの進行とたくさんの客への対応に一杯一杯、やっと死者を送る思 いがこみ上げたのはお客さんが全て帰った後であった。位牌と自分と の対面、深夜、人のいなくなった家で心もとなく、夜の静寂の時間を過 ごす。もう住む者もいなくなった家。

自分の時は葬式を仕切ってくれる身内はいないかもしれないから、自 分で手配しておかないと。葬儀会社に頼めば、海への散骨が可能らし い。あと植樹葬もあるとか。山か海だろうな。いずれにしても金さえ用 意しておけば何とかなるから最低限、「物体」と化した自分の後始末の ための経費だけは残しておかないと。自然から生まれて自然に帰る。 他の生物や土や空気にからだの元素が戻っていく。


「暗い」話みたいだが、まあ人間、そんなもの。死んだらただの「モノ」、 時間が経てばみな忘れる。忘れられる。死ぬのは時間の問題に過ぎ ないし、誰も避けられない。どんどん生まれるのだからどんどん死なな いことには世の中、大変なことになる。そんな地球の「ゴミ」の一つ、に 過ぎない自分。後始末くらいは自分で考えておかないと。

2008年7月9日8水)
昨日、「あいさつ」文が出来たので、頭を占領していた課題が消え、す っきりする。それなりに時間を要したので、今までで一番内容の濃い 文面になったのではないだろうか。

これで眠れると思ったら、1時過ぎに眠りについて5時には目覚めた。 その間に何度も起きたり。やはり眠れない。湿度と気温が急に上昇し てからだの歯車が狂い、睡眠不足がなかば恒常化。 神経が興奮して いるせいもあるか。


『ジュリエット/灰』の創作作業は、別の仕事が頭を占領して創作に集 中できない日々が6月末から7月まで続いたことが響く。演技陣はすで にスコアーが固まっているシーンを反復練習し、からだになじませてい る。その間にまだ詰めが出来ていないシーンやテクストを絞り込まな いと先に進まないのだが、そこが2週間ほど停滞する。ともあれ昨日 で当面の演出外の仕事も片付き、今日から作品つくりに集中できるの が、とてもうれしい。午後からの稽古開始までに、最後の場面の構成 とテクストを考察する時間が取れる。ありがたい。雑用の合間にシー ン4の昨日の稽古ビデオを繰り返し見て、どう手を加えるか考える。こ ういう時は他の雑事も食事もほったらかしに限る。何事も集中、作品 つくりに関しては極度に凝縮的に集中しないとインスピレーションは降 りて来ないのである。




なんやかやを済ませ、午後の稽古場集合時間に合わせて家を出る。 稽古場まで行く道のりの足取りが重い。からだがぐったりしていて相当 疲労が来ている。

稽古場に入って一緒にファリファリでウォーミングアップをする。これで だいぶ、からだが立ち直り元気になる。自分で発明しておいてこう言う のも変だが、この練習法はいざという時、ホントありがたい。公演前、 睡眠も取れず、くたびれはて元気を失い憔悴しきったからだに活を与 えてくれる。元気も戻ってくる。なんて素晴らしい練習法なんだと、我が 身のことゆえ今日はファリファリに感謝。



『ジュリエット/灰』稽古(14時〜22時)
今日はラスト直前までを通す。

前半の今回の醍醐味は「コトバ」の面白さだろうか。これまで見学した スタッフもすごいお気に入り。こういうコトバの「センス」は他の舞台で は見かけない。

後半はただひたすら迫力満点。今日の通しでは、見ていて「圧倒的」、 「壮観」という感があった。これから「筋力」もつけて新宿村ライブのス ペースでやったら、さぞダイナミックになるだろうなあ。

ずうっと一緒に旗揚げから継続してきた<いま・このメンバー>だから こそ出来るものが見られる。何年かして別のメンバーで、と言っても出 来るものではない。他の集団ではもちろん出来ない。そんな技術を持 っている演技者はいない。


世界中の舞台の「精鋭たち」、「前衛」が集まる国際フェスティバルに 持って行ったら、この作品は関心を引き寄せるだろうなあ。日本だと 「わかりやすい」が政治も大学教授も批評家も猫も杓子もだから、こう いう見る側が自由に解釈し想像できる、「説明的」でない舞台、つまり シュールな世界はどうなんだろうか。でも、今回はテラ・アーツ・ファクト リーにしてはこれまでの作品と比べてもすごく見やすい舞台になってい ると思う。


『ジュリエット/灰』は演技者と一体となった作品であり、その良さがよく 出ていいる今だから可能な上演、そういうものになっている。同じもの は二度と出来ない。その意味で、今回はぜひ多くの観客に見てもらい たい。集団としてはいまが「旬」の作品になっている。まだまだ集団の 一人一人の力量は「発展途上」だが。


あともう一歩、ラストのプランを固め、まだゆるいところを詰めて行き稽 古を重ねて作品のクオリティーを本番に向けて上げてゆく。そのため にみな仕事を休んだり、無理をして稽古時間をやり繰りし疲労もピー クに来ているところを堪えて頑張っている。「職人」のこだわりは「クオ リティー」、演技の職人集団になりつつあるテラ・アーツ・ファクトリーの 今日この頃。こんな集団は今時、ない。

2008年7月10日(木)
今日は朝、3時に目覚める。眠りについたのが1時ころぎだから2時 間の睡眠か。早朝まで起きて少し眠り、また起きる。空は青空、気温 は上がりそうだが、湿度はそれほでもないので、心地よいさわやかな 朝だ。快晴の青空がある朝は気分が良い。と思ったら、どんどん雲が 出てきた、むむむ・・・。また湿度が上がりそう、いやだなあ。


