2009年09月19日
シルバーウィークが始まる。天気晴れ、すがすがしい秋空。
名古屋、錦にある滞在ホテルを出て、名古屋駅近くでレンタカーを借りる。中央高
速が渋滞しているらしいので下の国道19号を使って多治見、土岐、恵那とスムー
ズに移動。100Kくらいのドライブで中津川に到着する。
「演劇キャンプ」の受付はどこだと市役所や駅あたりをぐるぐるする。突然、携帯が
切れてしまった。充電したはずなのに・・・電池切れか故障か。携帯電話が使えな
いと予想以上に不便、不安。携帯がなかった頃はそんな風に考えもしなかった。
見知らぬ土地で連絡も取れず、迷子状態・・・。そうだ、公衆電話からかけりゃあい
いじゃないか。しかし、その公衆電話がなかなか見つからない。やっと駅で一個見
つけた。。。で、さっそく実行委員会の加藤さんに電話した。「受付は各会場で」、
優しい男性の声がする。15時から、「常盤座」で柄本さんの特別講座が急遽決ま
ったという。
少し時間があるので中津川駅から車で45分ほど北上(下呂・高山方向)した「福
岡ふれあい文化会館」へ移動。
リュウザンジさんの「セミナー」をやっている会場。5人の演出家と20人ほどの俳
優(最高齢は82歳の女性!)、それぞれが5本の台本(15分くらいの短編)の一
つをチームを作って担当し、それをリュウザンジさんとその片腕のコバヤシさんが
指導しつつ、最後に一本の「オムニバス・コラージュ」スタイルの舞台にするそう
だ。どんなものになるのか興味津津。そのプロセスにも興味津々。とにかく、この
目でその「実際」を見てみたいとか思っていたが、奇しくも今回、中津川に4日間滞
在し、そのプロセスを垣間見ることが出来た。
「セミナー」会場に到着したとき、丁度、読み合わせを終えたところだった。コバヤ
シさんが実にきびきびと動いていて、物事の進行を仕切っていた。参加者は女性
が多数、やはり。。。20代の若者(劇団関係・経験者が多いようだ)と40代以降の
中高年(こちらは演劇経験がない人が多いようだ)。少し、様子を見せてもらい、そ
の後、別会場で開催の柄本明さんの『演劇で遊ぶ』を見学に。常盤座向かいの社
務所、到着すると丁度、休憩時間のようで、エモトさんがぶらぶらしていた。
エモトさんの話とワークショップ、特に演技に関する意見は非常に共感するものだ
った。すぐに何かをしようと身構える生き物、俳優。「それって、いったい何なん
だ?」、「それはただの『説明』でしょ、説明と演技は違う」。そんなこんなの内容。
ワークショップに参加 した俳優たちは経験者が多いようだったが皆戸惑いながら
四苦八苦。やるのは大変だろうが、見る分にはとても興味深い内容だったし、演
技の深い部分、根幹に関わる問題が横たわっているのを認識した。その意味で貴
重なセミナーであった。
18時から、常盤座で「オープニングシアター」、これはまさに圧巻。特に地元の「土
着民」コンサート。とにかくサイコー。その後の大道芸の智春、DAIKIさんのアクロ
バティックなエンターテイメント。一輪車とクラウンの組み合わせ。どこまでが演技
でどこからが本当かまったく境界が分からないうちにいつの間にか「ガンバレ」とこ
ちらも一緒になって 応援している。手に汗握っている。1991年ころかなあ、パリ
で話題になっていた「ジンガロ」を観た時、「これは演劇だ」と滅多に演劇を見て面
白いと思わなかった自分が感動したサーカス(その前に感動した舞台はカントール
とヤン・ファーブルくらい)の時に体感した感じに似ている。久しぶりに舞台を観て
ワクワクした。何が惹かれた要因か、それを言いだすと演技論の本質になる。エモ
トさんの話とも重なってくるが、ちょっと長くなるので何かの機会があればどこかで
書くかもしれない、ということにしておこう。
初日から刺激的な企画が目白押しで、つまらなかったらさっさと帰るつもりだった
が、何だかはまった。最後までこれは立ち会うべき、初日でそう思った。一番よか
ったのは、地元の人の作った歌舞伎小屋(常盤座)の桟敷の客席。何だか、ここ
に座っているだけで時間がゆったり流れる心地よさにこのままひたっていたいと思
う。劇場とは演目が終わればさっさと追い払われる場所ではなく、本来、こういう日
