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韓国現代戯曲ドラマリーディング2009

2009年3月13日(金)ー15日(日) 記
日韓演劇交流センター主催の韓国現代戯曲ドラマリーディング開催された。 同センターは2000年に創設、それまで個別に行われていた日韓の演劇交流の 窓口を作ろうとのことから日本演出者協会の音頭で7つの統括団体が集まり横断 的な組織として結成されたものである。その事業の一つとして現代韓国演劇の未 紹介戯曲の翻訳と出版、同時にドラマリーディングを行うという企画が隔年で開催 され今回で4回目となる。私は国際演劇協会(ITI日本センター)から派遣された委 員として創立から関わってきた。


今日3月13日(金)のドラマリーディング、シアタートラムの客席は満席。第一回(2 001年、私も演出した)を考えると隔世の感だ。「韓国現代戯曲集」出版も4冊目と なる。日本センターがこれまで紹介した韓国の現代戯曲は20名の劇作家の20作 品。韓国でも隔年交互開催方式で日本現代戯曲のドラマリーディングが開催さ れ、唐さんや別役さん、坂手氏や野田氏など日本の劇作家20名の各代表作合計 20作品が並行して出版された。日韓の演劇交流史上、初めてのことだ。日本も韓 国も近代はもっぱら欧米の戯曲が翻訳されてきた。西欧に近代のモデルがある (と思ってきた)からだ。

交流センターが出来たのが2000年、それ以降の韓国での日本の演劇上演、日 本での韓国演劇の上演はそれまでにないほど爆発的に増えた。


シンポジウムでの基調報告を行う韓国演劇の先駆者の一人金義卿(キム・ウィキョ ン)さんの「日韓の演劇交流史」によると、金さんがかつて書いた作品の中で、関 東大震災を題材にしたものがあった。日本人の行動(うわさでパニックになり在日 朝鮮人を大量虐殺)に対して一人の懺悔する日本人を登場させたところ、当時の 観客から厳しい反発があったという。「日本人に善人がいるはずない」、「日本人に なぜ好意を持つ(親日派というレッテルを張られて社会から抹殺される韓国の戦 後史が前提にある)」。戦前の日本による屈辱的な支配、植民地化、収奪、日本 の起こした戦争によってもたらされた苦難。突然の日本敗戦と解放独立。植民地 支配の産物としての朝鮮戦争と南北分断。20世紀韓国の苦難の多くに日本が関 わっている。それを親や祖父母から小さい頃繰り返し聞かされて育ってきた戦後 世代。一方、殆ど隣国と日本の近代の関係を知らされていない日本人。韓国(朝 鮮)の心情を日本人が知らない、ということに悔しい思いや屈辱を抱くようだ。


初日パーティーで今回最終日に作品が取り上げられる呉泰栄(オ・チヨン)さんと 同席した。呉さんの話は極めて波乱に満ちたものだ。60歳を迎える呉さんにとっ て戦争は親の世代の日本の戦争(軍属や慰安婦、兵士として)、朝鮮戦争、そして ベトナム戦争参戦と続いた。呉さんはベトナム戦争時に徴兵さjれたが、三度徴兵 検査前に行方をくらまし、またつかまり再教育を受け、また逃げ出し・・をしたと言 う。韓国で徴兵を拒むのはかなり勇気がいることらしい。見つかるとその場で射殺 される場合もあるという。

戦争が続いた韓国の戦中戦後史、日本人には想像できない。だから韓国の男性 俳優と競演すると驚くことがある。役で兵士や銃を扱う場面は彼らはみなプロフェ ッショナルなのだ。今でも徴兵制があり、みな数年間軍隊経験をしている。だから 「ヤワ」ではない。




『こんな歌』 作:鄭福根(チョン・ボックン) 
シアタートラム・3月14日上演

一人の韓国人女性ヨンオクの過去と現在を描く作品。

死んだ夫、死んだ息子が登場し、最後には彼女も死ぬという悲劇だ。夫や息子の 死は彼女自身が導き出した結果だ。それも本人の意志と全く逆の結果として。そ れが彼女の「悲惨」を深める。

「私は時代が生み出す人間の力を超えた暴力に立ち向かう作品を書きたい」、と チョンさんは言う。小柄で大人しそうな彼女のどこからこの強い「闘う姿勢」が出て 来るのか。彼女は、時の政権の腐敗を描く作品で上演禁止も経験している。独裁 政権や軍事政権の頃は知識層が「反体制」ゆえに監禁されたり、闇に葬られた り、「スパイ罪」で処刑されたりもありえたのだ。


[戯曲粗筋]
日本が植民地支配するまで名家で豊かだったヨンオクの生家。しかしヨンオクの 両親は親日派という理由で、日本敗戦後、人民軍に殺害され、家は傾いた。その 後、結婚したヨンオクの夫はインテリ(教師)であったが、ヨンオクは夫の政界進出 と豊かな生活を夢見る。そして政治家への夢を抱いて進歩党に入党後、夫はスパ イ容疑をかけられた。ヨンオクは夫を釈放するため警察にだまされ、彼女の証言 の結果、夫はスパイとして処刑されてしまう。