『ジュリエット/灰』稽古(15時〜22時)
気温が下がりこれでみなの疲れたカラダも少しは楽になるか。集合時 間を少し遅らせ15時に。早朝から仕事をして稽古場に来る者もいる し、深夜から朝まで仕事をし仮眠をしてから稽古場に来る者もいる。 遠くから往復3〜4時間かけて稽古場に来る者もいる。夜遅く24時過 ぎに帰宅し、それから公演のためのスタッフ作業をする者もある。衣 裳も基本、自分たちで作る。ちらしの折込や広報宣伝もあり、チケット 管理もある。更に自分でチケットを売らないとならない。

昔、若いころ、劇団に入団希望でくる新人が「ノルマ」(今はノルマとは 言わない)はあるのですか?とよく聞いてきた。「バカか、こいつ、当た り前だろ」となぐりたくなる。おめえが舞台出て黙ってて一体何人客を 呼べるんだ。古くは劇団四季だって、俳優たちが同時に一人一人制 作にもなって全国を飛び回ってチケットを売りまくって、今がある。学生 劇団あがりの私たち小劇場派は劇団員全員が一丸となってチケットを 売って集客し、そうして活動を続けてきた。野田の劇団だってキャラメ ルボックスだって、おおよそ人気劇団と言われるところはみなそうして やってきたのだ。いやいや演劇では大手「大組織」の新劇の場合はも っと過酷である。俳優さんの「ノルマ」は小劇場の比ではない。100枚 単位だ。チケットの売れない役者は出番がなくなる。演出の仕事で出 演してもらった新劇の俳優さんなんか、「団体何名様お願いします」の 手紙を公演のたびに送りつけてくる。それはないだろ?おめえの演出 したんだんぞ、招待扱いじゃんって思ったりするが、向こうも死に物狂 い。タイヘンだ。私たちはせいぜい20枚か30枚の「ノルマ」だが、彼 らは100枚とか200枚、平気で課せられる。これはヨーロッパではあ りえないこと。もちろん、だからいい訳じゃない。売ることで、自分の舞 台に本気になれるし、自分の劇団に対して厳しくなれる。自分が舞台 に立つことに対しての意識が変わる。頼まれてやっているわけじゃあ ない、そういう自覚、必死で現実社会をサバイバルしている感覚と舞 台に立つ自分がつながる。


ただ、残念ながら「舞台芸術」が根付いてない、単に数あるエンターテ イメントの中の一つ程度しか国民に浸透していない日本では稽古場一 つとっても環境はひどく貧しい。観客もなかなか定着しない。80年代 にはすごい数の若者観客が小劇場に集まったが、そのうち何人が今 も劇場に来ているのか?

マスコミや話題性が出れば客が集まる。それも少し(1〜2年)休むと、 もう忘れられる。ヨーロッパのように芸術文化が市民に深く根付いてい ないのは事実だ。日本でアバンギャルド(芸術はみなアヴァンギャル ド、前衛ですよ)な演劇をやるのはアフリカの乾燥地帯で水田をやる のに等しい苦難がある。が、アフリカにもし水田が引けて、米が取れた ら、これはすごいって。。。。何の話だ?ま、そんな感じ。でも負けな い。面白いじゃん、って。

でも残念ながら最近はこうした自分の現場(劇団)の「たたき上げ」で 苦労してきた役者がめっきりいなくなった。フリーター感覚というか、劇 団に入らずオーデションや一回きりのユニット、プロデュースに参加す る形態が若者役者世代に浸透してきた。確かに「楽」だ。そのかわり、 こんな楽なゆるいところから上がってきた役者は「使い物」にならな い。それが現在の新たな問題。「楽」しちゃあ駄目だよ。若いときの苦 労は買ってでもしろって言うだろ?まあ、テラ・アーツ・ファクトリーのメ ンバーは苦労はしているが、みな自分たちがやっている舞台に納得 し、かつ自負を持ち、作品作りも全員がスタートから参加して納得して やっている。こんなステキな振る舞いをしている若者たち、劇団は今 時、他にないと思う。



『ジュリエット/灰』稽古
今日の稽古は最後の場面であるS4を固める。昨日、みなが納得し定 まったスコアーを元に動いてみる。その後、音響の阿部さんが来る。 通しを見てもらい夕食休憩。ワガハイは飯抜きで通し稽古終了と同時 にワークショップ会場に移動。

夜のテラ稽古は最後に残ったS2の詰めをメンバーで検討してもらう。


ワークショップ・グループC
ファリファリのほぐしから始まって今日は新人組も巻き込んで新人主 体に初のFサークル挑戦。

身体感覚、内触感覚にこだわった訓練法、しかもここまで徹底してい るのはここしかない。今日はそんなシアターファクトリーの醍醐味を味 わってもらう。

ワークショップ後、再びテラの稽古場に戻り、S2に関してのメン バー の意見や考えた案を見せてもらう。

2008年7月11日(金)
風もあり、気温もそれほど上がらず湿度も高くない。

くたびれたからだにはとてもありがいたい一日。今週は雨も少なく湿度 も気温もそれほど高くなく、おかげでからだへの負担も和らぐ。何とか バテずに済みそう。


今回は久しぶりに舞台で映像を使う。で、映像内容も重要だが、使い 方や舞台上の演技者と映像のミックスの状態も把握したく、新宿村LI VEに行ってプロジェクターの位置や映像の大きさなどの確認をする。 思った以上に大きなサイズで映し出されるので、ショボクはない。