常から解き放たれるゆったりと出来る「村人の集会所」みたいな場所なんだろうな
あ。
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2009年09月20日
二日目
昨夜は「ふれあいのやかた かしも」に宿泊した。
木造建築の研修施設でホールもある。新しいし、95%が木製というところがステ
キ。木の香りがほんわかと漂い、お風呂もヒノキ風呂??一泊2000円の大部
屋、思い出す限りここ数十年の中では初体験でワクワク。学生の頃は京大西部講
堂遠征公演、なんて背伸びしてやったりして京大熊野寮だか吉田寮だかに泊まっ
た(なんて今あるのかな あ)。20代の頃、アジア劇場の夏季合宿でもよくやったな
あ。学生時代にはよく雑魚寝した。友達の家とかで、打ち上げの後だけじゃなく、
何かにつけて。でも、今回はそんな四畳半サイズでなくて、本当に広い部屋。久し
ぶりの修学旅行気分にひたる。いいなあ、こういうのもたまには。
岐阜のはせさんが同じ部屋。とにかく「はじ めまして」の挨拶を交わす。
で、朝、久しぶりに森に囲まれた木の家でたっぷり寝て、気持ちよく実にすがすが
しく(我が町新宿とは大違い)、さわやか君で目覚める。すると、昨日の夜のオープ
ニングシアターで大活躍の智春さん、DAIKIさんが目の前にいたので、「昨日、す
ごく良かったですよ。とても演劇的だと思いました」と声をかける。ワタシから知らな
い人に声をかけることは普段滅多にない。のに、声をかけてまった。宿の大部屋
的、ユースホステル的雰囲気がそうさせたか、あるいはよほど昨日の舞台がステ
キだったからかはわからない。ともかく、こうして昨夜の二人のパフォーマンスの感
想を伝える。「演劇的って言われるのが一番うれしいです」、智春さんが返す。なん
やかやですぐに仲良しになり(笑)、宿近くにある「道の駅かしも」で一緒にモーニン
グを取り、コーヒーを飲みたのしく談笑する。旅は道連れ、同宿のよしみ。何だか、
昔(江戸時代とか)の東海道やら中山道やらを旅する人達みたいな気分になって
きた。
二人との話は非常に「発展的」でテープでもあれば録音して記録するといいのでは
ないか、と思われるくらい中身があった(と勝手に思う)。ジンガロやらイタリア演劇
(コメデアデラルテ)やらギリシア劇やら、さりげなく話した割にはとにかくすごい内
容だったと思う。 普通に演劇やっている人ではこういうシュールな話の展開は出
来ない。ワタシもつい口ごもってしまう。何と受けていいのか困ったりする。真面目
なんだけど狭い、とかあまりにものを知らなすぎるとか、単純にある演劇「イデオロ
ギー」を唯一正道と信じ込んでいたりとか。とにかく困ることが多いが今日は困らな
かった。会話がスムーズに成立する「演劇人」に久しぶりに出会った感じ?
二人と別れた後、車で下呂温泉まで一人でドライブ。加子母から30分くらいだ。そ
こから飛騨高山まで50Kの距離、よっしゃ、行って見ようかとも思ったが、何だか
そこまで行くと帰るのが面倒になりそうなので、思いとどまり引き返した。
お昼過ぎに「ふくおか公民館」(「地歌舞伎体験」セミナーをやっている会場)に顔を
出してみる。お昼の休憩中だった。近くにステキな街道に面したカフェを見つけて
入る。ランチ、とてもおいしい。ミロの絵が壁に何枚も飾ってある。オーナーさんは
絵が好きなの か、絵描きさんなのか。。。一服して、「福岡ふれあい文化センター」
の稽古の様子を覗きに行く。そこにやってきた羊屋さんたち女性参加者一行を25
9号線沿いのカフェへ案内することになってしまった。「全国の女性演出家大集合」
とか言う企画の面々らしい。が、よくわからない。よくわからないまま、「お腹がすい
た」というので、丁度見つけたばかり、いまランチを取ってきたカフェを教える。「歩
いて200Mくらいじゃないかな」とテキトーに言ったら、実は1K以上あった。何や
か やで彼女たちのアッシー君になってしもうた。
で、「あとから遅れてきた舞台美術家の加藤ちかさんも運んで来て下さい」と依頼さ
れ再び、彼女を探しに「福岡ふれあい文化センター」に戻る。ここまで来るともうス
タッフだよなあ。ま、演出家協会員だし、いいか。それに彼女は知っている人(のは
ず。だがどこで会ったか思い出せない)。