時は経ち、苦労して育てた息子が労働運動に関わるようになる。争議の最中、息 子を救うため官憲にアジトを知らせたことで今度は息子を自殺に追い込んでしまっ た。

ヨンオクの記憶の中に死んだ夫と息子が現れ、20数年を隔てて死んだ出会うは ずもない二人が会話する。





非日常手法で、死んだ者たちが悲劇の主の妄想の産物として観客の現前に現 れ、その「思い」を語りだす。夢幻能の手法とも共通するドラマツルギーである。現 実ではありえないこういうことを可能にするのも演劇ならではの力。ヨンオクの話 は、まさに「悲劇中の悲劇」である。だからか、日本での上演は難しいのでは、と思 った。


演劇の成立の前提には観客の共感が必要である。むろん共感しにくい特殊なこ と、個的なことを扱いながら、それを最後には観客と一緒に共有する。それが演劇 の力でもある。初日に紹介された38歳の作家李ヘジュは「文学や芸術は少数の 考えを多くの人に広げる行為」と語っていたが、確かに一理ある。多くの大衆に受 け入れられるミュージカルや商業的・娯楽的演劇が増え、こういう少数者(マイノリ ティー)の演劇が減少しつつある、という韓国の現状を憂えての発言だったが、日 本では80年代の小劇場ブームを経験済み、異例の経済繁栄に乗って、私自身の 活動も含めて、時の権勢に異を唱える少数派の演劇は行き場を失った。それは 不健全だが、日本では「繁栄謳歌」も過去のことになり、再び「繁栄」や「豊かさ」 「進歩」「合理化」の下で切り捨てられる弱者や少数者に目が向いている。いま、2 0数年前の私の演劇などはまさに時代とぴったり合うものになっているというのも、 皮肉か。。


ヨンオクの体験した話は戦後の韓国の歴史の激しい激動と一体である。権力の暴 力の前に人間が不条理に倒されていくことへの告発。あまりに日本の戦後の経験 と違いすぎて(「アカ」のスパイ容疑で処刑されるとか、労働運動・ストライキで警察 や軍から殺される)、日本人の観客が共有・共感するのは難しいのではないかと 感じた。(*最終日の打ち上げ二次会で作家の鄭さんの隣に席し、長時間に渡っ ていろいろ話を聞くことが出来た。この話もしたところ、近くに座った坂手君から6 月の『ブラインドタッチ』を見てと言われる。坂手君のことだから、日本で起きた同じ ようなことを取り上げたのか)


驚いたことに韓国の上演では観客みな泣いたという。「韓国の母はみなヨンオクで すよ」、誰かが言った。たとえ個人で経験していなくとも、身近や国のあちこちに「ヨ ンオク」のような女性がたくさんいる、それが韓国だ。実際1980年代の光州事件 ではいったい何人の市民や学生、若い労働者が軍隊に殺されたか今だに正確な 数字はわかっていない。1970年代に起きたチリのアジェンデ政権への反共クー データをはじめとした南米(だいたいはアメリカが背後で糸を引いたと言われるー そのアメリカと軍事同盟を保ちアメリカの軍事力の傘の下で日本は冷戦期に平和 と経済繁栄を謳歌していた)での戦後の悲劇の数々と近い「悲劇」が国民レベルで 成り立つ場所、それが韓国でもある。少なくとも1980年代後半に民主化されるま ではそうだった。


悲劇が共有出来る。それは国家と政治に翻弄されてきた苦難の歴史を共有する からだろう。大国にはさまれた20世紀の韓国は幾度も国をドイツやロシア、オース トリーという周辺強国に分割されたポーランドや、冷戦下の東欧、アメリカの裏庭と して長く独裁政権下にあった南米と共通する。


20世紀初頭日本は東アジアでは強者になった。戦争での犠牲だけでなく国内下 層への犠牲を強いながら。それは岸田理生さんの作品『糸地獄』の土台となって いるものでもある(これ自体、現在の観客、特に若い観客には理解を超えている かもしれない・・・・。近代史をちゃんと教えられていない、という問題ゆえ。。。。。) この件は7月のテラ公演とも関わるので、もう少し書かないとこの話の決着がつか ないが時間切れ・・・。やはりいつかまとめる。書きたいことが一杯出てきた今日こ の頃。長い間、自ら禁じてきた雑誌媒体などへの寄稿や原稿書き、も再開しよう か。




『統一エクスプレス』 作:呉泰栄(オ・チヨン)
シアタートラム・3月15日上演

初日に酒を飲み交わし楽しい話をした呉泰栄さんの作品の上演。

演出は東宝ミュージカル(『ラマンチャの男』の演出など数々の作品を手がけたベ テラン)で活躍された中村哮夫さん。


南北に分断された国家である韓国の人々にとって「統一」は悲願。しかし、「夢」は いつしか形骸化する。政治的なかけひきにも利用される。大統領選挙の際のスロ ーガンにたびたび使われると、シラケた気分にもなる。東西ドイツの統合後の様々 な現実的問題も知っている。たとえば統合後の西ドイツの経済的な停滞や東ドイ ツの失業問題、格差問題、生活困窮者の増大、資本主義化し、物質中心の社会 になったことで精神的に病む人々の増加・・・。現実は夢想をしばしば裏切る。