その後、稽古場へ直行。
映像の第一稿を吉本さん、持参。
おお、すごい!口をぽかーんと開けて見入る。
団員も大いに気に入った様子。実にインパクトがある迫力のある映像 になっていて、演技者の演技と対峙し丁度いい具合に拮抗し合える感 じ。
実際のシーン(S4)と絡めてタイムを取り、シーン構成と合わせながら 再度編集の直しをお願いする。基本路線はこれでいいと思う。


映像使用に関しては単に舞台の装飾や説明のためではなく、それ自 体が一つの作品であり、舞台上の実人物による演技とパラレルに対 応するような位置に置きたい。それゆえ、映像と演技者を重ねあわせ る演出をする。「生」な身体だと、身体の「生」の部分が露出し、虚構 (登場人物としての演技者)の身体が消失する。映像を舞台上にか け、かつ演技者の身体や演技が映像とダブル場合、つねに白けてし まう(役者が素に見える)のは、身体自体がシニフィアンとして意識さ れていないからだ。


いずれにしても映像も予想通りの感じになり、作品としてずいぶんレベ ルの高いものになりそうである。

2008年7月12日(土)
いきなり30度を越す夏日。
からだがついていかない。歳じゃ〜、四捨五入したら100歳の身には コタエル。


午前中、あれやこれやと雑事を済ませ、汗だくになって午後、稽古場 に到着。その時にすでにぐったり状態、這いつくばって辿りついたって 感じ。連日の稽古疲れもたまって、さてどうしよう。午後は女子陣はそ れぞれ作業やら何やらで男子陣(テラの女の子たちからは「おじさん ず」と呼ばれる。女の子たちの倍の年齢差がある)の稽古。今日は今 日でまた少し前進かな。ほんと一歩ずつ、バリバリ進む若手陣に対し て熟年チームは一日一歩、って感じ。ま、急いでも人生どうにもならな いし、今更何をどうしようってことでもないし、で。生きてきた姿を表せ ばそれでいい、極端な話。


夜は女子陣による『ジュリエット/灰』の稽古。S2シーンを詰め抜き稽 古する。ここを固めればほぼ全体がきっちりと仕上がる。来週は更に 詰めを行って作品を締めて行きたい。完成度をより高める。作品の大 枠や観客席から見た出来はかなりいいと思う。インパクトのある作品 になっている。

稽古終了後、気温も下がり明日は久しぶりの稽古休みとあって、何だ か今日の「お疲れ」は少しウキウキ気分。明日は久しぶりにウチで寝 る曜日にしたい。休みがこんなに「ありがたい」と思える今日一日、土 曜の初夏の一日であった。疲労が溜まりに溜まってほんと明日が休 みできっちりからだを休めて、何とか来週は立ち直りたい。

2008年7月13日
日曜日、久しぶりに稽古休み。

おかげでからだを休めることが出来、ずいぶん楽になった。


ホームページの再編の必要があって仕事の合間を縫って新たに新サ イトを二つ立ち上げ、一つは「散歩日記」とし1999年からの日誌を集 合し、もう一つはWS記録の集合したホームページを作る。私のPCが 貧弱なためデータ量が増えると保存できずシャットダウンし、新規追加 したデータが全部消えて、また同じ作業をしなければならない。データ 量が増えるたびにサイトの増設が必要でそのために移動作業があっ て、6月の3週間をかけてそれをやったのだが、今日、久しぶりの休み とあって少し「日記」に追加を加えた。が、それがまたぶっとんだ。。。


7月に入っての暑さが相当からだにコタエタ。今回はそれでも今までの 公演に比べてまだ調子は良い。が、やはりいつ倒れるか、不安は残っ ていてはらはらしながらやっている。演出は過酷な仕事だ。それをや るにはよほど強靭な体力が要る。が、カラダに問題が生じた自分には その過酷に耐えるだけの力はない(1999年以来、度を越した無理が 出来なくなっている。そのため自分のからだの具合と相談しながら演 出させてもらっている)。

だから本来、演出の仕事は今の自分には不向きかもしれない。そうい うわけで、まわりに助けられて何とかやっている感じ。「集団創作」、 「自立する演技者による集団」というもともとめざしていたものが今は 切羽詰った必要性として機能し始めている。<怪我の功名>、か。


今日は、知人への公演案内のDM書いたり、来年の企画の打ち合わ せを主催者と電話で交わしたり、11月の公演の稽古計画などを考え たり、来年以降のテラ・アーツ・ファクトリーの活動方針を考えたりし た。



★テラの現在の位置確認
三年の活動で方向性がより明確になってきたのと、最近の環境(社会 の動静)の変化が徐々に我々サイドに傾いてきているのを確認する。 「超左翼」を名乗る雑誌『ロスジェネ』が発行されたり、『蟹工船』が売り 上げベスト1になったり。格差社会、派遣社員に関する過酷な状況、 ネットカフェ難民の増加、ワーキングプア、老人・弱者の切り捨て・・・。 これまで隠蔽されていた資本主義社会の「システム矛盾」がここのとこ ろ一挙に噴出している。

私は左翼ではないが(特に支持する党派もない)、左派ではある。「左 派」とは抵抗勢力であると考える。自民党であれ共産党であれ、日本 であれ中国であれ、体制やイデオロギーとは関係なく、「非・権威」 「非・権力」の態度を取る。これが「左派」と考える。ソ連でも中国でも 「左派」は保守派によって粛清された。革命を契機に生まれた「人々の 幸せをめざす」社会を作ろうとする「変革」への意志や思いは現実によ って裏切られる。革命の精神は骨抜きにされ、歪曲され、残ったのは 巨大な「社会主義権力機構」と巨大官僚機構。「右派」とは健全や幸 せに向かおうとする力を個人の欲望のために歪める作用であり、「左 派」は本来の道(社会の健全、人々幸せ)をめざそうする力、そういう 立場を取るものを言う。