「ええと、カトーさん?」と声をかけると向こうはこっちに気づいていたらしい。ただ、
こっちがどこで会ったかまだ思い出せないでいる。こういうことが本当に多い演劇
界。狭い東京なのに、うっかり20年とか30年ぶりとか、がよくある。「エロチカの公
演の時に林さんに世話になったんですよ」と言われ、「あっ、そこだ」とようやく思い
だした。彼女は当時ま だ学生で、美術の仕事のお手伝いを始めたところ。エロチ
カもブレークする前。早稲田の私たちアジア劇場が拠点化していた6号館で公演を
やった時、ワタシがそこの「ボス」 だった関係で、あれこれお世話したのだ。そうい
うわけで中津川で26年ぶりの再会を果たす。すばらしい再会の場、中津川。
と、感慨に浸る暇もなく、今度は一行を福岡地区から車で30分離れた明治座まで
案内してと頼まれる。女性演出家シンポ出席の宮田さんの車とワタシの車に分乗
して女性陣一行の大移動。助手席に座った女性が誰か知らず、30分一緒に移動
し、シンポジウムが始まってようやく毛皮族の江本さんだと知る。どうも気づきが遅
い。あまり最近の人の芝居を見てないせいか、誰が誰だかよくわかっていない。4
0過ぎたあたりの人達からようやく見分けがつく。ずれてるワタシ。
●18時ー 明治座(加子母)、「全国の女性演出家12人によるシンポジウム」開
催。リーダーを作る、ヒエラルキーが生まれる、そういう男性原理に対して「みなで
話し合いながら」が女性たちの場合の特徴なのは、テラで毎日体感(笑)。だから
か、彼女たちの話の内容がよくわかる。たぶん、他の男性よりも深いところでわか
るような気がする。 他の男性演出家が自覚できない部分、毎日経験してちょっと
ずつ自分の「男性」という皮がはがされてくる部分が。基本的にテラはワタシ一人
でものを決めない。何でもみんな (女子たち)で話し合う。作品も演出もみんなで話
し合う。テラ式「集団創作」とは「男性原理」を打ち壊してゆく手段でもあるような感
じだ。
次回の『ノラ』はアラサー近辺にいるテラ女子群10名の実感や思いを主題として
作る作品になる。だから「演出」のワタシには本当のところ、この作品はよくわから
ない。よくわからないから彼女たちに主導権をもってもらって、それを聴きながらア
シスト、サポートする役、それがワタシの「演出」の仕事になる。演出というより最近
よく聞くようになった「ドラマトゥルク」に近いんだろうなあ。彼女たちの持っている感
性を舞台の上に乗せたい、その「手伝い」に徹する。そんな感じでいる
シンポジウムはとても面白い展開だった。こういうやり方(通常のお硬い感じのシン
ポでなく、何となくホンワカした感じ、ゆるい感じ)っていいなあ。そこが男性中心の
会議とか座とかシンポと違うところか。こういうのだったら参加してもいい、とか思っ
た。
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2009年09月21日
三日目
加子母・明治座
晴れ、とにかく空気がおいしいとはこういうことか、と「観無量」の朝。しかし、頭は
殆ど眠っている。ぼわーっとしている。そこは東京にいる時とあまり変わらない。低
血圧動物なワタシなので、午前は殆ど休眠状態。
昨夜はハセさんから声をかけられ、宿の食堂でジャブジャブサーキットの俳優連
(今夜の「日本近代戯曲リーディング」の北村透谷『蓬莱曲』に出演するため来て
いる)の輪の中に入って酒を交わし、未明まで楽しいひと時を過ごした。
何を話したか忘れた。覚えているのは、ハセさんの劇団に17年にいる女優さんが
いて「どうやったら(劇団員が)長続きするんでしょうか?」と聞いたことくらいか。
「たぶん、岐阜、というのが大きいと思います」、なるほどキーワードはギフか。そ
れでわかったつもりでいた。あ、あと「女性は結婚したり子供が出来たりしたら、演
劇続けらなくなることが多いけど、その辺どうなんでしょう?いま、一番のテーマな
んです。結婚しても子供が出来ても続けられる集団は可か不可か。うち、女ばか
り、しかもこれから結婚期に入る20代後半の女子(おなご)ばかりなもんで」と聞い
た。そこが一番のミソ。すると、そうした体験をしつつ参加している女優さんもそこ
にいた。すごい。
