ノラをめぐる思考、あれこれ
2008年11月9日 日記より
■「男女差」・・・・と劇団 其の壱
男は社会によって「男」になり、女は社会によって「女」になる。
人類学の「未開社会」の調査によれば、女性が外に出て食料を確保し(漁労や採
集)、男性が子守と家事をする社会が結構な割合で存在している。だから決して現
在の「文明社会」の男女の役割分担が絶対なわけではない。
実際、近代に入るまでヨーロッパでも男女は対等に仕事をしている(農耕作業労
働)。産業革命以降近代に入って産業の合理化、大規模化、機械化によって男は
工場労働者になり、大都市が形成され、人の流れが農村から都市へと変容し、そ
れと同時に女性は家事に専念するという分業化が行われた。日本でも江戸までの
一般の生産現場(生産に携わらない公家や武家は別として)、つまり農業、農村で
は男女が協力して働いている。生産者においては対等であったのだ。
つまり女は家庭を守り、男は社会に出て(工場や会社)仕事を、というのは明治以
降、ヨーロッパ式資本主義の導入の際になされたものである。家父長制もヨーロッ
パからの移入である。
だから資本主義が壊れつつある21世紀にこうした役割分担が壊れ始めるのは必
然だ。仕事の仕方が工場や会社、だけではなくなっている。一方で工場や会社は
まだまだ日本社会の多数派だから明治以来の「分業」制による男女の役割分担
の意識は強く残っているのも事実だ。
「雅子問題」(皇太子妃)は「妻であり母である前に人でありたい (ノラ〜『人形の
家』)」的価値観、つまり仕事による自己実現欲求(人への欲求)を人一倍強く持っ
た雅子さんが、「妻であり母であり」(良妻賢母)を誰よりも強く求める古い価値観
の環境に置かれた結果、うつ病に陥った事態と捉える。二つの価値観がねじれて
しまったのだ。これは日本の現状を反映している。
もちろん「繁殖」という生物的観点では女性のみがその機能を所有する。だからと
いって全ての女性が「妻であり母であり」、人としての部分を抑圧する必要はない。
人口が減ると経済活動に支障が出るとか、それは国家の都合でしかない。子供を
作る女性がいて、作らない女性もいていいのだ。結婚する女性もいてしない女性も
いていい。
ヨーロッパでは同居しても結婚しないカップルが増大している。アメリカ大統領選の
予備選で民主党オバマと戦ったヒラリー候補の積極的な支持者の多くは1970年
代のフェミニズム高揚期に自立をめざし、そのまま独身を貫いた仕事をする女性
たち、である。
そういう人々の欲求に対応できる仕組み(母子家庭でも生活でき子供を大学に入
れられる・・・・オランダはすでにそうなっている)、保障制度を作っていくべきなの
だ。独身のまま高齢者になった者が先行きを心配しなくてもいい社会の仕組み。
残念ながら日本は単純すぎる、制度面が古すぎる。明治の「富国強兵」政策が今
も制度的に国の柱になっている。税制も年金も全て皆が会社員(正規軍)で正規
雇用であることを前提に作られている。それが21世紀に入って、どんどんほころ
びだしてきた。
1970年代にすでに国民の側からそういう欲求が出ていて(人として生きたい)、私
の同年代の男性で独身者は非常に多い。家族を養えない?自分の専門に専念し
たい、家事だけの女房ではなくパートナーが欲しい、など理由はいろいろ。女性で
仕事を重視し独身(結婚すると仕事を諦めないとならない、という暗黙の了解がず
うっと強くあった)を貫いた人も多い。主にインテリ層だが。これは決して好きでそう
したわけではない。結果として離婚しなければならなかった、結婚を諦めなければ
ならなかった、などつらい思いをしている人も多いし実際にたくさんのこうした女性
を知っている。芸術家や研究者、など何かを専門に持つ人に知人が多いから一般
的ではないが、そうした欲求は大衆にまで広がりつつあるのは事実だ。
他の動物も全てが繁殖をするわけではない。サルは繁殖の権利を得るのはボス
のみに一極集中し、群れのメスの子供たち皆の父となる。他のオス猿はみな「独
身」で夫ではない。種として絶滅 しなければいいだけなのだ。しかし、人間の人口
爆発、もうじき100億を超える(食料はどうするのだろう。今でさえ不足なのに)こ
の状態は生物としてのバランス、環境との関係も無茶苦茶である。どこかが狂って
いるとしか言えない。
社会によって男は「男」に、女は「女」にされるという社会背景にテラの現場も無関
係ではない。差別というのではなく、この社会の中で「男」は何かと「責任」を持たさ
れる。たとえば会社で女子社員には責任のあまりない仕事、男性の補助的な仕事
しか持たされない。結果として女性もそういう「非責任」という立場になじむ。確かに
責任がないほうが楽だ。結婚においても、結婚すると男性は家族を養わなければ
ならないという責任感を強く持つ。今はそういう男性は減少しているようだが、私の
結婚時はまだそうだった。会社でも男性社員が結婚することでようやくこれで仕事
に責任を持つようになると期待する。
もっとも最近の傾向は責任持ちたくない、むしろ依存したい「ひょろり君」タイプが
多い。学生を相手に仕事をしている関係上、「増えてきているなあ、頼りない男」と
いうのも実感。小中高と建前では男女平等だから、その位(+α)の年齢だと女の
子の方が責任感があったりする場合も多い。ゼミでは女子のほうが男子より責任
感強い子が多かった。
それでも学校を出ると、とたんに様相は変わる。社会は男女平等ではなく、男性中
心(仕事に関して)社会だから、女性はだんだんそういう環境に飼いならされてしま
う。「非責任」状態が常態化する。依存する体質も出てくる。「責任」を持たない状
態は精神的には楽だから、よほど気をつけないと自然とそっちに流されていく(「分
析」は続く、今夜はここまで)
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