ロシア革命を支えた殆どのアバンギャルド芸術家は粛清された。ソ連 邦によって公式な芸術態度として認められたのは「社会主義リアリズ ム」。アバンギャルド(芸術抵抗派、左派)は「フォルマリズム(形式主 義)」、「ブルジョア的」、「人民の敵」の名の下に粛清、排除された。



私はイデオロギーは「無翼」だが、姿勢は左派を貫く。つまり「アバンギ ャルド」派である。権力や権威に対する<批判と抵抗の>演劇、やっ てきた。これからもやっていく。そういう「左派」には世の中の動き、方 向が動きやすい(支持を得やすい)風向きになってきたなあ、と感じ る。

2008年7月14日(月)
昼間、暑い夏日の中を3箇所ほど用事で回り、汗だく。


『ジュリエット/灰』稽古

作品、仕上がる(上演スコアー確定)。良い作品になった。肩の 荷が 少しおりた。


ほぼ本番に近い状態で通し稽古。

演技陣も終わったら汗だく。とにかく1時間以上動き続ける、カラダを フルに使う舞台。

スタッフのH君、初めて通し稽古を見ての感想。「シンプルだけどメリ ハリがあって、いい」。休憩時間にアバンギャルドについてちょっと会 話。「アバンギャルドだよなあ、ウチは」、アバンギャルドとは既成の権 威や権力、制度への抵抗。「演劇というのはこういうもの」と誰が決め たものでもないのに勝手に一人歩きし「決まって」しまう固定観念、幻 想という無意識に出来上がっている「制度」に対する反抗である。

それがただの「反抗」じゃなくてここちよい、小気味良い反抗、つまりは パンクになり見ていて面白いもの、になる。それをめざしたい。パンク な精神、ポップな感性、シュールな舞台・・・あああ、横文字並んだ。 ま、いいか。見て、何かズキューんと来る、そんな舞台に仕上がってい る。それを理屈であれこれ取って付けたくはない。つい意味を与えたく なるのが人情だが、無意味に(無価値ということではない)徹する。な ぜそこでそうなるのか、それを裏付けするのは言い訳っぽくなる。何故 か自分たちでもよくわからないけど、そうなるしかない。そこに持って 行きたい。パンクで反抗的、でもゾクゾク感、ワクワク感がある舞台、 それが今回の目標。達成しつつある。かなり想像力を刺激する作品に 仕上がった。少し「プレッシャー」から解放される。そりゃあ、一発「空 振り」な舞台作っちゃうと、まずメンバーの信用失うし、集団なんて持た ないもん。一回一回が及第点を確実に超えないと責任は演出家、主 宰者に回ってくる。首がかかっています(笑)。今回も何とか首がつな がった・・・・。


ま、そんなこんなもあって暑さだけでなく神経も昂ぶり眠れなかったり ストレスが溜まったりで、つい「カッ」となりかかったり「ムカッ」と来そう になるのを「グイッ」と感情を抑え、押し殺しやっているため、時々、ス トレスが口にあらわれ、公演が近づくときつい言い方したりする。出来 るだけ抑える、我慢する、ようにしているが内面はひたすらよじれてる (笑)。でもそれがまた創作のモチベーション、二重三重の「悪意」ある 舞台の作りとして反映する。

演出とは因果な稼業だ。どこの劇団も演出家と役者は一緒に飲みに 行かない。役者は演出家の悪口を飲みの席で言うことでストレス発散 する。そういう役者と演出家の宿命的関係なのだが、ウチのような家 族的集団でかつ、何かと年齢的に対立的になりやすい「おやじと娘」 的年齢格差の条件下、一回だけのかかわりではなく継続的な作業を 主体にする集団では相互の「理解」だな、要は。まずはコミュニケーシ ョンきちんと取ると、うん。

2008年7月15日(火)
午後、『ジュリエット/灰』稽古。セリフ部分の確認を中心に自主稽古を してもらう。

夜、新宿村LIVEを借りて、実際の上演空間で要所を実演、実見す る。全体の構図、配置を見る。作品は仕上がる。公演まであと9日、こ れから通し稽古を重ねながら演技面をよりこなれたものにしてゆく。女 子陣「ジュリエット」組はここのところの暑さもあって疲労はピークに達 している。作業もまだあれこれ残っている。明日は稽古を休みにし、か らだを少し休めてもらう。かわりにまだすることが残っている男性陣「ラ イフ」組の稽古をすることに。男子陣は今週が勝負。

2008年7月16日8水)
今日は男性陣のプレパフォーマンス『ライフ・1』の稽古。
ようやく構成が固まってきた。

少し動いたら、二年前に痛めた股関節に来たあ・・・。足を引きずりな がら帰宅する。

11年ぶりの舞台復帰(日本では)、でもぼちぼちの復帰じゃわい。ま だ五体満足とはいかない。舞台の隅っこのほうに立たせてもらう感じ で行こう。これからは「老い」と「枯れ」、これを目標に行きやす。死ぬ までやるぞ!