「家族や両親や、周りの人の協力、理解」
どうやらそこが「鍵」らしい。そうだよな、子供が熱出したり、急病になったり、ある
いは旦那さんのお母さんに子供の面倒を頼む理由が「趣味のため」じゃあ、バカじ
ゃないのってことになっちまう。演劇やらなくちゃあならないんだ、というモチベーシ
ョン、動機の説得力が重要なんだろうし、何より周囲の深い理解と共感がないと続
けられない。
「女性と演劇」には男性以上の困難がある。男性にも困難はあるし、何より「ものを
一杯作って、ものを一杯売る」というこれまで60年続いた「成長戦略・ザ日本」の
下で、みな 大きな組織機械の部品として人生の大半を縛られてきた。そういう生
き方、人生観が21 世紀にはいって大きく意識変化している。政権交代はこうした
意識変化に対応できない自民党と人々のギャップが限界点を超えた、という捉え
方も可能だ。まだ民主党政権下で世の中がどう変わるか、良い方向に行くのか、
わからないが、現時点では変化は予想よりも早い。しかし、演劇を巡る現状はそ
んなに変わってない。変えなくちゃあ(それはこれから取り組むべき課題。個人の
問題ではなく社会全体の問題とリンクする課題、そう捉えるべきだろう)。で、うち
はまず切迫する「結婚、出産、子育てと演劇」、ここなんだ。 一番の集団的テーマ
は。乗り越えられるか、乗り越えられないか。To be or not to be. That is a
question.
●朝、「道の駅かしも」でモーニングを中日新聞記者のH女史、キタムラさん、舞踊
のハラキョーコさん、福岡の女性演出家ヤマダさんと。福岡演劇事情をヤマダさん
から聞く。 企画面でいろいろなことを提案したような気がするが、詳細不明。
●カトーチカさんとキタムラさんを中津川駅まで車で送る。駅まで1時間のドライ
ブ。結構な距離がある。中津川は実に広大(7つの町村を吸収したため)。カトーさ
んははじめ温泉に行く予定だったが、車中、馬篭の話で盛り上がるや、予定変
更。外波山さん一行と中津川駅で合流して、そっちへ行くことに。馬篭、妻籠は以
前、泊まったことがあるが昔の宿場をそのまま残した地、島崎藤村の地、「夜明け
前」ワールド。ステキな場所だ。車中、カトーさんの韓国での貴重な経験談を聞き、
ふだん日韓演劇交流センターを通じて関わっている日韓演劇交流の違う側面を知
り、とても勉強になった。。
●駅まで二人を送り、再び今度は一人で福岡ふれあい文化会館まで戻る。会館ホ
ールの奥にある30人ほど入る小部屋でラサール石井さんの講演が始まる。
演劇を始めたいきさつ話の後、コントの基礎を希望者二人に実技してもらいながら
指導。ふううむ、ふだん見られないいいものを見せてもらった。授業をさぼる不良と
止める学級委員の即興。奥が深いぞ、コントは。別役さんの「コント教室」を読んで
感心したが (昔、ワタシが書いていた戯曲は、まさにコントと言えばコント。かなり
近い感じがした)、今日はラサールさんの実技指導を見てまたまた感心。終了後、
ラサールさんと挨拶を交わす。
彼とは大学の時、文学部スロープ下にあった05部室を一緒に使っていた部室仲
間。ラサールさんはミュージカル研究会というところにいて、ワタシはテレビ芸術研
究会にいて、二つのサークルは同じ部屋を棲み分けていた、そういう隣組だった。
毎日のように顔を合わせていた。彼はいつも短パンでランニングしていた。とても
真面目な学生に見えた。その後、ラサ―ルさんはコントの世界、ワタシは演劇。彼
が演劇に来た頃は、ワタシは海外、そして8年ほど東京で「引き籠り」、何だかすれ
違い。やはり大学の6号館(演劇長屋)で数年一緒に過ごしたラッパ屋の鈴木君脚
本による『その男』をラサールさんは今年演出した。そこ(早大6号館アトリエ)には
キャラメルの成井君もいて、やはり同じ穴のむじな同士、失礼、長屋仲間。演劇界
の「異種縁結び」の中津川になるかもしれない、きっとここは、ここだから。
●そしてまたまたスタッフから依頼され、今度は演出家のアオイさんを福岡の文化
センターから加小母の明治座まで車で案内する。アオイさんとは初めて話す、これ
まで縁のな かった方。
アオイさんと車中でいろいろな話を交わす。アオイさんの話はまさに感動ものだっ