韓国の経済成長を背景とした「建前」と本音のギャップを鋭く、しかしユーモラスに 風刺し描き出した作品が『統一エクスプレス』(1999年に韓国初演)だ。


これは物議をかもす作品(韓国では)である。たとえば、「反日」が国是の国で、「日 本人は韓国人と変わらないんだ」という内容の作品を公開するのは勇気がいる。 国民感情を敵にする可能性があるからだ。しかし、芸術や文学には一般の大勢を 占める空気に対抗する気概も必要である。大勢に便乗する作品(ポピュリズム)は 商業的には基本だろうが、商業的な(お金になる)ものばかりでは大勢に流され る。

たとえば、太平洋戦争に突入する前夜の日本で徴兵拒否したり、戦争反対を唱え たり、というのは勇気のいることだ。非国民として会社にも村にも居ることは出来な くなる。大勢への「抵抗」を持った作品は文学であろうと民意を敵にする場合もあ る。『蟹工船』の小林多喜二は昭和13年に官憲に拷問され死んだ。他にも犠牲に なった者は日本にも韓国にも大勢いた。

当時の日本は独裁国家ではなかった。そういう風に言うのは戦後のことで(主に左 翼・「進歩派」知識人の言説)、政府あるいは軍部はむしろ民意の多数派を反映し ていた。「民意」を形成するものとしては新聞などのマスコミの力も背景にあった し、この民意、多数派という「大勢」を形成する原動力としてのマスコミ・メディアの 力は今も変わらない。マスコミ・メディアが取り上げないもの、少数の意見、しかし 「卓見」を主張する場は限られている。その一つが演劇であり、文学である。しか し、日本でも韓国でも演劇は大戦中、「国民演劇」という形で戦争を支える文化装 置として利用され、多くの演劇人や芸術家は戦争協力をしてしまった。その真摯な 反省は新劇自らではなく、60年代後半のアングラ演劇の時代になって初めて問 われるようになった(これは当時の学生=団塊世代が支持した吉本隆明の「大衆 の原像」論とも関連する)。


今回、韓国の劇作家で物故された方の作品が一つ翻訳出版された。彼は戦争 中、日本の戦争に協力する形の「国民演劇」を韓国で主導した人物でもある。しか しその一時期だけではなく、その前、その後、彼は優れた作品を残し、韓国現代 演劇史の発展に巨大な足跡を残し不動の位置を占めている。それゆえ、今回、翻 訳出版作品としても取り上げられた。



日々を生きることに懸命な人々にとって、国とか政府とか主義とかは手段に過ぎな い。人にとって本来大切な事は生活の安心、安全なのだ。生きていけることが重 要なことなのだ。そのために必要だから「社会」を作り、「国家」を作り、その圏域を 安全圏にするため、防衛(軍事という国家暴力)手段を持ち、一丸となったほうが 外からの脅威には強いから人々が共有しやすい理念(たとえばナショナリズム、愛 国主義)を作るのである。がそれは手段であり、真実ではない。外部の状況が変 化すれば事は違ってくる。




「日本」を振り返る
明治維新の頃の日本。周囲は牙を向いた帝国主義、植民地主義の大国、列強ば かり。いつロシアが北海道や東北を占領するか。どういう手段でイギリスがフラン スがアメリカが日本を食い物にするかわからない。だから急いで中央集権国家、 軍事力の増強、経済構造の革新、国家に対する愛国主義というイデオロギーが要 請された。そしてばくちのような清国との戦争に踏み切った。戦争当時、清国の海 軍力は日本の10数倍だった。世界中で日本が勝つと思った国はなかった。しかし 奇跡的にこの戦争に勝ち(日清戦争は朝鮮を巡り、ロシアの脅威を前に半島を押 さえるため一方的にいちかばちかで日本が仕掛けた「博打戦争」である。清国皇 帝が事情がよく把握できず本気で乗り出す前に、日本は勝利してしまった)、結果 として朝鮮、満州・中国東北部でロシアとの権益の衝突、軋轢を激しくする。そして ロシアと戦争をやることになった。きわどい戦争だったがこれもかろうじて勝った。 結果として朝鮮(韓国)植民地化のコマを手に入れた。更にロシア革命の混乱に乗 じてシベリア進出・侵略(これは失敗)、第一次大戦後の空白期、中国国内の混乱 期に乗じて満州進出・侵略、更に中国進出・侵略・・・。こうなってはもう止まらな い。踏みにじられるもの、弱い立場の気持ちはすっかりわからない「大勢」に作ら れてしまった「私」が形成される。それは「アジアを下に見、自らを欧米に並べる」 優越意識に支えられた「私」。周囲の強大な敵から身を守るための様々な手段は いつのかにか目的化して行き、大破局まで止まることがなくなってしまった。そして アジアに対する「蔑視」の心性は戦後も今も残っている。



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