「晒す」、格好悪くてもその格好悪さも含めて「晒す」、それが表現をす る、ということだ。表現とは自分の中に世界を引き受けることだ。その 世界は自分が感じたものでしかない。その世界を表現として外部化す る。これがゲージツカの社会参加だ、政治参加だ。選挙なんぞに行か なくても、革命に参加しなくてもデモに行かなくても、ゲージツカにはゲ ージツカの闘い方がある。芸術の革命ではなく、革命の芸術である。 それは腐敗した「左翼」とは無縁の革命である。

2008年7月18日(金)
真夏日、昼間の暑さはたまらない。去年より梅雨明けが早まった感 じ。


午後は女子陣で確認を兼ねた自主稽古をやってもらう。

合間を縫って、2003年、アメリカのイラク攻撃開始を間にはさんで交 わされた香山リカと福田和也の対談を読む。若者たちの絶望感と「ナ ショナリズム傾向」をめぐって。


夜は広めの稽古場を使って、実寸で通し稽古。切れ味のいい舞台に 仕上がっている。

映像の第二稿が出来上がる。舞台上で発語されるコトバ(短句フレー ズ)とオーバーラップして見ると重層的にイメージが拡がる。面白い。

2008年7月19日(土)
『ジュリエット/灰』通し稽古。

演技陣の仕上がりはほぼ完璧!
初めて通し稽古を見た男性陣も思わず終了とともに拍手。圧巻の舞 台、である。世界中探しても見当たらないものになった、感 じ。

あとは劇場に入って照明、音響側が演技陣とうまく絡むことが出来る か、そこだけが心配。テラ・アーツ・ファクトリーは他の芝居系に比べ て、難易度が極めて高い舞台だ。そのためか、特に照明と音響はつ いてくるのに苦労する。アーチストのセンスが要求される。単なる「技 術者」では全く対応できない。ありきたりの芝居の約束事で作り上げた ものではないから、スタッフも全神経、全感覚をフル動員して感受し対 応する必要がある。そのためか、演出からOKサインが出るのはたい がい最終日あたりになってしまう。そこが毎回の課題。

いずれにしても通し稽古の段階では完璧、すごく刺激的で良質な舞台 になっている。保守的で閉鎖的な業界人が見たらどう思うかわからな いが、普通のお客さんにはラストまで見るとはっとするような舞台にな っている。それで良い。生活や日々の葛藤の中で真摯に生きている 人々が見て刺激や何らかの活力になればと願う。あとは劇場に入って 照明、音響が入ってこの感じが壊れないことを祈るばかり。ガンバッ て、スタッフさん!

2008年7月23日(水)
いよいよ今日小屋入り、という日の早朝3時。何かしら「興奮」して眠れ ない。


昨夜、最終稽古(通し)をした。昼間、ヘアとメイクを作り、その状態、 衣裳もつけての通し稽古。ヘアはメンバーの知人の若いプロの方にお 願いしたため、若さとセンスが先走りして「奇抜」にならないか心配しな がら見守ったが、幸いうまく衣裳やメイク、作品世界とマッチし、いい感 じに収まった。

衣裳、メイク、ヘアを揃えて初めて通して見ると新たに発見することあ り。

最近、通し稽古の度に何かしら発見し、目を開かせられるのだが、今 回の作品のように何回見ても、その都度、発見があって見飽きないと いうものは一生のうちそうたくさん作れるわけではない(関係者であ り、作り手でもあるのに)。


30歳でその先に進むのは難しい、と思われるくらい完成された作品ス タイルを作ってしまった(観客、批評をはじめ多方面から評価もされ た)。その時、もうそれ以上先に行けないと思い、その方法を捨てるこ とを決めた。業界に残ったり、「売れる」には、それを繰り返していけば いいのだが。

そうして20年以上も試行錯誤を続けた甲斐があった。今日はそんな 気分。半世紀生きて、今回、ようやく自分なりの新たな表現形式と世 界の見事な合致(表現方法、表現スタイルと創造世界の一致)を見出 した感がする。しかもこれはまだ完成とは言難い。一作品としては十 分完璧に近いのだが、方法、形式、世界としてはもっともっと先に進め る。だからまだまだ続けることが出来る。今回の「収穫」を反復・変奏し ながらもっと先に行ってみたい。そこが一度、「完成スタイル」に達して しまった30歳の時と異なる部分か。



美学ではなく心理学、現実の再現や模倣ではなく「自己発見」の劇。自 分という奇妙な生き物の正体を突き止めるための飽くなき潜航、掘削 のプロセスとして芸術行為。そのため、現実はたくさんのモティフ(材 料)を私たちに示してくれている。まだまだモチーフは足元にもあちら こちらにも転がっている。現実は表現の目的ではない(演劇や芸術を 通して現実を変える、そのための手段としての演劇や芸術云々は私 たちとは無縁)。現実は表現(演劇、芸術)の手段である。表現行為、 芸術行為、演劇行為自体、その独自の形式にこそ目的がある。


次回11月は『イグアナの娘、たち・U』。連合赤軍の永田洋子をモチ ーフとするが、もちろん連合赤軍事件をあれこれ論評したり、永田洋 子を支持したり批判したり、は私たちには無関係。一人の人間の中に ある奇妙な生き物を探りつつ、それが<わたし自身>の中にある奇 妙な、恐怖な部分を映し出す<鏡>となる、 そのための最適なモティ フの一つ、として取り上げるものである。ま、これは訳知り人間や左翼 には誤解されるだろうが、一般の観客には興味深いだろう。2004年 初演以来、いや17歳で連合赤軍事件に出くわしていらいのモティフで あり、30年かかってようやく一歩踏み込めるようになった題材でもあ る。すでに試演会(2004)、初演(2006)と重ねて、極めて強いイン パクトを観客に与えた新テラ・アーツ・ファクトリー代表作の一つだ。


さて、『ジュリエット/灰』最終稽古を終えた今から小屋入りまでの間 に、観客用パンフレットを作る作業を済ませないと・・・。それにしても ワクワクする。この感じがあるから、35年近くも舞台を続けてきたんだ ろうなあ。