た。人に歴史あり、とはこのことか。三島由紀夫、劇団四季、寺山修司、東宝歌舞
伎・・・、これがクロスする1970年前後。アオイさんは1967年に演劇の道に入っ
たという。1968が何かと脚光を浴びてきたが、実は1967に様々な動きの胎動
があった。「ぼくは1967年に、演劇を始められたことをとても幸せだったと今でも
思ってるんです」、時期、タイミングってあるよなあ。本当に面白い時代だったん
だ、と話を聞きながら、映像が頭に浮かんできた。一つの歴史がここにある。
●明治座から常盤座へ再びアオイさんと一緒に移動、18時から「近代戯曲ドラマ
リーディング」を観るため。
ハセさん演出の北村透谷作『蓬莱曲』。名古屋の演出家菊池さんの『生きている
小平次』、ふじたあさやさんの『和泉屋染物店』。それぞれ、いろいろな発見があっ
た。日本の近代劇と言えば、新劇、築地小劇場以降を主にイメージするのだが、
実はそれ以前、言文一致や、歌舞伎との関係、伝統と西欧的知との板挟みの中、
明治から大正にかけて 長〜い模索と葛藤の時期があった。そこをクローズアップ
した、その着眼点はすごい! いやいや、ちょっとこれは(新劇以前の近代劇)、本
気で勉強しなおそうと決意させるものがあったぞ、っと。
終了後、今度は協会理事長でもあるワダさん、事務局のサイトーさん、そしてアオ
イさんを乗せ中津川駅前まで運転手を務める。そして中津川の居酒屋へ一緒に
入った。宿まで一時間の深夜ドライブがあるからウーロン茶で酔うことにした。いろ
いろ盛り上がったが、これも何を語り合ったか忘れた。そこに、稽古を終えたリュ
ウザンジさん、コバヤシ さん、一人芝居で参加のトバヤマさんも加わる。中津川の
夜は熱い。ほんとに熱かった。
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2009年09月21日
四日日
いよいよ、最終日。
午後、「サヨナラシアター」と銘打って、
俳優セミナーの発表、子供たちの「白雪姫」の発表、
「地歌舞伎セミナー」の発表などがあった。
雨模様で、野外を予定していた「白雪姫」パレードがちょっと心配だったが、会場を
明治 座外に変更して決行。雨も上がり、大人たちと子供たちが連係プレーのミュ
ージカルは 心なごませてくれた。こういうのって、いいなあ。一緒にやりたかった。
王子様の登場には思わずカンドーした(笑)。
明治座前広場での「白雪姫」、王子様と白雪姫
明治座前広場での「白雪姫」、地元の父兄もたくさん観戦
加子母・明治座前
緞帳に名前が。
みなすでにいなくなった明治の頃のこの小屋に関わった人たち。
いま、ここにいない人たちとも私たちは一緒に生きている
狐の嫁入りのカーテンコール、舞台は素晴らしかった
夕方、すべての日程をしっかり見た中津川を後に、名古屋へ移動。新幹線に間に
合えば、今日中に東京に戻ろうと思ったが、中央高速の渋滞にはまる。もしかして
名古屋駅で朝まで「野宿」と危惧するが、9時過ぎに名古屋駅に到着。あわてての
ぞみに飛び乗 り、何とか帰京。中津川の余韻が残り、しばし余韻を楽しみながら
の新幹線車中だった。
来て良かった。すっかり中津川にはまってしまった。ここで何かやりたい。
「サヨナラシアター」にかけつけた市長さんも乗り気、市の行政担当者も市長さん
が乗り気であることもあり、積極的に来年以降の「演劇の催し」のバックアップをし
てくれると言う。行政や政治と演劇が「対立」する時代から、相互協力し合う時代に
変わりつつあるのか。荒廃し、空洞化し、あるいは大衆・庶民・生活者・地域・地方
と演劇や文化とのかい離、そこを埋めてゆく、そういう動きがこれから必要なのだ
と思う。そういう努力や企画をイベント屋や「プロデューサー」に任せるのではなく、
アーチスト側、演劇現場の人間が自らの手でやるべき時代が来た、そう感じた。
30年前から10年前まで、日本で演劇を続けることに何度も何度も絶望した。しか
し、21世紀に入って10年、ようやくこれから何かを「期待」できるかもしれない。
「期待」なんて言葉は自分の中で存在しない言葉だったのだが・・・。ともあれ生き
ていて良かった (笑)。
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