2008年7月24日(木)
初日。

午前10時から昨日の場当たりの続きをし、照明、音響と舞台との統 合をはかる。照明の奥田さん、素晴らしい!感覚的に世界をバシッと つかんでくれた感じ。それがプランにあらわれている。特に『ジュリエッ ト/灰』の女子陣が男性陣の「てんやわんや」のパフォーマンスの後、 すぐに暗転して板付きする際の、出演者登場の際の明かり、何気ない 場面だが、そこで観客の無意識の中で空間が変わらないとならない。 それをきちっと演出している明かり、これぞ「職人」!こういうのが好き なんだなあ、「職人」のセンス、「職人」でしか出来ない理屈抜きの渋 み、シャレ、さりげなさ、そして表面には現れないがしかしものの存在 を際立たせる深み。

ちなみに「職人わざ」ってのは最大限の褒めコトバ。演劇も芸術も「頭」 (理屈、観念、概念)で考える奴がやたら多い。考えるべきことは誰よ りも徹底して考えないとならないが、その先にそういう「頭」で作り上げ たものを裏切る「現実」に出くわし、素直に「現実」を受け止められる感 覚がないと概念に縛られるだけだ。感覚で受け止め、感覚がより深く 鋭く冴え渡ったとき感じ取ったものは簡単に言語化(概念化)できな い。そのためには時間が掛かる。概念とは所詮、それまで本や情報、 知識で得た常識の枠であり、過去に出来あがった約束事でしかない。 自分が深く感じうけるものは、その枠をはみ出したものである場合が ある。その時には古い枠は通用しない。芸術行為が意味あるものとし て成立するとするなら、その瞬間である。だから「職人わざ」とは芸術 わざを生み出す前提でもあるのだ。それゆえ演技をめざす者は演技 の職人をめざし、更にその先に超えていく態度、姿勢を持つ必要があ る、と思うのだ。


午後1時からゲネプロ。映像がどうしても思ったほどクリアに出ない。 プロジェクターの性能の限界ゆえ、どうにもならない。特に最初の5分 の映像(ボスニア・ヘルツエゴビナで私が撮影した「廃墟」の映像を吉 本さんが加工・編集し映像作品として制作してくれたもの)、少し残念。 何とかならないか、としばし格闘。


ゲネプロ終了後、客席を作る。今回は面白い客席の作りになった。普 通のお芝居には向かないスペースかもしれないが(柱がどーんとスペ ースのど真ん中にあったりして)、それも舞台装置の一部と考えると面 白い空間になる。『ジュリエット/灰』では空間自体の「制約」を舞台の 効果に変える工夫をした。横長客席、見る位置で全く舞台の見え方、 見える部分が異なる。そこが面白みである。


そして初日が幕を開ける。大入り。補助席を出す。

今回は60歳で舞台デビューの若林さん、同じく四捨五入で50歳の酒 井さんも初デビュー。私と滝が加わり、殆ど無意味、「毎度バカバカし い」、「てんやわんや」の前座芝居(プレパフォーマンス)を演じる。いい 年こいた男がクレイジーにアホをやる。これを若者たちにはぜひ見て もらいたい。私の初心、理屈ではなく態度、姿で見せるしか説得力は ない。そんなこんなでテラ・アーツ・ファクトリーの親子ほど歳の差のあ る女子メンバーはみなついてきてくれた。今回は舞台で示す、晒す。し かし個人的には11年ぶりの舞台、もうすっかり「勘」が鈍っている。少 しずつ取り戻していこう。

『ジュリエット/灰』、客席から見られなかったからわからないが、もうや ってきたことを信じるのみ。極めて力強い舞台になったのを空気で感 じる。

歌人の林あまりさんが久しぶりに見に来てくれる。相変わらず若々し い。それに比べて当方の老けたこと。。。役者の下総源太郎さん、元 新宿梁山泊の松岡さん、唐組に入った元WSメンバーの大ちゃん、同 じく元WSメンバーの曾田君、岸君、中村さん、生徒の佐藤君、五十 嵐さん、福島君、鈴木さん。。。。「完成度が高い」、「うまく言葉に出来 ないがズシーンと来た」、「集団の表現になっている」、あれやこれや。 初日は特に続けて見に来てくれている客が多い。また気合の入ったコ アな客もウチは多い。そのため、「前」より作品の質を落とせないから 緊張感は高まる。

2008年7月25日(金)
毎日、汗だく。

いやあ、おじさんたちは短い前座パフォーマンスとは言え、毎日が死 に物狂い。10 分ちょっとだが、終わったら汗だく、まだ生きてて良か った状態。大雑把な流れと基本コンセプトはあるが、即興に近いので 毎回、流れを作って行かないとならない。う まく行く時もあり失敗した なという時もある。

体力的には100M全力疾走、心臓ばくばく、脳血管切れんじゃね、っ てくらいいいオヤジがブレイクする。そのバカバカしさに一期一会でか ける。

今日は本番前に写真撮影があって一回やることになったが、もう汗だ く。本番に合わせてヒートダウンするのに苦労する。このオヤジ格闘 記、終演後は足ふらふら、家に帰ってすぐに湿布薬を足に貼る日々。 歳を取ることの侘しさと「痛み」を感じる。これは次回のコンセプトだ。 「取り残される恐怖」って。


公演二日目、昨日に続いて大入り、会場整理がてんてこ舞い。女子演 技陣がスタ ッフ会場整理係りでフル活躍する。観客席には石澤秀二 さん来てくれる。照明の奥田さん、思わず近寄る。桐朋学園大学演劇 科出身の奥田さんのかつての教授だったとか。青年座の役者さん数 名、WSの土田君、おじさんたちのパフォーマンスに「反則ですよ」と笑 い。同じくWSの江口君、元生徒の西君、WSの上田さん、生徒さんを 連れてきてくれる。大きくなったなあ。彼女たちが中学生の時に一緒に 芝居を作った。いまはいいお嬢さんに。その分、こちらが墓場に近づ いたって事か(笑)。

藤井から劇団再生の演出家の高木さんを紹介される。高木さんはよく ものを知っている。少しだけの話だけど盛り上がった。「弁証法です か?」、「ヘーゲル」・・・いや、「ヘーゲルに関係するとは思いません が」、「ニーチェには近しさを感じる」、近代合理主義以降の人間中心 主義(西欧近代主義)に対する批判意識が根本にあり、その毒を一番 現在でも受けているのが演劇領域であるから、通常の「お芝居」と言 われているものを演劇でもなんでもないと否定するのである。



終演後、スタッフさん交えて居酒屋へ。照明の奥田さん「ことば、よく聞 くとすごい面白いんですよね」。そうなんだ、一度だけだと何となく聞き 逃すんだけど、よく聞くとと一行、一句それなりに奥が深いって。今回、 「グロ」は少ないが、毒は相変わらず効いている、意味不明もざくざく。 「男はちゃぶ台」、「タグつきの将来」、「おっぱいが富士山」とか何だと か、延々と続く。これは一種の「川柳」。そういうワビサビ、何度か見る と興味が深まる舞台だと思うけど、一見さんには「わからない」が多く なるのが残念無念。少し頭使えば、読み込んでもらえればどんどん掘 り起こせる舞台だでなあ。あのカードはどういう意味なの?とか。あの 少女は何者?あの灰のようなものは一体何?そもそもあの女は何故 目隠しだったの?なのに何故自分ではずしたの?・・・・とにかく謎は 深まるばかり。「ナゾナゾ」遊びだと思って、謎を解いてもらいたいし。

2008年7月27日(日)
公演楽日1。

ソワレー、佐伯隆幸さん、来る。終演後、近くでビールを飲み交わし歓 談する。以前お願いしていたこともあったし、で。私が演劇関係で敬愛 する数少ない批評家であり、この世界で活動をはじめた初期の頃、二 十代からお付き合いしていただいている先輩でもある。


「いやあ、11年ぶりに舞台に立って、改めて役者ってのは肉体労働者 だって思いましたよ。ぼくらはプロレタリアートですよ(テラは徹底して 肉体を使うし)、これからはプロレタリア演劇を名乗ろうかなあ」と冗談 半分で言ったら佐伯さん「それいいと思うよ」と笑いながら同意。

「プロレタリア文学」が復権する昨今、しかし私たちの世代は「プロレタ リア演劇」に関して何も知らない。ただ後世の風評を聞くばかり。戦前 にそうした歴史があり、「プロレタリア演劇(文学)」を生み出した背景 があったのをもっと知るべきかもしれない。ロシアアバンギャルドとも 関連するだろうし、ソ連がリアリズムを公式化することで対極にあった アバンギャルドが粛清され、その結果、ソ連の影響を忠実に受けた日 本の戦前の新劇もリアリズムに統合され、その後、国家弾圧下の時 期には変節や紆余曲折などがあった。結果として、日本の近代演劇 は歪められ、その「歪み」は現在も解消されているわけではない。個人 で行う絵画などの芸術表現と異なり、上演する劇場と観客、そして組 織的な集団が必要な演劇は時代環境の影響をより強く受ける。

個人的には30年近く、「肉体労働」的演劇という意味での「プロレタリ アの演劇」をやってきたことになる。「左翼」演劇とは無論異なる。再現 型ではなく現前型であり、写実や模倣ではなく抽象度の高い造形表現 型の演劇だから、「現実を変えるための演劇(という手段の演劇)」と は全く逆の「プロレタリアの演劇」だろう。それ自体が現実の革命と一 体不可分にある演劇、とでも言おうか。。

ここ数十年、日本は「豊か」で「平和」であり「右肩上がり」だった。そう いう環境では私たちのような考えは孤立する。様々なレッテルの元、 包囲され排除される。よくぞ続けたなあと思う。今年から何だか急に風 向きが変わって、私たちのような考えが決して「少数派」ではない、そ んな感じが表面化してきている。世間の風向きはこっちに角度を変え てきた。50年くらいの振幅を持った大きな舵の変更時期にさしかかっ た、と言っていい。


テラをスタートしてから特に抽象度の高さゆえ、「わからない」「難しい」 「つかみどころがない」と言われ続けた。観客の何気ない無理解なコト バに何度も何度も傷つけら絶望しながらも、宗旨を変えず、世の中の 大勢に妥協せずやってきた。今も観客の「わからない」「難しい」は変 わらないが、それでも理解し受け入れてくれる人々が以前よりは増え てきた。若いメンバーも強く支持してくれる。継続的に舞台を観てくれ る観客も増え、一回より二回、二回より三回と観劇を重ねることで理 解度が高まっているようだ。抽象度が高い表現形式ゆえ。かつそうい うものを観客が見慣れてないという演劇史のほうの問題ゆえ、やむを えない事情だ。


「一見さん」歓迎のコンビニ演劇ばかり増えても演劇の進歩も未来もな い。「一見さんお断り」という態度でやり抜く演劇もあってよい。いや、 それがないと深まらないし、発展もない。そう確信を深め新たな決意を 抱く楽日。

2008年7月27日(日)
公演楽日2

公演の後の打ち上げの主旨は、公演と公演までに至る数ヶ月の準備 の一応の終了の「区切り」と、メンバー相互の「お疲れさまでした」とい う相互感謝、更に公演遂行に当たって様々に協力、バックアップしてく れたスタッフさんの慰労がある。

が、何せこの日は肉体を酷使する舞台を二回やって、その後、バラシ と撤去仕事をこなしての打ち上げ。みなくたくたである。私も出演した ため、体力消失。


この打ち上げに得てして関係者以外が加わったりする。いわゆる「お 客さん」。で、くたくたの上に「お客さん」の相手する、なんてのは不合 理と、あまり外部の人は入れないようにするが、それでも何かとお世 話になっている人もいるので、そうとばかりはいかない。だから「打ち 上げ」も公演の延長のようなものになる。気持ちをゆるめることは出来 ない。


テラの基本メンバーは20代女子だから、どうみても若い女の子には 話の合わなそうなおじさんは私が相手をすることになる。そんなこんな で、最後まで「ホスト」仕事である。これが「打ち上げ」というものであ り、主催した者たちはここまでは公演の延長として責任がある。


今回は出演者の知人の中堅役者さんも参加。しかし、さすが役者さ ん、しっかりメンバーに打ち解けてくれ一緒に楽しんでくれた。こういう 方の参加は助かる。人の打ち上げに来ていきなり辛気臭い説教を始 める訳知り、先輩顔のスタッフや役者はかなわない。酒を飲んで暴れ だす若者も要らない。その手の手合いはいない、あるいは入れない、 というテラの「打ち上げ」は比較的円満、公演の終了にふさわしいもの で仕切って来た。これもずいぶん苦い経験が一杯あるからなのだ。警 察沙汰まであったし、打ち上げのあと留置所に入った経験さえある (自分が騒いだわけではない。騒いだ連中の尻拭いのため逮捕され 留置された)。


それにしてもいろいろ縁があるものだ。打ち上げで外部の人が参加す るとそういう奇縁も発覚し、これはこれで楽しい。新宿梁山泊創立メン バーの俳優近藤弐吉さんも駆けつけた。「中野***さんって知って ます?」、いきなり出てきた懐かしい名前。いやはやびっくりどっきり。

中野さんは学生時代に敬愛し、非常にあこがれた「熱血ロマン派」、 「永遠の青年」役がはまりのイケメン俳優だった人。早稲田時代の演 劇世間あたりではちょっとした知る人ぞ知る人。後に私が創立したア ジア劇場の初期中核メンバーにもなっていただいた縁の深い方。その 名前が出るとはいくらなんでも思わなんだで。

Kさんは役者キャリアのスタートが、中野さんのもとであったらしい。何 という奇縁。近藤さんはそれから状況劇場へ入団。その頃の状況劇 場(のち、唐組)には、アジア劇場創立メンバーだった三浦賢二がい て、丁度前の主役(根津甚八、小林薫)が抜けた後で、次の主役に抜 擢されるかされたかの頃だった。三浦君も近藤さんの先輩に当たる。 そんな仲だったのね(殆ど私にしかわからない私語世界に。テラの子 達にこの驚きをいくら話しても、はあ、ってな具合で全く共有できない。 ま、それだけ古いってことね。だんだん話の共有できる相手はいなくな って老いる寂しさ、侘しさ、これぞ人間の宿命、悲哀かな)。

Kさんと一緒に状況劇場から新宿梁山泊旗揚げに加わった女優の石 井ひとみさんの旦那にはこれまた初期アジア劇場出身の神谷がおさ まったという。ぐるぐる回って、「狭い業界」、くんずほぐれつの血縁関 係、義兄弟的因縁ってことだ。ま、そんなこんなで親しみを持ったKさ ん、いろいろ奇縁が発覚した打ち上げ、それだけでも楽 しかったし。

2008年7月28日(月)
今朝五時まで打ち上げ、そして帰宅し寝る。


ともあれ公演が無事終わって、ほっとする。

ほっとする、というのは出演者の突然の病気やケガがなく、無事公演 を終えることが出来たという意味で。公演初日に、家を出る際はお祈 りをする。「無事公演をすることができますように」。こういう心情はごく 自然なものなんだろうなあ。祈るって行為、祈る気持ち。


長く演劇をやっていると、何度も公演直前に役者がケガしたり、病気 になって入院したりという不測の事態に直面する経験を持つ。舞台の 最中に役者の具合が悪くなって止む無く幕をおろしたこともある。今 回、自分も出演し、当たり前だが改めて役者は生き物だと実感。人 間、どんなに偉そうにしても自然界に属しているそのごく末端の一部 分にすぎない。

漁師が海に漁に出るときに海の神に祈るように、祈る日々。


人間、からだの調子が良いときもあれば、女子なら生理でつらいとき もある。常に同じ状態、同じ調子でやれるはずはない。それでいいと 思う。「いつもベストの気持ちで」はわかるが「いつもベストでやれる」は ずはない。オリンピック選手だって、マラソン選手だって同じだ。生身 の身体、傷つきやすく、そして出演が終わって幕間に下がるときは、 衣裳も汗びっしょり、動悸も激しい。だからほんと、無事終わってやっ とココロが休まった。

しばらくは読書に専念したい。20世紀思想の源流となるマルクス、ニ ーチェ、フッサール、フロイト、ハイデガーなどを概観してみたい。あ と、ロシアアヴァンギャルドに関する著作を読む予定。



さて、公演翌日朝帰り、疲労たっぷりの地獄のワークショップは今日も ある。

公演直前はお休みを頂いていたので、今日は穴をあけられない年中 無休のワークショップ、こうやって20年続けてきたライフワークだ。 が、今日の参加はなんと二名・・・・。むむむ。で、たっぷり声の交換も 含めたファリファリ・ベーシック1を濃密にやっっった。



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